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清明|春の気配から、気配りを思う

 「春に三日の晴れなし」とはよく言ったもの。移ろいやすい天気に振り回されるなか、ようやく雲が切れ、空に明るさが戻ってきた。きょう4日は、二十四節気の「清明(せいめい)」。清く明るい気が天地を満たす時季だという。

 北海道では、きのうまでの雨がようやく上がり、週末に向けて晴れ間が広がる予報。雨や雪解け水をたっぷり含んだ土は、日の光を受けてしっとりと輝いている。

 その淡い光には、どこか「これから始まる」という予感が漂う。ひと雨ごとに草木が芽吹き、外に出たくなるような日が増えてくる。

 林の中を歩くと、小鳥のさえずり、エゾリスのはねる音、雪解け水のせせらぎが、静かに重なり合う。それぞれの命が奏でる“息づかい”が耳に届く。ひとつひとつの音に、春の気配が宿っている。

ひっそりと咲くエゾエンゴサク
壮瞥町仲洞爺 Sobetsu 20250404

 気配は、気配りとも読める。繊細な季節を感じ取るには、心の感度を少しだけ高くしておくことが必要なのかもしれない。

 草花は、どこか恭しく(うやうやしく)、慎ましやかに光を受け止めているように見える。だがその姿は、実のところ、強く、けなげで、美しい。雪を割って咲く花もあれば、岩のすき間に根を張り、命をつなぐ花もある。かれんさの奥にひそむ生命力に、思わず頭が下がる。

仲良く咲くエゾエンゴサク
壮瞥町仲洞爺 Sobetsu 20250404

 開花の時節を花に知らせる、花信風(かしんふう)と呼ばれる風も、まもなく北国に届くだろう。まだ冷たい風に肩を寄せ合う人々の姿が、道ばたの名もなき花と重なる。

 春は、鳥や虫のように向こうから話しかけてはくれない。それでも、こちらから少しだけ歩み寄ってみれば、その気配に気づけるときがある。

 新しい生活が始まり、期待と不安の入り混じるこの季節。ときに、ふとしたきっかけで「向いていないのではないか」「間違えたかもしれない」と感じることもあるだろう。

 そんなときは、自分の心の揺れに気づいてあげることも、誰かが黙っている時間にそっと寄り添うことも、どちらも同じくらい大切だ。

 気配は、自分にも、他人にも宿るもの。言葉にならない想いに目をこらし、耳を澄ます――それは、無理に読み取るのではなく、ただそこにあるものとして感じるということ。気配りとは、察することではなく、互いをせかさずに見守る姿勢なのかもしれない。

 空模様のように、人の気持ちもまた、その時々で変わる。

 自分の心も、相手の心も、今はまだ、定まっていないだけなのかもしれない。すぐに答えを出さなくていい。見極めるには、もう少し時間があってもいい。

 だからこそ、揺れ動く心の空にも、やがて差す光があると信じていたい。

早春の洞爺湖と、有珠山、昭和新山の山並み
壮瞥町仲洞爺 Sobetsu 20250404

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ひとりごと(あとがきのようなもの)

 きょうは、新年度が始まったばかりということもあって、新しい生活のなかで、戸惑っていたり、疲れを感じていたりする人に向けて、思いを込めてみました。

 記事に彩りを添えたくて、洞爺湖まで足を伸ばしてきました。少し早いかなと思いましたが、湖畔をきょろきょろしながらしばらく歩き回って、エゾエンゴサクの姿をなんとか見つけることができました。

 書き終わって気づいたのは、かつての自分に向けて書いた言葉でもあったな、ということ。まあ、今も悩んでいるんですけどね。

 きょうを乗り切れば、多くの人にとって、あすは週末。どうか気負わずに。一歩ずつ進んでいってください。
 いつもありがとうございます。

 この二十四節気のコラムは、できるだけその日の朝、空を見て、天気を感じながら、午前中のうちに書くようにしています。どんな文章になるかは、そのときの自分の心のありようにも左右される気がしています。

一輪だけ咲いていたフクジュソウ
壮瞥町仲洞爺 Sobetsu 20250404

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