料理好きの僕と、料理が苦手な妻。二人で見つけた「家事のみかた」
料理好きの僕と、料理が苦手な妻。
同じ台所に立っていても、見えている景色はかなり違っていた。
僕にとっては「茹でるだけ」「焼くだけ」「チンするだけ」に見えることが、妻にとっては、いくつもの工程と判断の連続だった。
その違いに気づいた時、僕の中で家事の見方が少し変わった。
レンジは、料理が苦手な人が台所に立つための入口だった
妻は昔、こう言っていた。
「カップラーメンにお湯を入れて3分待ったら料理でしょ。だから私は料理ができる」
たぶん、これを聞いた多くの人は笑うと思う。
「いや、それは料理じゃないでしょ」と言いたくなる人もいると思う。
でも僕は、わりと本気で思っていた。
いや、あれも料理でいいんじゃないか、と。
料理は、ゼロから手作りすることだけではない。
食べものを、自分や家族が食べられる状態に整えること。
そう考えるなら、カップラーメンだって、ちゃんと料理の入口だと思う。
お湯を沸かす。
フタを開ける。
かやくやスープを確認する。
線までお湯を入れる。
3分待つ。
スープを入れる。
混ぜる。
好みの硬さで食べる。
ちゃんと工程がある。
それを「料理じゃない」と笑ってしまうと、料理が苦手な人の入口は、かなり狭くなる気がしていた。
家事の中でも、料理は少し特殊だと思う。
掃除や洗濯にも、もちろん大変さはある。
でも料理には、なぜか「ちゃんと作らないといけない」という空気がある。
冷凍食品を使うと、少し手抜きに見える。
惣菜を皿に盛るだけだと、料理とは言いにくい。
カップラーメンにお湯を入れただけでは、さすがに料理ではないと言われるかもしれない。
でも、本当にそうだろうか。
料理が得意な人にとっては、
「切るだけ」
「茹でるだけ」
「焼くだけ」
「チンするだけ」
で済むことでも、料理が苦手な人にとっては、そこにたくさんの迷いがある。
どれくらい切るのか。
どれくらい茹でるのか。
火加減はどうするのか。
何ワットで何分なのか。
そもそも、どの皿に入れればいいのか。
料理が苦手な人に必要なのは、いきなり難しいレシピに挑戦することではなく、
「これなら自分にもできる」と思える入口なのかもしれない。
うちの場合、その入口になったのがレンジだった。
料理は、買い物の時点でもう難しい
料理が難しいのは、台所に立ってからだけではない。
そもそも、料理をするには買い物に行かないといけない。
これが、意外と難しい。
玉ねぎは1個でいいのか。
3個入りを買うのか。
にんじんは何本いるのか。
ピーマンは余ったらどうするのか。
ミンチはどれを買えばいいのか。
今この野菜は高いのか、安いのか。
季節の野菜なのか、そうではないのか。
料理ができる人は、スーパーを歩きながら自然に判断している。
冷蔵庫に玉ねぎがある。
にんじんがある。
じゃがいもがある。
冷凍庫に肉がある。
冷凍ねぎがある。
油揚げがある。
そういう前提があって、そこから献立を組み立てている。
でも、料理が苦手な人にとっては、そこがもう難しい。
一日だけ料理しようと思って買い物に行く。
でも、玉ねぎは3個入りで売っている。
にんじんも余る。
ピーマンも余る。
買った食材を使い切れない。
料理をした結果、余った食材という次の宿題が増える。
これはかなり重い。
一度、妻が夏に大根を買ってきたことがある。
僕はその時、つい言ってしまった。
「夏に大根?高いやん」
今思うと、あれは失敗だった。
妻は料理をしようとして、大根を買ってきただけだった。
でも僕の一言で、
「今は大根で料理しちゃダメなんだ」
と思わせてしまったかもしれない。
料理ができる人にとっては、
「冬の大根は安い」
「夏の大根は高い」
「旬の野菜を使う方がいい」
という感覚は、わりと普通かもしれない。
でも、料理が苦手な人からすると、そんなことは最初からわからない。
料理は、切る前から難しい。
スーパーで何を買うか。
買ったものをどう使い切るか。
余った食材を次にどう回すか。
そこまで含めて料理なら、料理はかなり高度な家事だと思う。
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「茹でるだけ」にも、つまずきは隠れている
料理が得意な人は、よく言う。
「ゆで卵なんて、茹でるだけだよ」
たしかに、慣れている人からすればそうかもしれない。
でも料理が苦手な人の目線で見ると、「茹でるだけ」の中には、かなりたくさんの工程が隠れている。
鍋を出す。
水を入れる。
火をつける。
お湯が沸くまで待つ。
火加減を見る。
卵を割れないように入れる。
熱湯が怖い。
何分茹でるか考える。
タイマーをつける。
お湯を捨てる。
ザルを用意する。
卵を冷ます。
殻をむく。
むき方によっては、白身がボロボロになる。
こうやって分解してみると、ゆで卵は全然「茹でるだけ」ではない。
しかも、料理が苦手な人にとっては、ひとつひとつが判断になる。
火はどれくらい?
お湯はどれくらい?
卵はどうやって入れる?
手で入れると熱そうだけど、お玉を使えばいいの?
何分茹でる?
冷ます時間は?
きれいに殻をむくにはどうする?
料理に慣れている人は、こういう判断をほとんど無意識に処理している。
だから「簡単」と言える。
でも、苦手な人からすると、全部がつまずきポイントになる。
料理が得意な人の「茹でるだけ」には、料理が苦手な人のつまずきが大量に隠れている。
これは、妻を見ていて気づいたことだった。
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レンジは「こんぐらい」を「何ワットで何分」に変えてくれる
うちには、レンジでゆで卵を作る専用の道具がある。
もちろん、卵をレンジで扱う時は、専用の道具や説明書に従う必要がある。
そこは大前提だ。
でも、専用の道具を使えば、工程はかなり変わる。
水を入れる。
卵を置く。
レンジに入れる。
何ワットで何分。
これでできる。
もちろん、最後に殻をむく必要はある。
でも、鍋を出して、火をつけて、沸騰を待って、熱湯に卵を入れて、火加減を見る工程がかなり減る。
これは大きい。
料理が苦手な人にとって、レンジのすごさは時短だけではない。
レンジは、料理の中にある曖昧な部分を減らしてくれる。
「火はこのくらい」
「ちょっと弱めて」
「様子を見ながら」
「いい感じになったら」
こういう言葉は、料理に慣れている人には通じる。
でも、苦手な人にはかなり難しい。
その点、レンジはわかりやすい。
何ワットで何分。
この数字に落とし込めるだけで、料理のハードルはかなり下がる。
もちろん、レンジにも難しさはある。
でも、よく使うものはメモにして貼っておけばいい。
ゆで卵は何ワットで何分。
パスタは何分。
レンジメートで魚は何分。
そうやって見える場所に置いておくだけで、迷いが減る。
料理が苦手な人に必要なのは、気合いではなく、次に何をすればいいかが見えることなのかもしれない。
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パスタは、鍋で茹でるよりレンジの方が入りやすかった
パスタも同じだ。
普通にパスタを茹でるとなると、これも意外と工程が多い。
鍋を出す。
水を入れる。
お湯を沸かす。
パスタを入れる。
吹きこぼれを気にする。
時間を測る。
ザルにあける。
お湯を捨てる。
鍋とザルを洗う。
料理に慣れている人からすれば、いつもの流れかもしれない。
でも、苦手な人にとっては、火を見ること、時間を見ること、ザルを使うこと、洗い物が増えることが全部負担になる。
レンジ用のパスタ茹で器は、その工程をかなり減らしてくれる。
容器にパスタを入れる。
水を入れる。
レンジに入れる。
時間を合わせる。
道具が、やることを指定してくれる。
これはかなり大きい。
茹でたパスタに市販のソースを和えれば、それだけで一食になる。
少し慣れてきたら、フライパンでにんにくや具材を軽く炒めて、ペペロンチーノみたいなものにも進める。
でも、最初からそこまで行かなくていい。
まずは「茹でる」をレンジに任せる。
料理を覚えるというより、まずは道具に案内してもらう。
その感覚が、妻には合っていたのだと思う。
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レンジメートで、魚が「出せる料理」になった
レンジメートで一番大きかったのは、魚だった。
魚を焼くという家事は、料理が苦手な人にとってかなりハードルが高い。
フライパンで焼くだけでも、火加減を見る必要がある。
焦げるかもしれない。
ひっくり返すタイミングも難しい。
それがグリルになると、さらに怖い。
中が見えにくい。
火加減もわかりにくい。
網に魚がくっつく。
受け皿に水を入れるのか、油を塗るのか、どこまで引き出していいのかも迷う。
変に引き出して、油や水が床にこぼれたら最悪だ。
料理に慣れている人にとっては当たり前でも、料理が苦手な人からすると、グリルはかなり高度な道具だと思う。
でもレンジメートは違った。
魚を置く。
フタをする。
レンジに入れる。
チンする。
裏返す。
もう一度チンする。
これで魚が焼ける。
もちろん、食材や道具の説明に従うのが前提だ。
冷凍のまま使えるかどうかも、本来は商品や器具の説明を確認した方がいい。
ただ、うちでは冷凍の切り身をストックしておいて、レンジメートで魚を出すことがかなり多くなった。
ちゃんと解凍してから焼いた方がおいしいのかもしれない。
グリルで焼いた方が香ばしいのかもしれない。
でも、うちではこれで十分だった。
冷凍庫に魚があれば、買い物に行けない日でも主菜が出せる。
魚を焼くためにグリルと戦わなくていい。
火を見続けなくていい。
洗い物の心理的負担も少ない。
レンジメートで魚が焼けるようになった時、料理の段階が一つ変わった気がした。
ゆで卵やパスタは、料理の入口だった。
でも魚は、食卓のメインになる。
「レンジで何か作れる」から、
「レンジで晩ごはんの主菜を出せる」へ。
これは、うちにとってかなり大きな革命だった。
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ただし、レンジメートは万能ではない
ここで一つ、注意しておきたいことがある。
レンジメートは便利だ。
でも、万能調理器として考えすぎない方がいいとも思っている。
僕の感覚では、料理が苦手な人が最初に使うなら、まずは魚。
それから、目玉焼きやハムエッグくらいがちょうどいい。
ここから先の応用料理は、料理ができる人でも意外と難しい。
蒸す感じが強く出たり、油を敷くと油が回りすぎたり、思った仕上がりにならないこともある。
食材の水分量によっても変わるし、レンジメートなら何でも簡単においしくなる、というわけではない。
僕自身、レンジメートの本格的な使い方は今でも研究中だ。
むしろ、レンジメートの応用料理は、初心者向けではない。
感覚としては、ハンバーグよりさらに上の段階にあると思っている。
だからレンジメートは、
「何でも作れる道具」としてではなく、
「魚を焼くという高い壁をひとつ低くしてくれる道具」
として見るのが、初心者には一番いいと思う。
料理を全部簡単にする道具ではない。
でも、魚を焼くという大きな壁を低くしてくれる。
それだけで、家のごはんはかなり変わる。
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冷凍食品は、実は応用編だった
レンジに慣れてくると、次に冷凍食品がある。
普通は、冷凍食品こそ初心者向けに見える。
袋から出して、レンジでチンするだけ。
そう思われがちだ。
でも実際は、冷凍食品には判断が多い。
何個温めるのか。
600Wなのか、500Wなのか。
何分なのか。
袋のままなのか。
トレーを切るのか。
皿に出すのか。
レンジのどこに置くのか。
温めすぎると縮む。
水分が飛んで硬くなる。
足りないと中が冷たい。
お弁当の温め直しも、実は難しい。
人によって好みが違うし、温めすぎると食感が変わる。
ごはんとおかずで温まり方も違う。
特に冷凍チャーハンは、料理ができる人でも意外と難しい。
一回温めて、混ぜて、また温める。
広げ方によってもムラが出る。
何も考えずにチンすると、熱いところと冷たいところができる。
つまり冷凍食品は、「チンするだけ」に見えて、かなり自分で判断することが多い。
ゆで卵器やパスタ茹で器やレンジメートは、道具が使う場所を指定してくれる。
でも冷凍食品は、置き方も、皿も、個数も、時間も、自分で考える部分が多い。
だから冷凍食品は、レンジ初心者向けというより、実はレンジ理解の応用編に近い。
ここも、料理が得意な人ほど見落としやすいところだと思う。
「チンするだけでしょ」
その「だけ」の中にも、苦手な人のつまずきはちゃんと隠れている。
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味噌汁が作れると、料理は少し変わる
レンジメートで魚が出せるようになった後、次に大きいのは味噌汁だと思う。
味噌汁は、かなり優秀な料理だ。
乾燥わかめ。
冷凍ねぎ。
切った油揚げ。
豆腐。
卵。
こういうストックしやすい食材で作れる。
味噌汁が作れると、
温める。
具材に火を通す。
味噌を溶く。
卵を落とす。
卵を溶く。
待つ。
こういう基本動作が一気に練習できる。
そして何より、味噌汁が作れると、魚と合わせて献立になる。
ごはん。
魚。
味噌汁。
これだけで、ちゃんと晩ごはんになる。
レンジメートで魚を温めている間に、味噌汁を作る。
これができるようになると、料理はかなり実用的になる。
そして味噌汁は、次の料理への橋にもなる。
味噌汁が作れると、煮物や鍋にも進みやすい。
なぜなら、具材に火が通るまで待つ感覚が少しわかるからだ。
レンジは「何ワットで何分」と数字で料理を教えてくれる。
でも、ここから先は少しずつ、目で見る料理になっていく。
大根がやわらかくなったか。
にんじんに火が通ったか。
豆腐が温まったか。
卵がどれくらい固まったか。
もちろんタイマーを使ってもいい。
むしろ使った方が安心なこともある。
でも、味噌汁や鍋や煮物は、
「見ながら待つ」
という感覚を育ててくれる。
レンジから始まった料理が、少しずつ目視の料理に移っていく。
味噌汁は、その橋になる料理だと思う。
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ハンバーグは、最後の総合問題だった
味噌汁や鍋、煮物で「火が通るまで待つ」感覚が少しわかってくると、次は焼くだけ、炒めるだけに進みやすくなる。
肉を焼く。
野菜を焼く。
炒める。
レンジで蒸し野菜を作る。
卵焼きや親子丼のような卵料理に進む。
ここまで来ると、料理の自由度はかなり上がる。
ただし、自由度が上がるということは、判断も増えるということだ。
焦げていないか。
火が通っているか。
油は多すぎないか。
野菜はしんなりしたか。
肉の中は赤くないか。
卵はどれくらい固まったか。
レンジのように「何ワットで何分」で全部決まるわけではない。
だから、いきなりここに来ると難しい。
でも、味噌汁や鍋で「待つ」「見る」に慣れていると、少し入りやすくなる。
そして、そのさらに先にハンバーグがある。
ハンバーグは、家庭料理の代表みたいな顔をしているけれど、実はかなり難しい。
材料を買う。
ミンチを用意する。
冷凍していたら解凍する。
玉ねぎやにんじんを用意する。
皮をむく。
みじん切りにする。
野菜を炒める。
冷ます。
肉に下味をつける。
塩こしょうの量を考える。
こねる。
形を整える。
焼く。
ひっくり返す。
蒸す。
中まで火が通ったか確認する。
ソースを作る。
盛り付ける。
これは、かなり上級だ。
特にみじん切りは難しい。
包丁に慣れていない人にとって、野菜を細かく切るだけでもかなり時間がかかる。
ピーラーも、慣れていないと怖い。
手を切りそうになると、それだけでやめたくなる。
料理に慣れている人は、これらをまとめて「ハンバーグ」と呼ぶ。
でも、苦手な人にとっては、数えきれないほどの小さな壁の集合体だ。
カップラーメンから、いきなりハンバーグへ行く。
それは階段を何段も飛ばしているようなものだと思う。
だから失敗しやすい。
そして失敗すると、こうなる。
「やっぱり私は料理ができない」
でも本当は、できないのではなく、階段の段差が大きすぎただけかもしれない。
ハンバーグは、料理の入口ではない。
料理の階段をいくつも上がった先にある、総合問題だった。
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失敗してもいい回数を増やす
料理ができる人だって、実はよく失敗している。
少し焦げた。
少し硬い。
少し味が薄い。
少し温めムラがある。
卵がちょっと崩れた。
でも、それを毎回「失敗」とは呼ばない。
「まあ食べられるし、いいか」
「次はもう少し短くしよう」
「今日はちょっと硬かったな」
そうやって、食卓に出している。
料理が苦手な人に必要なのは、失敗しないことではない。
失敗しても大丈夫な回数を増やすことだと思う。
一回の失敗で、
「やっぱり私は料理ができない」
になってしまうと、そこで入口が閉じてしまう。
だから最初は、失敗してもダメージが少ないものがいい。
カップラーメン。
レンジゆで卵。
レンジパスタ。
レンジメートの魚。
味噌汁。
そういうところから、少しずつ失敗して、少しずつ調整していけばいい。
料理は、成功だけで覚えるものではない。
失敗しても戻ってこられる入口があることが大事なのだと思う。
⸻
妻は、レンジから料理に入っていった
妻は料理ができない人ではなかった。
ただ、料理に入るための道が遠かった。
最初は、カップラーメンも料理だと言っていた。
僕はそれを、わりと本気で肯定していた。
そこから、レンジでゆで卵を作れるようになった。
パスタ茹で器を使えるようになった。
レンジメートで魚を焼けるようになった。
味噌汁も作れるようになった。
冷凍食品やお弁当の温めも、少しずつ扱えるようになった。
これは、妻だけの変化ではなかった。
僕にとっても、かなり大きな変化だった。
料理が苦手な人にとって、
「何ワットで何分?」
「これはどう温めるの?」
「この皿でいいの?」
という疑問は、ひとつひとつ大きい。
でも、聞かれる側にとっても、毎回同じことを説明するのは意外としんどい。
子どもが生まれる前なら、それでもよかった。
一緒に台所に立って、説明して、横で見ていればよかった。
でも子どもが生まれてからは、そうはいかなくなった。
抱っこしている。
泣いている。
おむつを替えている。
上の子に呼ばれる。
下の子も見ないといけない。
こっちも料理している。
その中で、毎回細かい説明をする余裕はなかなかない。
一人目が生まれた頃にレンジメートと出会って、妻が魚を出せるようになったことは、うちにとってかなり大きかった。
妻が自分でできることが増える。
僕が毎回説明しなくてよくなる。
食卓に主菜が出る。
子どもを見ながらでも、家のごはんが少し回る。
それは、ただの時短ではなかった。
家事を、得意な人だけが背負う形から、
苦手な人も参加できる形に変えてくれた。
その意味で、レンジは妻だけの味方ではなく、夫婦の味方だった。
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料理は、家族が食べられる形に整えること
僕は、冷凍食品や惣菜を使うことも料理だと思っている。
冷凍食品を温める。
惣菜を買ってくる。
皿に盛る。
野菜を少し足す。
味噌汁をつける。
弁当に詰める。
それは、ゼロから作っていないかもしれない。
でも、家族が食べられる形に整えている。
それはもう、立派な家事だと思う。
料理を「手作りかどうか」だけで見ると、できないことばかりが目につく。
でも料理を、
「食べられる状態に整えること」
として見ると、できることは一気に増える。
カップラーメンにお湯を入れることも。
レンジでゆで卵を作ることも。
パスタをレンジで茹でることも。
魚をレンジメートで焼くことも。
冷凍食品を温めることも。
惣菜を皿に盛ることも。
全部、台所に立つための入口になる。
⸻
レンジは、料理が苦手な人の味方だった
料理が苦手な人に必要なのは、いきなり料理を好きになることではない。
まずは、
「これならできる」
と思える入口を作ることだと思う。
その入口があるだけで、少しずつできることは増えていく。
料理は、得意な人だけが背負うものではない。
苦手な人も参加できる形に、家の方を変えていけばいい。
レンジは、料理をサボるための道具ではなかった。
手抜きの象徴でもなかった。
料理が苦手な人が、台所に立つための入口だった。
そして同時に、
料理好きの僕が、全部を背負いすぎないための道具でもあった。
妻ができることが増えると、
僕が楽になる。
僕が楽になると、
家の空気も少し楽になる。
子どもがいる毎日の中で、その差は思っていた以上に大きかった。
カップラーメンにお湯を入れて3分待つことも。
レンジで卵を温めることも。
冷凍食品を皿に盛ることも。
レンジメートで魚を焼くことも。
ちゃんと家事で、ちゃんと料理だ。
そして、そこから始めていい。
家事の味方は、便利な家電そのものだけではない。
苦手な人でも参加できる形に、家事の見方を変えてくれること。
得意な人だけが抱え込まなくていい形に、家の仕組みを変えてくれること。
それもまた、家事のみかたなのだと思う。
料理好きの僕と、料理が苦手な妻。
二人で見つけた「家事のみかた」は、
レンジから始まったのかもしれない。
このマガジンでは、料理が苦手な人でも台所に立てるようになる家事の工夫を、レンジ、レンジメート、電気圧力鍋、冷凍食品、惣菜などの実例から少しずつ書いていきます。
家事は、得意な人だけが背負うものではなく、苦手な人も参加できる形に変えていけるものだと思っています。
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