長崎街道歩いてみた【2回目/肥前古賀~大村 前編】
〇2回目ルート概要
・月日:2024年5月4日(土)みどりの日
・天候:晴れ
・区間:肥前古賀駅~新大村駅
・歩行距離:約30㎞
・所要時間:約8時間30分(休憩・見学含む)
なお1回目の記事を読まれていない方は以下のリンクからご覧ください。
〇難易度:★★★★☆
・諫早の井樋之尾路など見所は多い区間でしたが、肥前古賀駅から新大村駅まで一日で歩くのはけっこう脚力必要です。日頃のウォーキングを日課にする私も相当疲れました。ゆとりを持って散策したい方は諫早で行程分けることをお勧めします。
・諫早~大村間 旧鈴田峠は人通りが全くない荒れた山道のため、低山を登る程度の準備必要
〇コース図
〇前回のゴール地点(肥前古賀・福端寺)へ
前回(2024.3.31)同様に博多駅を出発し、武雄温泉駅で西九州新幹線に乗り換えます。ただし今回は長崎まで行かず諫早駅で途中下車し、長崎本線で肥前古賀駅へ。

(在来線キハ47形車両を EXILE TAKAHIRO氏がデザインし沿線小学生がペイント)
9時20分頃に無人の肥前古賀駅に到着。ここから前回の長崎街道歩きの最終地点の福端寺までは下り坂ばかりだったこともあり15分程度しかかかりませんでした。前回帰りにJRの肥前古賀駅に向かわず、わざわざ路線バスに乗るため、諫早市塚原バス停まで30分歩き、バスを30分以上待ったことが改めて悔やまれます。


〇肥前古賀・福端寺~井樋之尾観世音(約3㎞)
福端寺から1km程度歩くと道脇に地蔵菩薩。説明書きには「近くの城山の戦から敗退した大将の勘違いで、この小川で洗濯していた無実の女性が切り殺された。そこに霊と思われる火の玉が毎晩出るようになったので、土地の人が弔いのための菩薩を作った。」との記載がありました。街道沿いの史跡には物悲しい過去が多いような気がします。

また1km程度歩くと街道の休憩所でもあった「古賀の藤棚」。後で知ったのですが、ここは日本三大土人形の一つ「古賀人形」の唯一の製作所でもあるそうです(他は宮城の堤人形、京都の伏見人形)。事前に希望すれば製作風景の見学もさせていただけるとのこと、次はぜひ立ち寄ってみたいものです。



https://www.nagasaki-press.com/kanko/column-kanko/made-in-nagasaki/no13/
ゴールデンウィーク中の絶好のウォーキング日和、子供の日が翌日と言うこともあり、あちこちで鯉のぼりも泳いでます。

平行していた長崎自動車道下を通り、山手の方面に進んで行くと、

長崎市と諫早市の市境。江戸時代はここから大村藩領から佐賀藩領に変わるので御境石(おさかいいし)が置かれています。
今回、旧佐賀藩領が現長崎県エリアにかなり食い込んでいるのだと初めて知りました。明治時代初期の廃藩置県後、佐賀県は二度ほど長崎県に合併されましたが、その後の復県運動により明治16年に現在の形に分かれました。もし合併したままだったら、諫早湾干拓問題など、その後の両県間の軋轢はなかったのではないか……そんな思いも巡ります。

「これより東は佐賀領」と印字、右側は地元ライオンズクラブが建立した長崎街道の石碑
左手に大村湾を望む見晴らしの良いルートに変わってきました。御境石を過ぎ数百m進んだところに「井樋之尾観世音(いびのおかんぜおん)」、涼しい木陰に水汲み場もあります。天気も良すぎて疲れたところでもあり、しばらく休憩することに。


島原の乱での神社仏閣の焼き討ちを避けるため、原城に安置されていた聖観音像を持ってきて、この地に観音堂を建立したのが始まりといわれている。

井樋之尾観世音に持ち帰りマップが置かれていました。ここから1kmほどの井樋之尾路は、日見峠越えなどと合わせて文化庁の「歴史の道 100選」との記載もありました。

〇井樋之尾観世音~諫江八十八ヶ所 第八十五番札所(約3㎞)
井樋之尾観世音で15分ほど休憩。あまりにも気持ちのいい場所なので、もうしばらく過ごしていたかったのですが、後の行程を考えるとそんなノンビリもできないのかなと後ろ髪をひかれる思いで先を急ぎます。ここからの杉木立の中のルートが昔の街道気分を味合わさせてくれます。




道横の草むらに可愛らしい長崎街道の看板が。この矢印に従って林の中に入って行くと、細い石畳の道となりました。昔の街道を味合わさせてくれる素敵なルートです。長年の雨風で荒れ果てていた石畳をNPO法人や地元自治会が再生し通行可能となったそうです。
この石畳を100mほど下りて行くと、また元の車両通行可の街道跡に出ます。そして直ぐに久山茶屋跡となります。ここで昔は冷たい井戸の水で喉を潤していたそうです。




久山茶屋跡を過ぎ諫早市街地方面へ進んで行きます。長崎自動車道下を通過すると、直ぐの県道138号三つ角下をくぐる小さなトンネルがありました。「長崎街道絵巻通」と名付けられたこのトンネル、街道をタヌキが通る漫画が一面に書かれていました。 下絵を描いたのは「堤けんじ」さん。狸を擬人化した絵が特徴、トンネルの絵のなかには昔、江戸まで象やラクダを連れていった話に基づく漫画も描かれていました。





長崎街道絵巻通を抜けるとしばらく平坦な田園地帯が続きます。途中、道がわからず立ち止まっていると、ちょうど農作業している男性と目が合い、話しかけられました。私が長崎街道をずっと歩いていて、道に迷ってることを説明すると、
「長崎街道の赤松坂は100mほど戻って右折するんだけど、せっかくなので、ちょっと先を入った場所に諫早市の文化財『摩崖仏三十三観音』があるので見ていったら」と勧められました。街道ルートからはちょっと外れますが、これも何かの縁かと寄り道することに。
〇諫江八十八ヶ所 第八十五番札所~さやんごぜん(約3㎞)
教えていただいた摩崖仏三十三観音は、近所の人家横にあった「諫江八十八ヶ所 第八十五番札所」裏の岩山にありました。
ちなみに摩崖仏とは、自然の巨大な岩壁や露岩に直接彫刻された石仏の総称。平安時代を中心に制作され、特に大分県や近畿地方に多く見られます。大分県臼杵市の巨大な摩崖仏は見たことがありますが、ここの摩崖仏は1mもないほどで多数(たぶん33体)あるのが特徴のようです。




摩崖仏を見終わったのが12時近く。昼食が気になり始めましたが、ここまで食堂・コンビニどころか、自動販売機さえ旧街道沿いにはなく。もうしばらく歩き続けることに。
途中先ほどのオジサンに会釈して間違えた分岐まで戻り、赤松坂を上ります。先ほどの久山茶屋付近の石畳に比べるとけっこう荒れてます。途中の人家前で偶然お会いした方によると「イノシシが道を掘り返してるので歩きづらいよ」 とのことでした。

赤松坂を過ぎると1kmほどは住宅街、そして諫早インターチェンジ近くを通過し、次の 1kmほどは諫早貝津工業団地で、しばらく旧街道の雰囲気は全くありません。
やっと東大川近くなり街道休息場所であった「お馬の水」、そして川を渡り、県立農業経営大学横の「さやんごぜん(佐屋ん御膳)」となります。
なお「さやんごぜん」とは、街道沿いの峠や集落の境目に建てられ、悪い病疫、良からぬ者、悪霊、邪鬼など災いの侵入を防ぎ、旅人の安全を祈り、道祖神(どうそじん)や諸神諸仏が祀られたこの場所の呼び名。
ここには明治7年の「佐賀の乱」の際、密使の疑いを受けて暗殺された伊藤鼎之介の墓もあります。



〇さやんごぜん~セブンイレブン諫早市小船越町店(約2㎞)
「さやんごぜん」を過ぎて300mほどで、島原街道との分岐点「島原街道追分」に着きました。




島原街道追分から500mほどで国道34号線、JR長崎本線の下の歩道を通ります。

市街地になりアスファルトの照り返しもきつく、最高気温は22度程度なのでしょうがだいぶ熱く感じられます。諫早市小船越町で街道沿いにセブンイレブンを発見、13時30分過ぎにやっとイートインコーナで昼食です。冷房の効いた店内でほっと一息。
今回はなんとか西九州新幹線の新大村駅まで歩きたいのですが、まだ行程は真ん中ほど、さてこの暑さのなか大丈夫か・・・・

この後の「長崎街道を歩いてみた(2回目)後編」については以下リンクからご覧ください。
【参考】永昌宿から坂本龍馬も歩いた砂糖のみち~400年の歴史 文明開化の長崎街道諫早路を歩く~
https://www.isahaya-kankou.com/i-convention/wp-content/themes/hakkei-convention/pdf/guide13.compressed.pdf
