理想を捨てた場所でしか、理想の先へは行けない ~らーめん再遊記論「自販機茶屋編」~
↑サムネイルは『らーめん再遊記』4巻 No.45より引用
『ラーメン再遊記』の単行本3~4巻、話数にして第21杯~第31杯にかけて描かれる「自販機茶屋編」は現在14巻まで続いている『らーめん再遊記』のなかでも屈指の後味のよいエピソードである。
『らーめん再遊記』を読み始めたらこの「自販機茶屋編」までは読んで欲しい。ここまで読んでハマらないのであれば読むのを止めていい。それほどに「自販機茶屋編」には『らーめん再遊記』の魅力が詰まっている。
かつては芹沢に匹敵するほどのニューウェーブ系ラーメンの実力者だった宇崎というラーメン職人が、やがて地方でより先鋭的かつより高い理想を求めたラーメン店を開業しようとしたものの、あえなく廃業し行方をくらます。それがひょんなことから旧知の仲である芹沢やかつての弟子との再会を通じて、再起、再生するまでを描くこのエピソードはわかりやすく「いい話」である。
だが単なる「いい話」で終わっていないのが、『らーめん再遊記』が優れているところだ。前半の宇崎が理想を追い求め過ぎて転落するくだりの、視野狭窄に陥っている様は、ラーメン業界にとどまらない普遍性とリアリティに満ちている。何より宇崎と芹沢が再開を果たすラーメン自販機が設置してある休憩スポット「自販機茶屋」をメインの舞台としたところにこのエピソードの真価がある。
芹沢も宇崎もかつてはラーメンをさらに高いレベルへと押し上げようと必死にもがいていた。しかし、今回登場するのはラーメンの作り手からすら一段下に見られている、ラーメンとしてまともな評価はされていないラーメンの自動販売機である。

そんなラーメン自販機を再発見、再評価するところからこのエピソードは展開していく。
そこで登場する、宇崎のかつての弟子であり、現在は地元で愛されるラーメン店を営む平田、そして自販機茶屋を経営する会社に勤め、商品の補充担当をしている若い女性社員のカンナ、二人の視点が組み合わさることによって、自販機ラーメンが懐かしいだけではなく現在の視点で見ても、コストパフォーマンスに優れてある種新鮮な存在であることが明らかになっていく。
そしてカンナに誘われる形で「自販機茶屋」で毎週土日に開催される自販機ラーメン祭りに赴いた芹沢は、そこで提供されるオリジナルラーメンの味が、かつて宇崎が作っていたオリジナルラーメンの味にそっくりであることに気付く。そして裏方として働いていた宇崎との再会を果たす。
芹沢と宇崎、そして平田と宇崎、それぞれの再会が描かれ過去に何があったのかが明らかになっていき、それぞれのわだかまりが解けていく。しかしここではこのエピソードは終わらない。ここからカンナによって、二人は次の自販機ラーメン祭りで対決を提案される。宇崎が既にそのことを了承していることがカンナより伝えられ、それを知った芹沢もまた対決を了承する。

ここで、自販機ラーメンを登場させたことが活きてくる。両者が普通にラーメンを作って対決したらそれは単なるグルメバトル漫画でしかないし、自分の会社の社長は退いたとはいえまだまだ現役の芹沢に、長年一線からは退いていた宇崎が勝ち目があるとは思えない。しかし自販機ラーメンについては宇崎に一日の長がある。
さらに調理面においてはほぼ自販機が担当するので、芹沢も宇崎もやることはどんなラーメンを出すのかというアイディアを練ることと、ひたすらにスープや具の仕込みをし続けることに絞られる。なので対決のようで対決らしからぬ、二人の奇妙な共同作業がここから始まる。
対決の当日、芹沢はラーメン、宇崎はまぜそばと全く違う趣向のメニューで勝負の望みながらも、二人とも4種類の追いスープやトッピングを別の自販機で購入可能にすることによって、5種類の味が楽しめるようにしていた。創意や発想の点においては二人は全くの互角である。
作業で手が離せない二人に代わって、提供されるラーメンを食するのは、家族を連れて祭りに訪れた平田だ。自身もラーメン屋を営んでいる平田だからこそ、芹沢と宇崎の両者のメニューがどちらもそれぞれに優れていることがよく理解出来てしまう。そんな彼はかつての師匠である宇崎の手によるまぜそばに彼の変化を感じ取る。
並行して描かれるバックヤードにおいて、芹沢もまた平田と同様の変化を感じ取り、それを宇崎に対して述べる。かつて創作料理としてのラーメンの確立を目指した宇崎が繰り出すにしてはジャンクなテイストに振りすぎていると。
それに対して宇崎は、自分がラーメンに対するエゴが驚くほどなくなったこと、ただそこにいる客が喜ぶものを作るだけといったことを語った上で、最後に己のラーメンの中に自分がいなくなったということを述べる。

それはかつて『ラーメン再遊記』2巻、第12杯目において、芹沢自身が述べていたことと同じである。そんな宇崎の言葉に芹沢は動揺しつつ、それでも二人の共同作業は続く。
あくまでも二人の対決であるにも関わらず、共に一つの目標に向けて歩むという不思議なムードで時間は流れる。思ったより対決が注目を集めたことで、徹夜を余儀なくされる二人だが、明らかに楽しそうだ。そしてそれはかつて二人がラーメンの試作を通して過ごしてきた夜とも重なる。
自販機ラーメンという制限が多く、多くの妥協を強いられる食事装置を使っているからこそ、主役の筈の二人は裏方でひたすらに地道な作業に追われる。提供するメニューだって自身のエゴよりも客に喜ばれることが優先される。かつて自身の理想を追い求めた末に転落した宇崎は、このかつての理想とは程遠い、自販機ラーメンを通じて職人として再生していく。
このエピソードにおける白眉は芹沢と宇崎のラーメン対決後の二人の自販機を通じたやり取りである。休まずに稼働してくれたラーメン自販機を前に、とっくに生産終了し、メンテナンスサービスも終わっているラーメン自販機は遠からず消えゆく運命であるということが宇崎によって語られる。ラーメン職人としての終活すらも終えつつある自分の境遇と重ねるようにだ。そんな自己憐憫を交えた宇崎の言葉に芹沢が応答する。

なるほど。
確かにその通りなんでしょうが…しかし…
こいつらは誰かさんと違って、
最後の一台が無くなるその日まで一杯25秒のラーメンを作り続けるでしょうね。
確かに「自販機茶屋編」に登場する、昔懐かしのラーメン自販機に未来はない。カンナの会社ではパーツを自作しながらのメンテナンスでなんとかやっているとはいえ、それすら出来なくなれば後はスクラップになるしかない。
だが、ラーメン自販機はまだ壊れてはいない。
やがて終わる日が来るのだとしても、それは今日ではない。ならば今はただ一杯25秒のラーメンを作り続ける。それがラーメン自販機に与えられた役割だからだ。
同じように、ラーメンの作り手としてやるだけのことをやり、思い残すことが無くなったのだとしても、宇崎はまだラーメンを作ることが出来る。そうして作っているうちにもっと良いものにしたいという、エゴとはまた別の意欲が生まれてしまう。だから彼は徹夜してまで、味を改良してしまう自分を抑えられなかった。
だが、かつて大きな失敗を経験している宇崎には意欲と同時に恐怖の感情も沸きあがってしまう。そんな己の意欲と恐怖の狭間で戸惑う宇崎に、家族の介護のために大学の進学をあきらめたものの、どこまでも前向きに生きようとしているカンナの最後の一押しによって、遂に宇崎はラーメン屋としての再起を決意する。
その後、宇崎が務めていたホームセンターの社長の支援もあり、宇崎はラーメン屋を開業する。場所はかつて自分が開業し、潰した店の跡地だ。かつての理想の高さが先走った店舗とは真逆の地に足がついたプレハブの店舗で、彼は新しい創作ラーメン「豚汁ラーメン」を編み出し、それを試食した芹沢はそのラーメンに衝撃を受ける。
醤油、味噌、塩、豚骨に匹敵するラーメンにおける新しい「形式」の探求をしている芹沢にとって、皮肉なことに自分が焚きつけて復帰させた宇崎が作った「豚汁ラーメン」はその新しい形式に近い画期性と普遍性を持ち合わせたラーメンだったからだ。まさかの自身の目標に、半ば強引に焚きつけて再起させた宇崎に先を超されようとは。

この「自販機茶屋編」において、一貫して芹沢は宇崎というかつての同志を見下さず、敬意を持って接している。挑発したり、軽口を叩いたりすれど、それは根底に尊敬があればこそだ。かつてはムシュロン2つ星シェフの評価に舞い上がったり、どん底に叩き落されたりした宇崎に芹沢は、常に変わらない眼差しをもって接し続ける。そんなブレない芹沢の視線、東京への進学をあきらめても自分の人生を諦めたわけではないカンナとの交流を通じて、ついに宇崎は自分を取り戻す。過大な評価や先走った理想は人を狂わせるが、誠実で地に足のついた視線や評価は人を正気に戻す。
「自販機茶屋編」は、自販機ラーメンという、ラーメンの作り手からすら軽んじられる存在を主軸として据えることで、「三ツ星」レストランや「B級」グルメのような従来の格付けから距離を置きながらそれでも愛され、利用され続ける食事とは何かというグルメ漫画の真髄に近づく凄みを感じられるエピソードであると同時に、かつてあったがまだ稼働し続ける、働き続ける者たちへの熱いエールに満ちたエピソードでもあるのだ。
このようなトーンのエピソードが連続するなら『らーめん再遊記』はかなりウェルメイドな物語になるところだが、この少し後に展開されるのが、本作で最も苦い後味を残す「塩匠堂編」であるあたり、やはり本作は一筋縄ではいかない。
