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日光シリーズ①|日光山輪王寺で受け取った言葉──鎮将夜叉尊・天海僧正・元三大師が照らす「ととのえる」道

@Ricoです。

昨日、増上寺御忌大会中の安国殿で、徳川家康公に手を合わせたときのこと。
なぜか、胸の奥にグッとくるものがありました。 あの感覚は、うまく言葉にできない類のものだったけれど、確かに、からだの芯が反応していたのです。

その瞬間、ふと思い出したことがあります。

「そうや、日光のことを全く書いていなかったよね!」

増上寺は家康公の菩提寺であり、日光東照宮は家康公の御霊が鎮まる聖地。 この二つの場所は、見えない糸で結ばれています。

(増上寺参拝の記事はこちら▼)


あらためて、日光という場所の成り立ちや徳川家との繋がりにスポットを当て、深掘りしてみたいと思います。

日光詣といえば、「二社一寺」。
日光山輪王寺、日光東照宮、日光二荒山神社。

明治以前は「日光山」としてひとつに包括された、関東屈指の大霊場でした。 神と仏が分かたれる前の、すべてが溶け合っていた世界。

このシリーズでは、実際の参拝を追体験しながら、日光という霊場が持つ本質的な力を紐解いていきます。

シリーズ構成(予定)は以下のとおり。

 ▶︎シリーズ① 日光山輪王寺(本記事)
 ▶︎シリーズ② 日光東照宮
 ▶︎シリーズ③ 日光二荒山神社
 ▶︎シリーズ④ 日光廟大猷院
 ▶︎シリーズ⑤ 出流山満願寺〜中禅寺

まずは、日光山の総本堂を擁する輪王寺から一緒に参りましょう。

日光山輪王寺とは|1250年の法灯と「二社一寺」の原型

勝道上人の開山と日光山の成立

日光山は、奈良時代末:天平神護二年(766年)、勝道上人(しょうどうしょうにん)によって開山されました。
勝道上人がこの地に「四本龍寺」を建立し、日光(二荒)権現をおまつりしたのが始まりとされています。

勝道上人像

その後、平安時代には空海や円仁(慈覚大師)といった高僧が来山したと伝えられ、鎌倉時代には源頼朝公の寄進を受けて、鎌倉将軍の護持僧を輩出する関東随一の霊場へと発展していきます。

ここで注目したいのが、鎌倉時代にすでに成立していた「三山三仏三社」の体系です。

三山三仏三社|本地垂迹が生んだ日光の信仰構造

日光山の信仰構造の核心は、「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」の思想にあります。

本地垂迹とは──
日本の神々は、仏や菩薩が衆生を救うために仮の姿(垂迹)として現れたものであるとする思想です。逆に言えば、神の本来の姿(本地)は仏である、という考え方。

日光では、この本地垂迹の思想が「三山=三仏=三社」という明確な体系として整えられました。

その対応関係は、以下のとおりです。

✔️ 男体山 ─ 千手観音 ─ 新宮(二荒山神社本社)─ 御祭神:大己貴命
✔️ 女峰山 ─ 阿弥陀如来 ─ 滝尾(滝尾神社)─ 御祭神:田心姫命
✔️ 太郎山 ─ 馬頭観音 ─ 本宮(本宮神社)─ 御祭神:味耜高彦根命

山そのものが御神体であり、その山の本地が仏であり、麓の社がその神仏を祀る場所である。

つまり、山を拝むことは仏を拝むことであり、社に参ることは山と仏の双方に手を合わせること。
ここには神仏の分離という概念がそもそも存在しません。

この体系が、日光山の信仰の「骨格」です。
三仏堂に安置されている三尊の御本尊は、まさにこの骨格の中心に位置するものなのです。

天海大僧正と徳川家|山王一実神道による再編

江戸時代に入ると、天海大僧正(慈眼大師)が住職となり、日光山は大きな転換期を迎えます。

天海は、天台宗の「山王一実神道」に基づいて徳川家康公を「東照大権現」として日光山に迎え祀りました。

山王一実神道(さんのういちじつしんとう)とは──
天台宗の教学を基盤に、日本の神道と仏教の一体性を説く神道説です。
比叡山の日吉(山王)信仰をその源流とし、法華経の真理のもとに神仏は本質的に一つであるとする立場をとります。

天海がこの思想を採用したことにより、既存の「三山三仏三社」の日光信仰体系に、新たに「東照大権現」という徳川家の守護神格が重ねられました。 三仏堂に安置されている「東照三所権現本地仏」(薬師如来・阿弥陀如来・釈迦如来)の掛仏は、まさにこの重層的な信仰の産物です。

さらに「輪王寺」の称号が天皇家から勅許され、皇族出身の僧侶「輪王寺宮法親王」が歴代にわたって日光門主を務める体制が確立されます。
法親王は比叡山と東叡山(上野・寛永寺)を併せた三山を管領し、その数は幕末まで14代を数えました。

明治の神仏分離令は、この一体の霊場を引き裂こうとしました。 三仏堂の取り壊しが命じられ、輪王寺の称号も一時没収されます。
しかし、木戸孝允の尽力により取り壊しは中止。幾多の困難を乗り越えて、現在の輪王寺はその法灯を守り続けています。

🔹日光山輪王寺について

  • 宗派:天台宗三本山のひとつ

  • 山号:日光山

  • 開山:勝道上人(天平神護二年・766年)

  • 本尊:千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音(日光三所権現本地仏)

  • 文化財指定:世界遺産「日光の社寺」、国重要文化財(三仏堂ほか多数)

  • 所在地:〒321-1494 栃木県日光市山内2300

  • 拝観時間:4月〜10月 8:00〜17:00 / 11月〜3月 8:00〜16:00

  • 公式サイト:https://www.rinnoji.or.jp/

浅草から日光へ|雪が残る霊場への旅立ち

毎度の浅草から出発。

早朝の特急に乗り込むと、車窓に朝焼けが広がります。 なんとも言えない光の色が、新たな旅立ちを予感させていました。
およそ2時間。 けれど不思議と短く感じるのは、これから始まる巡礼への期待があるからでしょう。

東武日光駅に降り立つと、空気が変わるような感覚。
まだ雪が残っている山並みを拝しながら、山の気配と杉の匂いを身体に受けて進みます。

この日は午後から仕事の予定があり、使える時間は3時間半。
限られた時間のなかで、スーパーテクリングでいきますよ。

黒門から三仏堂へ|天海僧正の「ととのえよ」

黒門と光明院の記憶

駅から輪王寺へ向かおうとすると、途中で階段利用が近道だと聞き、石段を登っていきます。 途中、お地蔵さまにご挨拶。「お参りさせていただきますね」と心のなかで声を掛けて参ります。

やがて見えてきたのが、黒門。

黒門は、日光山の総本坊であった「光明院」の正門にあたります。

光明院は、鎌倉中期に弁覚法印が日光山の総本坊として創建し、江戸時代には天海大僧正が日光全体の総本坊として再興したお寺です。
当時、東照宮を含む日光全山は輪王寺宮法親王によって治められ、比叡山と東叡山を併せた三山を管領する一大宗教拠点でした。

しかし、神仏分離の混乱のなか、明治4年の大火により光明院の大半は失われてしまいます。

焼かれ、壊され、それでもなお残り続けた門。 黒門をくぐるとき、その歴史の重みが足元から伝わってくるようでした。

鐘楼、明治天皇日光行在所。
ひとつひとつに歴史が宿っています。

三仏堂|東日本最大の木造建築

黒門を抜けると、まず目に飛び込んでくるのが本堂の手前に立つ金剛桜(こんごうざくら)。

推定樹齢500年、国の天然記念物に指定されている山桜です。 うねるような枝ぶりに、500年分の生命力が凝縮されている。

その奥にそびえるのが、三仏堂。

輪王寺の本堂は日光山随一、東日本では最も大きな木造の建物で、平安時代に創建された、全国でも数少ない天台密教形式のお堂です。
現在の建物は、正保2(1645)年、徳川三代将軍「家光」公によって建て替えられました。

(日光山輪王寺 公式サイト「本堂(三仏堂)」より)

正面に掲げられた扁額は、なんと畳六畳分もの大きさがあるとのこと。

お香で身を清めてから、本堂へ。

天海僧正の眼差し──「ととのえよ」

三仏堂に入り、初めての参拝であることをお伝えすると、日光の歴史や世界遺産・二社一寺について丁寧にご説明いただきました。

案内に従い、堂内へ。

まず手を合わせたのは、大黒天さま、軍荼利明王さま、そして天海僧正(慈眼大師)さま。

ここで、不思議な体験をします。

一旦その場を進もうとしたのだけれど、なぜか気になって、もう一度戻りました。 天海大僧正さまの生きているような視線と、ゆっくりと目を合わせると──

頭のなかに、ふと浮かんできた感覚があったのです。

「よくきた。ととのえよ」

うなずきながら、ゆっくりと進んでいきます。

この「ととのえよ」という言葉が、この記事全体を通じて、何度も立ち現れてくることになるのです。

御本尊・日光三所権現本地仏|高さ7.5メートルの三尊

参拝順路に従って進んでいくと、やがて、三尊の御本尊が姿を現します。

檜の寄せ木造り。
高さ7.5メートルの大仏さまです。

右:千手観音 ── 男体山の御祭神・大己貴命の本地仏
中央:阿弥陀如来 ── 女峰山の御祭神・田心姫命の本地仏
左:馬頭観音 ── 太郎山の御祭神・味耜高彦根命の本地仏

先ほど整理した「三山三仏三社」の体系、その中心がここにあります。

しばらく、この大きな御本尊さまの前で目を閉じました。
ゆっくりゆっくりとご対面しつつ、静寂の時を過ごします。

実は、この瞬間に、ちろっと金峯山寺さんを思い出していました。
金峯山寺の蔵王権現もまた、山岳信仰と仏教が一体化した存在。 場所は違えど、「山と仏が分かれない」という感覚がどこか通じるものがあります。

ここで改めて考えてみたいのが、この三尊の配置が意味するものです。

男体山・女峰山・太郎山。この日光三山は、名前からして「父・母・子」の家族構造を持っています。

大己貴命(大国主命)を父、田心姫命を母、味耜高彦根命を子と見れば、日光の山々は「家族の結び」そのものを表している。

そして、その家族の本地仏が千手観音・阿弥陀如来・馬頭観音。

✔️ 千手観音は「あらゆる手段で衆生を救う」慈悲の仏。
✔️ 阿弥陀如来は「無量の光と寿命で衆生を包む」浄土の仏。
✔️ 馬頭観音は「煩悩の草を食い尽くし、障害を除く」忿怒の仏。

慈悲と浄土と忿怒。この三つが揃って初めて、衆生救済は完成する。
それが「日光三山の本地仏」として一堂に会しているということは、この三仏堂という場所が、人間の苦しみのあらゆる側面に応える祈りの空間として設計されていることを意味していると感じます。

天海僧正が「ととのえよ」と伝えてくださったのは、まさにこの三仏堂でのこと。 山と仏と自分自身が分かたれないという「不二」の境地。
それを「ととのえよ」と表現したのかもしれません。

鎮将夜叉尊御開帳|毘沙門天信仰への扉が開かれた瞬間

九年に一度の邂逅

三仏堂のなかで、もうひとつ心を奪われた存在があります。

鎮将夜叉尊(ちんじょうやしゃそん)の御開帳です。

(2022年3月、滑り込みのタイミングでした)

鎮将夜叉尊は、毘沙門天さまの特殊な御姿です。
夜叉の王として、足下に5人の夜叉を従えている御姿。毘沙門天さまは、諸天のなかでも特に悟りに導くことのできる「上界の天」とされます。

しばらくずーっと見つめていました。 時間を忘れるほどに。

自宅に帰ってきてからも、この御存在がめっちゃ気になって、いろいろと調べてみました。すると、いくつかの重要なことが浮かび上がってきます。

鎮将夜叉法と天台宗の御修法

鎮将夜叉法とは、比叡山で「御修法(みしほ)」と呼ばれる天下国家のための大規模な祈りのひとつです。

天台宗の密教修法のなかでも、鎮将夜叉法は国家鎮護を目的とした最も重要な秘法に位置づけられます。

その思想的背景にあるのは、世の中の大規模な戦乱や疫病は冥界の衆生とリンクしているという考え方です。それを鎮めるのが、鬼神の王である毘沙門天さまの役割であるとされています。

つまり、鎮将夜叉尊を拝するということは、個人の祈りを超えて、天下国家の安寧を祈る行為に参加するということ。
輪王寺の三仏堂が単なる参拝所ではなく、国家鎮護の祈りの場として機能してきた歴史が、ここに見えてきます。

天海大僧正は、この鎮将夜叉尊を東照宮の奥の院鬼門を守る相輪橖とともに、日光山の霊的防衛線として配置しました。 輪王寺が「天台宗三本山」のひとつに数えられるのも、単に格式の問題ではなく、比叡山と同等の密教修法を行う拠点としての実質を持っていたからです。

毘沙門天信仰への導き

振り返ってみると、この輪王寺への参拝をきっかけに、その後の巡礼で毘沙門天さまゆかりの地を次々と訪ねることになっていきました。

  • 2022年4月 ── 朝護孫子寺(奈良・信貴山)

  • 2022年5月 ── 鞍馬寺(京都)

  • 2022年8月 ── 大岩山毘沙門天(栃木)

後から思い出してみたら、鞍馬寺にうかがったとき、一番長居したお堂が大杉大権現さまをお祀りする光明心殿でした。さらに霊宝殿でも「木彫 鎮将夜叉(兜跋)毘沙門天さま」にお会いしていたのです。

輪王寺で鎮将夜叉尊さまの前に立ったあの日から、見えない導きのように、毘沙門天信仰の道が一本の線で繋がっていったのです。

これは意図して計画したものではなく、 あれよあれよという間に、気づいたら毘沙門天さまのゆかりの地に立っているという流れになっていきました。
巡礼を続けていると、こういう「決めていないのに導かれている」という不思議な流れに何度も出会っていくのは、みなさんも体験があるのではないでしょうか。

相輪橖と大護摩堂|日光山の「ととのえる場」としての境内

相輪橖(そうりんとう)|147年ぶりの復活

三仏堂から裏手のほうへ進んでいくと、物々しい雰囲気を放つ建造物が目に入ります。

相輪橖。

天台宗の仏塔として、比叡山延暦寺などに10基しかない希少な存在です。

もともとは、徳川家光公の発願により、天海大僧正が世界の平和と繁栄を願って日光東照宮奥の院の鬼門に建立したもの。のちに神仏分離令によって現在の場所に遷されました。

内部には、お釈迦さまの舎利(遺骨)に見立てた「お経」が納められています。

参拝した2022年3月の時点では、147年ぶりの解体修理を終えたばかり。
同年4月に落慶法要が行われた直後だったのです。 どおりで、ピカピカに輝いて、威厳を放っていたわけです。

相輪橖のお隣には、山内最大の青銅製燈籠「糸割符燈籠」も鎮座しています。

大護摩堂|五大明王と30躰の仏さま

さらに進むと、大護摩堂が姿を現します。

大護摩堂は、日光随一の護摩祈願所として、多くの参拝者の要望に応えるため、1998年に新築された祈願専用のお堂です。

(日光山輪王寺 公式サイト「大護摩堂」より)

堂内には、御本尊の五大明王(平安中期作)を中心に、七福神、十二天、祖師像、法華塔、鎮将夜叉尊など、合わせて30躰の仏さまや祖師像がおまつりされています。

そして天井を見上げると──

大昇竜(だいしょうりゅう)。

故・吉原北宰氏(国指定彩色保存選定技術保持者)が、2年半の歳月を費やして完成させた天井画です。

ゆっくりと手を合わせ、この空間に身を委ねます。

ここで注目すべきは、大護摩堂の御本尊が「五大明王」であるという点です。

五大明王とは──
不動明王を中心に、降三世明王・軍荼利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五尊で構成される密教の護法尊。
天台密教においては、五方(東西南北中央)を守護し、あらゆる障碍を除く存在として最も重視される明王群です。

三仏堂の三尊本地仏が「衆生救済」の慈悲の体系であるのに対し、大護摩堂の五大明王は「障碍調伏」の力の体系。 この二堂が隣接して配置されていることで、日光山輪王寺の境内は「慈悲と調伏」の両輪が揃った密教空間として完成しているのです。

天海僧正の「ととのえよ」の言葉が、ここでも内側に響いてきます。
「ととのえる」とは、慈悲によって受け入れ、明王の力によって障碍を除き、自分自身の内側を整えていくこと。
日光山の境内は、まさにそのための「場」として設計されているのではないでしょうか。

元三大師のご縁日|偶然のなかの必然

大護摩堂の脇にある寺務所で御朱印を授かろうとしたとき、窓口の方から声をかけられました。

「本日は3日なので、限定の元三大師さまの御朱印がありますよ」

あらま。

そうやったわ。 この日を出張の打ち合わせ日として決めたのは私自身でしたが、3日を特に意識していたわけではありません。参拝も、当初は本格的に決めてもいなかったのですから。

偶然の、元三大師さまのご縁日。

元三大師(慈恵大師・良源、912年〜985年)は、天台宗第18代座主。
比叡山の復興に尽力し、天台宗中興の祖と称されます。

正月3日に遷化されたことから「元三大師」の名で知られ、「おみくじ」の創始者としても信仰を集めています。

大護摩堂には、もちろん元三大師さま(慈恵大師)もおまつりされています。 ありがたく、限定の御朱印を授かりました。

ここで、ふと気づいたことがあります。

日光山輪王寺の法脈を遡ると、こういう流れが見えてきます。

 勝道上人(開山)
→ 慈覚大師円仁(天台密教の導入・伽藍整備)
→ 元三大師良源(天台宗中興)
→ 天海大僧正(江戸期の中興)

つまり、三仏堂で天海僧正から「ととのえよ」の感覚を受け取り、大護摩堂で元三大師のご縁日に巡り合ったということは、日光山の天台の法脈そのものに触れた、ということなるのだと感じます。

巡礼を重ねるほどに、こういった「決めていないのに、そこに導かれている」体験が増えていく感覚となります。

光明院稲荷社|鎮守の静けさ

大護摩堂のお隣に、光明院稲荷社がひっそりと建っています。

鎌倉中期、弁覚法印が日光山の総本坊として光明院を創建したとき、その鎮守として建立された社。
一般的な稲荷社とはちょっと違う雰囲気がありますが、静謐な中に厳かさを讃えており、内省を促されるような場所と感じます。

最後に振り返り、一礼。

ありがとうございます。

まとめ──「自らを調える」ということ

日光山輪王寺。

限られた時間のなかで、この場所から受け取ったものを整理してみます。

▶︎まず、天海僧正から受け取った「ととのえよ」という感覚。

▶︎次に、三仏堂の御本尊が体現する「三山三仏三社」の本地垂迹思想。
山と仏と神が分かたれない「不二」の世界観。

▶︎そして、鎮将夜叉尊との邂逅から始まった毘沙門天信仰への導き。

▶︎大護摩堂の五大明王が示す「障碍調伏」の力。

▶︎元三大師のご縁日という偶然が照らし出した、日光山の天台法脈そのものの流れ。

これらすべてを貫くキーワードが、「ととのえる」だったのだと思います。

「ととのえる」とは、外側の何かを変えることではないはず。
自分のなかにあるざわつきや迷いをひとつひとつ見つめて、そのまま受け入れて、祓いとする。

三仏堂の三尊が示す「慈悲・浄土・忿怒」の三つの救いも、大護摩堂の五大明王による障碍調伏も、すべては「自らの内側を調える」ための営みなのかもしれません。
日光山輪王寺は、1250年にわたってそのための場所であり続けているのでしょう。

日光巡礼は、ここから始まります。

次回、シリーズ②では、いよいよ日光東照宮へ。

家康公の御霊が鎮まるあの場所で、何を感じ、何に気づいたのか。
増上寺で胸の奥にグッときた、あの感覚の先にあるものを、引き続き追いかけていきます。


では。

いつも、ありがとう^^


@Rico

幸せは自分のために
世界が平和であるために

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