ザ・ピーナッツから辿る「ちゃっきり節」の数奇な運命
ザ・ピーナッツの「可愛い花」を聴いていたら、
「ちゃっきり節」を歌う動画に飛んだ。
懐かしくなり自分で口ずさんでみるが、どうも音程が上手く取れない。
民謡独特の音階だから難しいのだろうと納得したが、調べてみて驚いた。
昔からある土着の民謡、ではなかった!
この曲は、昭和に入ってから作られた「新民謡」と呼ばれるものだった。
そこには、驚きの成り立ちと、
歌うのが難しい音楽的な理由が隠されていたのだ。
遊園地のCMソングだった「ちゃっきり節」
実はこの曲、
昭和2年(1927年)に作られた、いわば「遊園地のCMソング」である。
静岡電気鉄道(現在の静岡鉄道)が、
新しく開園する「狐ヶ崎遊園地」のPRのために制作を依頼した歌なのだ。
【作詞:北原白秋】
言葉の響きを追求した詩人、北原白秋が作詞を手がけている。
彼が現地を取材した際に、
芸妓さんが口にした「きやァるがなくんて、雨づらよ」という方言や、
当時普及し始めていた茶摘みバサミの「茶切り音」からインスピレーションを得て、
「ちゃっきり」という造語を生み出した。
散りばめられた情景描写や言葉遊びのセンスは、
一つの文学作品としても読み応えがある。
余談だが、
拝み倒して作詞を引き受けてもらった静岡電気鉄道であったが、
白秋のあまりの豪遊ぶり(もちろん依頼主の懐で)に、
依頼を取り下げる事も考えたらしい。
さすが文豪という逸話ではないか。
【作曲:町田嘉章(佳聲)】
作曲は、のちに日本中の民謡を採集・研究した新民謡運動の先駆者、
町田嘉章(まちだ かしょう / 晩年は佳聲)。
群馬県の裕福な実家に生まれ、
幼少期から長唄や清元などを仕込まれた邦楽のエリートである。
その上で、東京音楽学校(現在の東京藝術大学)で
西洋音楽の理論まできっちりと学んでいた。
白秋の推挙により作曲を引き受けた町田だが、
なんと作詞の為に静岡へ向かう白秋と、
東海道線の車内でばったり乗り合わせたことがきっかけだったようだ。
まったく、名曲の誕生を予感させるエピソードではないか。
なぜ音程が上手く取れないのか?
伝統的な民謡のように聞こえて、
いざ歌うと音程が迷子になってしまうのには、明確な理由があった。
和洋両方の音楽構造を深いレベルで理解する町田が、
西洋音楽の理論やモダンな感覚を意識的に交えて
「民謡調」に作曲したものだからだ。
バッハの無伴奏チェロ組曲やクイーンの楽曲にも見られるような、
緻密に計算された音の跳躍や、
特有のシンコペーション(裏拍の強調)が含まれている。
さらに、のびやかに歌い上げる部分と、
「ちゃっきり、ちゃっきり」とリズミカルに言葉を立てる部分の対比が強く、声の出し方を瞬時に切り替える必要がある。
親しみやすいメロディの中に、
実はプロが本気で仕掛けた複雑な構造(モダンな罠)が隠されていたのだ。ザ・ピーナッツの見事な歌唱力ゆえに容易く聞こえただけで、
実はとんでもない難曲だったのである。
クラシックの高度な技術を持つサラサーテが、
ロマの民族音楽を拾い上げて
超絶技巧の「チゴイネルワイゼン」を書き上げたように。
町田嘉章が静岡の土着のモチーフを拾い上げ、
緻密な計算とモダンな技巧を凝らして書き上げたのが
「ちゃっきり節」だったと言える。
まさに「日本のチゴイネルワイゼン」である
私がふと鼻歌で歌おうとしても、喉がついていかないわけだ。
驚きの長さと、局地的な舞台
この曲は、なんと全部で30番まである。
依頼主である静岡電気鉄道の
「地域開発と発展のために全国から人を呼びたい」という
熱意にほだされた白秋が、
沿線の名所(狐ヶ崎、日本平、三保の松原など)や名物(お茶、みかん)をこれでもかと歌詞に詰め込んだからだ。
いわば、歌でめぐる観光音声ガイドである。
静岡県全土を網羅していると思いきや、
登場するのは「静岡市中心部」と「清水区」の周辺のみ。
「お茶」「富士山」という強力なシンボルが散りばめられているため、
県全土の歌だと錯覚してしまっていたのだ。
「人工の民謡」から「県民のうた」へ
当時の静岡県民にとって、この曲は「郷土の民謡」ではなく、
「お座敷で芸者さんが歌うハイカラな流行歌」であった。
白秋が遊郭の料亭に入り浸り、芸妓との会話を素材にして練り上げた
「人工の民謡」だったからだ。
それが、
昭和6年に歌手の市丸がレコード化して全国的に大ヒットしたことで、
地元民が逆輸入的に価値を再認識する。
さらに決定打となったのが、昭和32年の静岡国体である。
開会式のマスゲームの楽曲に採用され、県民こぞって踊ったことで、
ようやく「われらのうた」として完全に定着した。
「ちゃっきり」という小さな「っ(促音)」が3回続くことで生まれる
跳ねるようなリズムが、独特の高揚感を生む。
この曲をマスゲームに選んだ人は、表彰もののセンスの持ち主だろう。
巨大産業「静岡茶」の危機を救う
曲が生まれた当時は、アメリカへの緑茶輸出で大成功していた静岡茶だったが、
昭和初期にアメリカで紅茶が大流行したことで輸出量が暴落。
「なんとか国内で飲んでもらわなければ」と追い詰められていた。
そこに「ちゃっきり節」の大ヒットが重なる。
「静岡=日本一の美しいお茶の郷」というロマンチックなイメージと、
「ちゃっきりちゃっきり」という陽気なフレーズが、
見事に国内消費者の脳裏に焼き付いた。
この歌は、輸出頼みで崩壊寸前だった静岡茶を、
日本人のための国民的ブランドへと鮮やかに転換させた救世主となったのだ。
音楽の持つ力が地元の産業を彩り、歴史を動かした瞬間である。
肝心の遊園地は今?
PRの主役であった「狐ヶ崎遊園地」は、
昭和40年代に「狐ヶ崎ヤングランド」と改称して賑わったものの、
平成5年に惜しまれつつ閉園した。
本来の目的だった遊園地はなくなってしまった。
しかし、宣伝のために作られた歌が、
静岡茶という巨大産業を救い、
遊園地の寿命をはるかに超えて、今なお全国で歌い継がれている。
CMソングが本体を超越して歴史に残るという、
非常にドラマチックな結末だ。
当代きっての言葉の魔術師と、和洋のエリート作曲家が仕掛けたこの歌。
その緻密な計算や数奇な運命を知ると、
曲の聴こえ方も大きく変わった。
ザ・ピーナッツのみごとな歌唱に合わせて、
「ちゃっきりちゃっきりちゃっきりな」と美味しいところだけ声を重ね、
悦に入る。
なんてったってチゴイネルワイゼンなんだもの、
おいそれと歌えなくて当然、なのだ。
