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ハラスメント社会で、本当に潰れているのは“まともな人”だ

ハラスメントという言葉は、本来、人を守るために生まれた。

でも今、その言葉で一番苦しくなっているのは、 本当に人を傷つけるヤバい奴ではなく、 「人を傷つけたくない」と思っているまともな人たちなんじゃないか。

本当にヤバい奴は、ルールが増えても止まらない。

止まるのは、最初から気をつけている人間だけだ。

ここに、今のハラスメント社会の一番気持ち悪い歪みがある。


ハラスメントは、絶対に軽く見ていいものじゃない

まず前提として、ハラスメントはちゃんと取り締まられるべきだと思っている。

これは綺麗事じゃない。

僕自身、パワハラまがいのことを受けたことがある。

腹を殴られたこともある。
自分だけ休みを取らせてもらえなかったこともある。
定時で帰っていたら、明らかに自分だけ仕事を増やされたこともある。

だから、ハラスメントに対してはかなり厳しい方だと思う。

「最近は何でもパワハラって言われるから生きづらいよな〜」

そう言う人を見ると、正直ちょっと警戒する。

なぜなら、そういう人ほど、自分が誰かの境界線を踏み越えていることに無自覚だったりするからだ。

(かつてのカス上司もこうだった)

昔は、それが許されすぎていた。

上司だから。
先輩だから。
会社のためだから。
成長のためだから。
お前のためだから。

そういう言葉で、人を傷つけることが正当化されていた。

うん・・・オカシイ。

だから、ハラスメントという言葉が広がったこと自体は、間違いなく意味がある。

名前がついたことで、救われた人はいる。 「自分が弱いだけじゃなかった」と気づけた人もいる。

そこは絶対に否定しない。


でも、今の職場には別の地獄が生まれている

問題はここからだ。

ハラスメントをなくそうとする流れ自体は正しい。

でもその結果、職場で何が起きているか。

真面目な人ほど、黙るようになった。

これを言ったらパワハラになるかもしれない。
注意したら嫌われるかもしれない。
指摘したら傷つけるかもしれない。
踏み込みすぎたら問題になるかもしれない。

そうやって、もともと人を傷つけたくない人ほど口を閉ざす。

逆に、本当にヤバい奴は変わらない。

怒鳴る奴は怒鳴る。 詰める奴は詰める。 立場で潰す奴は潰す。 人の逃げ道を塞ぐ奴は、時代が変わっても塞ぐ。

ルールが増えても、そいつらは別の形で踏み越えてくる。

そして、まともな人だけが首を絞められていく。

これ、普通に地獄だと思う。



問題は「昭和のおじさん」でも「令和の若者」でもない

ハラスメントの話になると、すぐ世代論になる。

昭和の老害おじさんが悪い!!
Z世代がすぐハラスメントって言う!!

でも、たぶんそこじゃない。

どの世代にも、ヤバい奴はいる。

昭和世代にも、人を平気で潰す人はいる。 平成世代にも、立場を持った瞬間に変わる人はいる。 令和世代にも、被害者ポジションを武器にして周囲を振り回す人はいる。

逆に、どの世代にもまともな人はいる。

めちゃくちゃ丁寧な上司もいる。 ちゃんと向き合ってくれる先輩もいる。 素直に学ぼうとする若手もいる。 下の世代の方が、むしろ人としてしっかりしていると感じる場面もある。

だから、これは世代の問題じゃない。

問題は、他人の境界線を踏み荒らす人間がいることだ。

僕はそういう人を、境界線クラッシャーだと思っている。

上司として踏み荒らす人もいる。 部下として踏み荒らす人もいる。 客として踏み荒らす人もいる。 正義の顔をして踏み荒らす人もいる。

ハラスメント問題の本質は、 「どの世代が悪いか」ではなく、 「境界線クラッシャーをどう止めるか」だと思う。


指導とハラスメントを分けるのは、“尊厳が残るか”だ

じゃあ、何がハラスメントで、何が指導なのか。

ここが曖昧だから、職場が息苦しくなる。

僕は、判断軸はかなりシンプルだと思っている。

それを言われたあと、相手の尊厳が残るか。

これだと思う。

指導は、行動を正す。 ハラスメントは、人格を潰す。

指導は、次にどうすればいいかが残る。 ハラスメントは、「自分はダメな人間だ」だけが残る。

指導は、相手の成長に向かっている。 ハラスメントは、自分の怒りの処理に向かっている。

指導は、逃げ道を残す。 ハラスメントは、相手を追い詰める。

指導は、厳しくても未来がある。 ハラスメントは、言われた側の中に傷だけが残る。

ここを混ぜるからおかしくなる。

厳しいことを言うのが全部悪いわけじゃない。 注意することが全部悪いわけじゃない。 負荷をかけることが全部悪いわけじゃない。

でも、相手の尊厳を削っているなら、それはもう指導じゃない。

ただの支配だ。



何でもハラスメントにすると、職場は優しくならない

一方で、何でもかんでもハラスメントと言えばいいわけでもない。

耳が痛い指摘。
自分に都合の悪いフィードバック。
成長のために必要な負荷。
仕事として当然求められる責任。

これらまで全部「ハラスメントです」で跳ね返していたら、誰も何も言えなくなる。

そして職場は、優しくなるんじゃない。

無関心になる。

何も注意されない。 何も教えられない。 何も期待されない。 何も任されない。

一見、平和に見える。

でも実際は、誰も本気で関わっていないだけ。

「傷つけない職場」と「育てない職場」は違う。

「優しい職場」と「何も言わない職場」も違う。

ここを間違えると、まともな人ほど損をする。

ちゃんと育ちたい若手は、必要な指摘をもらえない。 ちゃんと育てたい上司は、必要なことを言えない。 ちゃんと働きたい人は、ヤバい人の尻拭いをさせられる。

それで最後に残るのは、

声がデカい人と、 何も言わない人だけの職場だ。

そんな場所で、まともな人が長く働けるわけがない。



ハラスメント対策で本当に守るべきもの

ハラスメントをなくすことは、言葉を増やすことではない。

本当に守るべきなのは、まともな人がまともに働ける環境だ。

人を傷つける上司を止める。 被害者ポジションを悪用する部下も止める。 客という立場で人を踏みつける人も止める。 正義を振りかざして他人を黙らせる人も止める。

どの立場であっても、境界線を踏み越える人を放置しない。

必要なのは、これだと思う。

優しいだけでは足りない。
厳しいだけでは壊れる。
ルールだけでも守れない。

必要なのは、相手の尊厳を守ったまま、必要なことを言える力だ。

そして、明らかに人を踏みつける人間には、ちゃんと「それは違う」と言える仕組みだ。



会社にモヤモヤしている人へ

会社にいると、たまに思う。

「なんでまともな人ほど我慢してるんだろう」と。

怒鳴る人は怒鳴り続ける。
押しつける人は押しつけ続ける。
逃げる人は逃げ続ける。
都合よく被害者になる人は、また誰かを疲弊させる。

その横で、ちゃんとしている人だけが、空気を読み、言葉を選び、責任を背負い、黙って疲れていく。

これが本当にきつい。

だから、ハラスメントについて考えるときに、僕たちはもっと問いを変えた方がいい。

「これはハラスメントか?」だけじゃない。

この職場では、まともな人が黙らされていないか。
声のデカい人だけが得をしていないか。
本当に止めるべき人を放置していないか。
優しさの顔をした無関心が増えていないか。
必要な指摘まで、悪者扱いされていないか。

ハラスメントをなくすというのは、誰も何も言えない世界を作ることじゃない。

人を潰す言葉を減らし、 人を育てる言葉を取り戻すことだ。

僕はそう思う。

まともな人が、まともに働ける場所を取り戻したい。

そのために必要なのは、世代叩きでも、ハラスメントという言葉の乱発でもない。

境界線を踏み越える人を、ちゃんと見抜くこと。 そして、まともな人が黙らなくていい職場を作ること。

ハラスメント社会で本当に問われているのは、そこだと思う。


ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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