父親として、働き方を選び直した 〜育休を取りたかったのではなく、子どもが小さい時間を一緒に生きたかった〜
これから育休を取った話というより、
父親として、自分がどこに立つかを選び直した話をしようと思います。
育休を取りたかったのではない
転職した理由を一言で言うなら、
「育休を取りたかったから」ではない。
もちろん、育休を取れる会社であることは大事だった。
制度があること。
実際に使える空気があること。
子どもが生まれた時に、父親が休むことを受け入れてもらえること。
それは本当に大きかった。
でも、僕が本当に欲しかったのは、休みそのものではなかった。
子どもが小さい時間を、妻任せにせず、自分も一緒に生きたかった。
赤ちゃんの時期は戻らない。
上の子が小さい時期も戻らない。
「パパ」と呼んでくれる時間も、
一緒に寝る時間も、
手をつないで出かける時間も、
その時にしかない。
だから僕は、働き方を選び直した。
ただ、これは前の会社が嫌だったという話ではない。
むしろ、前の会社はかなり楽しかった。
全国勤務も、青森での1年も、出張も、レジデントも、かなり学びが多かった。
人にも恵まれていたし、尊敬できる上司もいた。
それでも、自分が作りたい家庭像から逆算すると、
その働き方のままでは難しいと思った。
だから、父親として、自分がどこに立つかを選び直すことを考えた。
前の会社が嫌で辞めたわけではなかった
前の会社が嫌で辞めたわけではない。
これは、最初にちゃんと言っておきたい。
新卒で入った会社では、全国勤務コースを選んだ。
1年目は、3ヶ月ごとにいろいろな店舗を回った。
知らない土地に行き、知らない薬局に入り、知らない人たちと働いた。
大変だった。
でも、面白かった。
土地ごとに薬局の空気は違う。
病院との関係も違う。
患者さんとの距離感も違う。
先輩の教え方も、事務さんとの関係も、地域の生活感も違う。
3ヶ月しかいないから、早く馴染まないといけない。
早く馴染めば馴染むほど、教えてもらえることが増える。
だから、わからないことはわからないと言った。
前の店舗で知ったことも、「前の店舗ではこうでした」と、押しつけないように伝えた。
薬剤師としての勉強もありながら、
人間関係を作る力も、知らない土地に入る力も、かなり鍛えられたと思う。
2年目には、青森で1年間働いた。
3ヶ月ごとの異動とは違って、同じ町で1年働くと、また見えるものが変わった。
患者さんと話す回数が増える。
同じ人に何度も会う。
少しずつ関係ができていく。
薬剤師として考えることも増える。
仕事だけではなかった。
趣味も増えた。
友人も増えた。
ご飯も、お酒も、土地の空気も、かなり楽しんでいた。
だから、繰り返すけれど、前の会社が嫌だったわけではない。
仕事は楽しかった。
人にも恵まれていた。
経験も積ませてもらった。
ただ、結婚して、子どもを考えた時に、問いが変わった。
⸻
楽しい仕事と、作りたい家庭は、同じ方向を向いていなかった
青森にいた頃から、結婚は見据えていた。
大学時代から付き合っていた彼女がいた。
今の妻だ。
青森にいながらプロポーズの準備をした。
関西と青森の中間のような感覚もあって、東京でプロポーズをした。
結婚を考えるなら、まず関西に戻らないといけない。
そう思って、関西に戻してもらった。
でも、関西に戻ったからといって、すぐ家庭に近づいたわけではなかった。
出張が多かった。
大阪にいるのは、月の半分くらいだったと思う。
ほぼ全国を飛び回っていた。
3年目には病院でレジデント研修も経験した。
その後も出張は多かった。
薬剤師としては学べることが多かったし、面白い経験もたくさんあった。
でも、だんだん思うようになった。
仕事としては楽しい。
キャリアとしても悪くない。
でも、自分が作りたい家庭像とは違う。
僕の中にある家庭の原風景は、かなり普通のものだ。
父がいて、母がいて、姉がいて、自分がいる。
4人家族で、同じ家に帰る。
特別に派手な暮らしではないけれど、家に誰かがいる。
ご飯がある。
しょうもないことで笑う。
自分も、そういう家庭を作りたいと思っていた。
でも、全国を飛び回る働き方を続けたまま、
子どもが生まれた時に、自分は家にいられるのだろうか。
妻がしんどい時に、横にいられるのだろうか。
子どもが小さい時期に、ちゃんと父親としてそこにいられるのだろうか。
その問いからは、逃げられなかった。
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尊敬する上司がいた。それでも辞めるしかなかった
退職を伝えた時、上司はかなりショックを受けていたらしい。
その上司のことは、今でもかなり尊敬している。
話がうまくて、人を見るのもうまい人だった。
その人が何を大事にしているのか。
お金なのか。
環境なのか。
キャリアなのか。
そういうものを見ながら、ちゃんと提案できる人だった。
マネージャーとして、本当に一流の人だったと思う。
辞める時も、ただ「辞めるな」と言うのではなく、
「こういう方法はどうか」
「こういう選択肢はどうか」
と考えてくれた。
でも、たぶん引き止める方法はなかった。
僕は会社が嫌になって辞めるわけではなかった。
経験にも、人にも、かなり恵まれていた。
全国勤務も楽しかった。
青森での1年も良かった。
出張も、レジデントも、かなり学びがあった。
だから、不満を直してもらえれば残る、という話ではなかった。
自分の中では、結婚して、子どもを考えて、家庭を作る次のステップとして、
この会社ではない、という整理になっていた。
この会社で経験させてもらったことには感謝している。
不満で辞めるわけではない。
でも、自分の理想の家庭像から逆算すると、次に進む必要がある。
そういう話だった。
退職の時、他の人なら1時間、2時間話すこともあったらしい。
でも僕の時は、10分くらいで終わった。
それは冷たかったからではなく、
理由がもう、会社の中で解決できるものではなかったからだと思う。
僕が欲しかったのは、条件の改善だけではなかった。
子どもが小さい時間を、父親として一緒に生きられる働き方だった。
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引き返せなくなる前に、働き方を選び直した
上司は、僕のキャリアをかなり考えてくれていたと思う。
期待もしてくれていたと思う。
それはありがたかった。
でも同時に、その期待に乗ると、もう辞めにくくなる感覚もあった。
役割が増える。
責任が増える。
会社の中での立場ができる。
次のキャリアが始まる。
そうなってからでは、家庭に軸足を移すのがもっと難しくなる気がした。
たぶん、1年遅かったら違っていた。
役職がついていたかもしれない。
会社の中での責任が増えていたかもしれない。
そうなっていたら、辞める判断はもっと難しかったと思う。
子どもとの時間も、夫婦の形も、今とは違っていたかもしれない。
だから僕は、会社が嫌になって辞めたというより、
引き返せなくなる前に、働き方を選び直したのだと思う。
前の会社は、かなりワークが強い会社だった。
仕事に人生を預けられる人が強い環境だったと思う。
上司の中には、家が2つあるような働き方をしている人もいた。
それはそれで、すごいことだと思う。
仕事に全力で向き合う。
求められる場所に行く。
会社の中で役割を広げる。
そういう働き方にしか見えない景色もある。
でも、自分が思い描いていた家庭像とは違った。
僕は、家に帰りたかった。
子どもが生まれた時に、家にいたかった。
妻と一緒に家庭を回したかった。
だから、ワークがさらに強くなる前に、働き方を選び直す必要があった。
⸻
転職活動中に、子どもができた
本当は、転職してから子どもを考えるつもりだった。
でも、転職活動中に妻が妊娠した。
ここで、働き方の意味がさらに変わった。
もう、いつか子どもができたら、ではない。
実際に子どもができた。
父親になる。
だからこそ、転職先を見る目もかなり現実的になった。
育休は取れるのか。
休みはどうか。
勤務時間はどうか。
年間休日はどうか。
子どもが生まれた後に、家庭を回せるのか。
面接でも、妻が妊娠していることは正直に伝えた。
入社してすぐ、迷惑をかける可能性がある。
その前提も含めて話した。
それでも受け入れてくれる会社を選べたことは、本当に大きかった。
前職で積んだ経験もあった。
全国勤務。
大きい店舗。
総合病院前。
がん領域。
在宅。
病院薬剤師の経験。
どこでも働ける自信は、ある程度あった。
でも、自信だけでは家庭は作れない。
子どもが生まれた時に、ちゃんと休めるか。
妻がしんどい時に、家にいられるか。
家庭の事情を、最初から伝えても受け入れてくれる会社か。
そこが大事だった。
⸻
子どもが小さい時間を、一緒に生きたかった
育休を取りたい。
そう言うと、制度の話に聞こえるかもしれない。
もちろん、制度は大事だ。
育休が取れる会社であることは本当にありがたい。
でも、自分が欲しかったのは、育休という制度そのものではなかった。
休みたかったわけでもない。
仕事から逃げたかったわけでもない。
子どもが小さい時間を、一緒に生きたかった。
赤ちゃんの時期は戻らない。
初めて寝返りする時間も、
初めて笑う時間も、
初めて歩く時間も、
どんどん過ぎていく。
上の子がまだ小さい時期も、戻らない。
「パパ」と呼んでくれる時間も、
一緒に寝る時間も、
手をつないで出かける時間も、
全部、その時しかない。
仕事でしか得られない経験があるように、
家庭にも、その時期にしか得られない経験がある。
僕は、その時間を見逃したくなかった。
妻だけに子育てを任せるのではなく、
自分も父親として、その時間の中にいたかった。
だから、働き方を選び直した。
⸻
転職してよかったと思う瞬間
転職してよかったと思う瞬間は、意外と大きな出来事ではない。
毎日家に帰る。
子どもと一緒に寝る。
休みの日に3歳の子と2人で出かける。
「パパ」と呼ばれる。
パパがいることが、子どもにとって当たり前になっている。
それだけのことかもしれない。
でも、僕にとってはそれが大きかった。
全国を飛び回る働き方を続けていたら、こうはならなかったかもしれない。
家に帰った時、子どもが父親の顔に慣れていない、という話も聞く。
それが悪いという話ではない。
いろんな家庭があるし、いろんな働き方がある。
でも自分は、子どもが小さい時間を、できるだけ一緒に生きたかった。
今、子どもが「パパ」と言ってくれる。
3歳の子と2人で出かけられる。
2人目の出産で妻が入院していた時も、家を回すことができた。
妻が少し自分の時間を取れるようにもなった。
その日常があるだけで、あの時に働き方を選び直してよかったと思う。
⸻
家庭も、仕事も、どちらもワークでライクになった
ただ、話はそこで終わらない。
転職して、家庭に軸を置ける会社に入った。
1人目の時も休めた。
2人目の時には育休も取れた。
だから、あの時の選択は間違っていなかったと思う。
でも、ワークとライクのバランスは、一度決めたら終わりではない。
今、また仕事が面白くなっている。
店長も経験した。
責任は増えた。
次はエリア長やマネジメントの方に片足を突っ込む時期なのかもしれない。
研修も、採用も、人事も、正直おもしろそうだと思っている。
つまり、仕事にもライクがある。
一方で、家庭もただの癒やしではない。
子育て。
家事。
妻との調整。
義母の協力。
家の運営。
子どもの体調。
時間の使い方。
将来設計。
家庭にも、やるべきことはたくさんある。
でも、それでも家族と一緒にいる時間は好きだ。
子どもの成長を見るのは楽しい。
家族で過ごす時間は、自分にとって大事なライクでもある。
昔は、仕事がワークで、家庭がライクだと思っていた。
でも今は違う。
仕事にも、やるべきことと好きなことがある。
家庭にも、やるべきことと好きなことがある。
だから僕にとってのライクバランスは、
仕事と家庭のどちらを取るか、という話ではない。
どちらにもあるワークとライクを、
今の家族の形に合わせて選び直し続けることなのだと思う。
⸻
小さい時間を、一緒に生きる
あの時、転職したことで、僕は子どもが小さい時間を一緒に生きることができた。
1人目の時も休めた。
2人目の時は育休も取れた。
家族の生活に、父親として入ることができた。
だから、あの時の選択は間違っていなかったと思う。
ただ、これからも悩むと思う。
仕事で期待される自分がいる。
家庭を大事にしたい自分もいる。
マネジメントもやりたい。
でも、子どもとの時間も手放したくない。
たぶん、この悩みは終わらない。
それでも、ひとつだけはっきりしている。
僕は育休を取りたかったのではない。
子どもが小さい時間を、
妻任せにせず、
父親として一緒に生きたかった。
そしてこれからも、家族と仕事の間で、
自分がどこに立つのかを選び続けるのだと思う。
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