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夢と鰻とオムライス 第13話

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◇ 

 翌日、朝風呂をたっぷり堪能してから朝食を摂り、ワインカーヴへ向かった。
 こうちゃんは、俺がワインカーヴには行っていないと思っている。
 でも俺の記憶の中には、昨日見たワインカーヴの光景が、未だに脳裡に留まっていた。

《ワインカーヴ》と書かれた楕円形の看板の先にはステンドグラスが見える。その脇にある階段を下りた目の前に広がっていたのは、やはり、昨日見たものと全く同じ光景だった。
 だが、午前中の早い時間だからだろうか。ワインカーヴの中の雰囲気はどこか違って見えた。滲んだような靄が消え、空気はひんやりしているだけで重くはない。

 木樽に近づき、置いてある試飲用ワインのボトルを手に取る。
 新酒、と書かれたボトルは昨日見た十年前のものではなく、昨年のボトルに変わっていた。
「それは去年の新酒だな。新酒は毎年、十一月に出るんだよ。毎年、文化の日に、ワインまつりが開催されるんだ。大にぎわいだぞ」
 こうちゃんの話をうわの空で聞きながら、同じ木樽の上に置かれた、他のワインを見てみる。
 そこに十年前の西暦が書かれたボトルは一つもなかった。やはり昨日の見たワインカーヴの光景は夢だったのかと考えあぐねる。
「どうした? 難しい顔して」
 一瞬、こうちゃんに昨日の話をしてみようかと思ったが、どう考えても、うまく話せる自信がない。おかしなことを言ってこうちゃんに不気味がられるのは嫌だった。
「ううん、なんでもない」
 俺は何も言わずに、ワインカーヴを後にした。

 ホテルをチェックアウトし、車に乗り込む。
「すぐに高速に乗るつもりだったけどさ、ちょっとこの辺をぐるっと一周してから帰ろう」
 旅も終わりになると、どこか名残り惜しさが湧いてくるものだ。
 強い日差しをに受けながら、勝沼の町を走った。一日滞在しただけなのに、ぶどう畑がすっかり目に馴染んでいる。
「こうして完熟した実がなってると、町の中が明るく見えるよなぁ」
 ハンドルを握りながらこうちゃんが言う。

「そういえば、前に立ち寄ったワイナリーで、ワインに仕込む前の甲州ってぶどうを食べさせてもらったことあったんだよ。味が濃くて旨かった。種の周りはちょっと酸味があるんだけど、それがまたいいんだ」
「ああ、ぶどうって種があるほうが、濃厚で甘いっていうよね」
 俺が答えると、こうちゃんは感心したように言った。
「そうなんだよ。よく知ってるなぁ」
 まぁね、と得意になりつつも、なんでそんなことを知っていたのかと、我ながら不思議に思った。

「このへんのぶどうの旬は、七月から十一月くらいまでだったんだけど、最近は夏が暑いせいで、旬の時期も前倒しになっているらしい」
「へぇ、そうなんだ」
「でも、夏休みが終わって九月になっても、この辺はまだまだ活気が続くだろうなぁ。ワインの仕込みも始まるし……」
   九月。
 その頃には、俺は家族のいるあの家に戻っている。はてさて、どうなることやら。
「なんだ、どうした? ため息なんかついて」
「あぁ、いや、そろそろ夏休みも終わりだなぁーって思ってさ」
 こうちゃんが、にやりとする。
「何かあったら、またうちに来ればいいよ。ほうとうでよければ作るからさ」
 言葉を濁したつもりだったが、こうちゃんには本音が漏れていたようだ。やさしい言葉に気持ちがほぐれたのも束の間、
「そのかわり来たら、また掃除してくれよな」
 の、一言にぎょっとする。
 でも、掃除ひとつで自分の居場所が作れるなら、風呂を磨くのも悪くない。

 こうちゃんは、うちに帰ったら食べようと言って、ぶどうの直売所に寄ってくれた。せっかくだからと、スーパーであまり見かけないような品種がいいと相談すると、お店の人は赤紫色の甲斐路かいじを勧めてくれた。それと、濃い紫色がきれいだったので、ピオーネも買った。
 車に戻ると、こうちゃんが、
「あ、そうだ」
 シートベルトをぐいっと伸ばしながら声を上げた。
「どうしたの?」
「スーパーに行って、ロックアイス買わなきゃ。クーラーボックスのワインが熱々になっちゃう」
 昨日使った保冷剤はとっくに溶けている。
「ワインって、面倒臭い飲み物なんだね」
 買い置きの缶ビールやジュースの場合、ここまで温度管理に神経質になることはない。
「でも、俺は全然気にしないほうだよ。家にワインセラーを置いてるわけじゃないし、一升瓶ワインなら横にして保管することもしないからなぁ。今日は少し良いワインを買ったからさ、ちゃんと持って帰りたいんだよ」
「へぇ」

 ぶどう棚に挟まれながら、車を走らせる。
 たわわに実がなっていると、見ているだけで口の中が甘くなりそうだ。果樹園の彩りは、目にも心にもやさしい。
「ぶどう狩り、したかったか?」
 俺があまりにもぶどうに見入っていたせいだろう。こうちゃんが気にして声をかけた。
「ううん、さっき買ったので充分だよ」
「そっか」
 二人でそんな話をしていると、十分ほどで目的地に到着した。見たことのない名前のスーパーマーケットだったが、駐車場は広く、なかなかきれいな建物だった。

「ここはワインの品揃えも豊富だし、結構、惣菜なんかもたくさんあるんだよ。地元の食材がいっぱいある。ロックアイスの他にも、何か買っていこうかな」
 こうちゃんはそんなことを言いながら、店内を進んでいく。さすが山梨、東京では見かけない、ほうとうの麺も売っていた。
 こうして見ていると、旅先のスーパーも充分楽しい。全く馴染みのない店構えや品揃えが面白いし、名産品を見かけると、つい手が伸びてしまう。
「うーん、冬だったら、安売りの野菜とかもたくさん買って帰るんだけどなぁ」
 一旦車を停めてしまうと、車内はあっという間に暑くなる。常温保存のものでも、食品を買い込むのは危ないかもしれない。ぐるりと中を見て回ったが、結局、目的のロックアイスとペットボトルの飲み物だけを買って、俺たちは車内に戻った。

「ふー、ちべたいちべたい。これでワインの温度管理もバッチリだな」
 こうちゃんはロックアイスの袋を素手で掴み、クーラーボックスの中へ入れた。
「あ、俺、ついでにトイレ行ってくるわ。瞬太は?」
「俺はいい」
「じゃあ、すぐ戻ってくるから先にエンジンかけとくよ。エアコン入れて涼んでて」
「はーい」
 こうちゃんはバタンとドアを閉め、またスーパーへと戻っていった。

 エアコンを入れると、ボーッと音が鳴り、吹き出し口から強風が出てきた。適当に風量を調節しつつ、車内から人の出入りを眺める。皆、外に出た途端、うへぇ、と顔を歪めるのがおかしい。
 わかるわかる。うんざりするほど暑いもんね。
 なんて思いながら人間観察に勤しんでいると、旅行用のキャリーバッグを引いた女の人が、店から出てくるのが見えた。

 彼女は、眩しそうに空を見上げる。
 うへぇ、という顔はしなかった。日差しが強いわぁ、と言っているみたいに空に手をかざし、目を細める。なんだか日焼け止めクリームのコマーシャルみたいだ。太陽を見ていた女の人の顔が、正面に向き直るとき、目が合った気がした。きれいな人だと思った次の瞬間、
「あっ!」
 俺の胸は飛び跳ねた。



第14話につづく

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