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好きと嫌いのまんなかの言葉があるのなら。

「曖昧」でハッキリした言葉が存在するなら。

それが一番やさしいと思う。

「嫌い」って言葉、言ったあとモヤモヤしませんか?なんか相手、または食材を全否定してるみたいじゃないですか。(ここでは食材のほうは置いておきます)

だから私は、
「そういうとこは好きじゃない」と伝えてみる。たったそれだけのことなのに、心が軽くなった。言う前は、「こんなこと言ったら関係がギクシャクするかもしれない」と身構えていたのに、実際には何も崩れなかったどころか、むしろ関係は整っていった。

この体験の中には、人と人が関わるうえでの本質が、凝縮されている気がする。

人間は他人からみた、自分の「あなたはこういう人」に依存している。

だから、「そんな人だと思わなかった」と言われる可能性を1ミリでも含んだ言葉を口にすることは、「もういい!!」と言われる可能性があるから避けてしまう。だから言葉が詰まるんですよね。

それは同時に、「本来の姿」を少しずつ削り取っていく作業でもある。


私たちは、他人からの承認と自分の姿を維持する狭間で常に揺れ動いている。バランスが重要なのだ。


自分で言うのもなんだけど、
この「好きじゃない」という表現は大発見だと思う。
人は攻撃されると身構えるが、「私はこう感じる」という主観的な言い方は、その防御を弱める効果がある。

アイメッセージ、「私はこう感じる」という伝え方はだいぶ浸透してきたと思うがこれは、「好きじゃない」という言葉は、「嫌い」という全否定な言葉を柔らかくした言葉で更に強力なのだ。

例えば、
学生が「理科大嫌い」というより、「理科好きじゃない」と言ったほうが、まだ好きになる「余白」ができる気がするんです。


そして、
「嫌い」というストレートすぎる言葉は相手の人格を否定するニュアンスを帯びやすいが、「好きじゃない」はあくまでほんの一部への違和感として伝わる。

この差は小さいようで、相手の受け取り方に大きな違いを生む。


「好きじゃない」は、「こうすれば好きになる」という余白の意味も含まれてることを想像させる言葉なのです。

言葉にしなかった違和感は、やがて「なんとなく合わない」という曖昧で厄介な歪んだ距離を生んでいく。一方で、「そういうとこは好きじゃない」と伝えるのは、距離を埋める作業になっている気がする。

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【関連記事:本音について】

伝えるとは、
押しつけることではなく、相手の中に‪”‬慎重に‪”‬言葉を着地させること。

そしてこの実体験の根本は、「思ったほど世界は壊れない」という発見にありました。
私たちはよく最悪のケースを想像しすぎる。


でも現実は、そこまで究極に変な方向へは行かず、ちょっとした本音の積み重ねが関係の強度を上げていくことが分かりました。

「受容(受け入れられたい)」「拒絶(嫌われたくない)」の狭間で揺れる私たちにとって、この‪”‬余白を残して伝える‪”‬という曖昧な言葉は、その両方を同時に満たす絶妙なバランスなのかもしれない。自分でいうのもなんだけど。

だからこそ、
伝えることにより「楽になった」という感覚になったのかと思う。



大切なのは、
「私はこう感じた」と自分の感覚を伝え、感じたことを柔らかくする工夫がお互いの未来を明るくするものだと思う。

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【関連記事:場を読む】

「嫌い」「無理」といった断定をせずに、「好きではない」と余白を設ける。


この一言は、人間関係を少しだけ‪”‬誠実な方向にズラした‪”‬重要な微調整です。



相手と向き合うズラしを大切に。

あなただったらどうズラしますか?
目の前の人のズラがズレてたら気まずくても優しく、両手で直しますか?


わたしは自分の親父ギャグが好きなとこが、
好きじゃない。

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【関連記事:距離感】

どちらにしますか?


今日も読んでいただきありがとうございます。

では、また次の記事で。
素敵な一日を。

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