エッセイ「江戸の見栄っ張り」
江戸っ子の粋やらいなせなんていうものはね、言葉の響きはいいのかもしれないけどね、ただの見栄っ張りなんですよ。「江戸っ子は宵越しの金は持たない」なんていうのも、粋を表す代名詞のように使われているけどね、江戸なんて町はどこもかしこも長屋が密集していたからね、ちょっとしたことで火事が起きては焼け出されちゃう。
「火事と喧嘩は江戸の華」なんて言うけどね、いつ焼け出されるかわからない長屋に金なんて置いておけないわけ。
だからね、その日暮らしのことを格好がつく言い方に変えただけなんだよ。まあ、そこで格好をつけてしまおうとか、見栄をはろうなんて自分の口から言わないのも粋なんですけどね。
しかしね、見栄を張ることを楽しむ余裕はありましたよ。例えばね、服の裏地だけ派手にしたりしてね、大っぴらには見せないんだ。見せたいけどぐっと意地を張って見せない。それが江戸の男なんですよ。まあ、一昔前の不良のようなもんだ。
それにね、美味いと評判の店があれば、我先にと食べてみてね、「こいつはうめえや」なんて膝を打ち、一番乗りを気取るんだ。でも、本当に美味しいものにしかそんなことはしないんだよ。
まあ、そんなところはね、縁起を担いで初鰹に目の色を変えていたのと変わらないかもしれないね。
なんでこんな話になったかというとね、先日のことなんだけど「最近は隅田川を渡る用事がなくてね」と言ったら、「粋な言い方ですね」と言われたのだけど、なるほどと思ったんだ。私にしてみれば隅田川を渡るというのは、ほとんど下総に行くことだからね、よほどのことがなければ行かないんですよ。
それでね、隅田川は境界線みたいなものだから、そんな言い方をしたんじゃないかな。ほら、「隅田川の先にある両国から東は遠いから用事でもなければ行かないよ」なんていうより、通じる人には話が早いんだよ。これも確かに粋なのかもしれないね。江戸っ子というのは気が短いからね、ちゃちゃっと話を済ませたいわけ。それでね、これも「ああ、忙しい」という見栄を張るための演出なんだよ。
いやはや、私も厄介な性分だね。
だからね、江戸っ子の粋というのは、なにごともスマートに見せるための痩せ我慢なんです。それが時代が下ってね、何事も頭でっかちに物事を考えるようになっちゃったものだから、シンプルでスマートに見える江戸っ子というものがブランドなんかに落ちぶれてしまったんだよ。
他に江戸っ子の気性を表す言葉には「いなせ」なんていうのもあるけどね、これは魚河岸で働いていた若衆が喧嘩っ早いことから、「気が短い若い男」という意味なんだけど、これも「粋でいなせ」なんて一括りにされちゃった。
まあ、私は粋なのかもしれないけど、決していなせではなかったですよ。見栄っ張りじゃないから「いなせ」なんて自分で言わないよ。あれ、見栄っ張りのことを粋だなんて言った男がいた気もするけどね。
了
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