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長崎街道を歩いてみた【1回目/出島~肥前古賀 前編】

〇月日:2024年3月31日(日)
〇天候:曇(ところにより一時小雨)
〇区間:出島(長崎市出島町)~肥前古賀・福端寺前(長崎市古賀町)

〇歩行距離:約19㎞(肥前古賀からバス停までの移動距離含)
〇所要時間:約7時間(休憩・見学含む)

〇難易度:★★☆☆☆
・市街地が主で歩きやすい小路が多い。
・舗装路が主、日見峠から両方向で一部石段・石畳
・日見峠(標高242m)は街道一の高所

〇出島へのアクセス:JR長崎駅から路面電車約5分

〇肥前古賀・福端寺前へのアクセス:JR諫早駅からJR肥前古賀駅まで普通電車で約15分、JR肥前古賀駅から福端寺前まで徒歩15分

※当日はJR肥前古賀駅を利用しなかったため、福端寺から諫早市の塚原バス停まで徒歩30分、塚原バス停からJR諫早駅までバスで20分かけて移動

〇ルート図

マイマップURL
https://www.google.com/maps/d/edit?mid=1nzABDwDBdN-QGmKmN7N_ClQFksFtZ7M&usp=sharing

〇長崎街道をなぜ歩くことに

長崎街道は、長崎と小倉を結ぶ江戸幕府公認の重要な街道です。全長約224km、25の宿場が設けられていました。当時は貴重だった「砂糖」が運ばれた道でもあり、菓子文化が発展したことから別名「シュガーロード」とも呼ばれています。

長崎街道ルート図(めがのコクラヤHPから https://kokuraya.co.jp/column/)

15年ほど前の佐賀勤務時代、市内の街道跡をランニングしながら「いつか全行程を踏破したい」と思っていました。そして2022年に長崎街道ルート沿いに新幹線が開通したこともあり、さらに想いが強くなりました。
また古賀市図書館で見つけた書籍「図書出版のぶ工房 長崎街道」に詳しいルート図も記載されていたことから、自由となる時間ができればいつかと思っていました。

図書出版のぶ工房 長崎街道(街道毎・県別に詳細ルート記載)

※江戸時代、8代将軍・徳川吉宗への献上品として、ベトナムから長崎に運ばれた象が長崎街道を約2ヶ月半かけて江戸まで歩いたという史実があるため、1巻表紙に当時の象の絵

40年間のサラリーマン生活に区切りがついた2024年3月末、ようやくその一歩を踏み出しました。
大学6年間を過ごした長崎へ。博多駅から特急「リレーかもめ」に乗車、武雄温泉駅からやっと西九州新幹線「かもめ」に初乗車。佐賀県内線路が新幹線が走れるフル規格に対応してないための武雄での乗換、その経緯については長くなるのでここでは記載しないのですが・・なんか今の雰囲気では私の生きてる間には全線開通は難しいような気が。

武雄温泉駅から「新幹線かもめ」に乗車

新幹線の乗車時間は30分足らず、 9時頃に長崎駅到着、10年以上ぶりの駅は新幹線開通に伴いだいぶ様変わり、まだ新駅オープンして間もなく工事途中の箇所も。

長崎駅(2024年3月、手前は当時まだ工事中)

長崎駅から市内電車で出島電停まで、この記念すべき長崎街道の歩き始めはやはり江戸時代の開国の窓口だった出島しかないようです。

長崎駅前電停(ここから出島電停まで乗車)
出島 表門橋


〇出島~「長崎街道ここに始まる」の碑(約2㎞)

出島をスタートし「幕末偉人通り」横断幕のある江戸町商店街を通過、長崎県庁舎跡地前まで坂道を上ります。

江戸町商店街

長崎県庁舎跡地前から国道34号を直進。途中、長崎市立図書館に立ち寄りました。実はここ、電力会社在籍時にグループIT企業に一時出向、その期間システム提案に参加しましたが、諸事情により残念ながら受注に参加できなかった思い出の場所。当時は悲しい思いをしましたが、完成した建物は全面ガラス張りで非常に素敵なビル。 ここはかつての新興善小学校跡地で、原爆投下時には救護所となった場所でもあります。館内の「救護所メモリアル」は是非立ち寄ってほしい原爆のメモリアルスポットです。

長崎市立図書館 前面
長崎市立図書館 内部
図書館1F 救護所メモリアル

(参考)長崎市立図書館パンフレットhttps://lib.city.nagasaki.nagasaki.jp/info/docs/shisetsu23.pdf

予定外の図書館で時間を使ってしまいました。国道34号をさらに直進、途中にある長崎歴史文化博物館、長崎おくんちが開催される諏訪神社など寄りたい箇所はあるのですが、これ以上寄り道すると今日の予定である街道歩きが出来なくなるので我慢
電車線路と合流する新大工町。ここからは国道を離れ横道のシーボルト通りに入ります。シーボルト通りの中ほどに「長崎街道ここに始まる」の碑が。ここから本格的に長崎街道歩きをやるんだとの気持ちに・・

諏訪神社 一の鳥居
シーボルト通り 入口
「長崎街道ここに始まる」の碑


〇「長崎街道ここに始まる」の碑~本河内高部堰堤(約2.3㎞)

「長崎街道ここに始まる」の碑から直ぐの場所に桜馬場天満神社。長崎街道を旅する方は必ずこの神社参りをしたことから、私もこれからの旅の安全を祈願することに。

桜馬場天満神社
桜馬場天満神社境内の説明書

神社からしばらく行くと、シーボルト通りを離れ趣のある石畳の道に変わります。途中道が直角にまがる食違(くいちがい)の階段を降り、蛍茶屋電停横に。

街道沿いの桜馬場公民館(洋館づくりの公民館とは珍しい)
坂本龍馬も長崎街道を通りましたとの説明書
桜馬場、シーボルト通りを離れ石畳の道
桜馬場からの石畳の道
良い感じの石畳の道が続きます。
食違(くいちがい) 突き当りで、ほぼ直角に曲がり下の道へと通じる階段、どうも敵の侵攻を阻み、見通しを遮る効果があるようです。

蛍茶屋電停車庫左横の脇道をまっすぐ進むのが昔の長崎街道なのですが、本来の長崎街道ルートが本河内低部堰堤(貯水池)で水没
そのため現在は電停車庫横を直進し100mほどで右折、中島川にかかる一の瀬橋(石橋)を渡り、国道34号下のトンネルを抜けます。昔の街道ルートに戻れる本河内高部堰堤横までは、国道沿いの歩道を1キロほど歩くあまり趣きのないコースとなります。

蛍茶屋電停車庫の左側の小路が長崎街道ルート
昔の街道ルートが通れないため、一の瀬橋を渡り、国道34号下のトンネルへ
トンネルを抜け、国道34号沿いの歩道へ

本河内一帯は、明治時代以降相次いで貯水池や国道の建設・改修が行われたため、当時の街道ルートを辿ることはできなくなっています。しかし街道沿いにあった供養塔や墓碑などの多くは、国道34号沿いの山手に移設され今なお残されています。
しばらく国道沿い歩道を歩いていると、本河内高部堰堤に降りる脇道が見えてくるので、この道を本河内高部堰堤に向かいます。

渡鳥塚(句碑)※松尾芭蕉の門下の俳人が120回忌に当たり墓地に建立
現状の本河内地区長崎街道ルート(国道34号線歩道)
国道から本河内高部堰堤に向かう脇道

11時半前にやっと堰堤到着。ここから一気に長崎街道一の難所「日見峠」を目指したいのですが、予定になかった雨も降りだしました。スマホの雨雲レーダー情報ではしばらくしたら止みそうだったので、堰堤内の公園で休憩兼ねて15分程度雨宿り、これから日見峠を目指すこになるのですが・・・・

本河内高部堰堤
本河内高部堰堤の説明書(明治24年完成 日本最初のダム式水道設備らしい)
堰堤貯水湖 中央は水を循環させ浄化・維持するための装置


〇「長崎街道を歩いてみた(1回目)前編」の補足

初めての街道歩きの記録(ログ)。どういった表現が適切か悩みながらのPC入力でしたので手間取りました。これから同様な取り組みされる方の参考になればと考えています。なお以下のことを補足させていただきます。

・今後全ての区間に言えることですが、長崎街道の案内標識は要所にあります(長崎市内は比較的多く数10m~数100m間隔)、それでも万が一標識を見落とすと誤ったルートに行く可能性大です。
私の様に前出の書籍「長崎街道」詳細ルートコピーとスマホ地図アプリを都度確認し歩くか、全国の街道ルート地図情報を公開しているサイト(GPSCyclingなど)をスマホで都度確認されることをお勧めします。

・この日のメイン・の見所は「日見峠」区間となりますので、そこについてはこれからログ作成予定の後編をお楽しみください。なお日見峠超え前に使える公衆トイレは本河内高部堰堤の公園が最後となります。

・街道歩きに時間をかけられず、長崎街道の触り程度を経験したい方には蛍茶屋電停まで歩き、電車で長崎駅まで帰るのもありかと思います。

・今回記載したルートについては、街中が多く、舗装した道路・通路がほとんどなので特別な服装・装備などは必要ありません。ただ市街地過ぎるとコンビニ・自動販売機など少ないので、脱水症状を防ぐためのドリンク類やオニギリなどの軽食、傘・カッパなどをリュックに入れてると安心です。

・なお今回の前編ルート図は以下のとおりです。

今回の前編ルート図(青太線ルート)

この続き(後編)について以下リンクから


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