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エッセイ「通じぬ江戸言葉」

     死んだじいさんが、なんの話だったか「それは決まりが悪いね」といったことがある。元の妻が私のほうを向いて、なにやら不思議そうな顔をしている。焦れた妻は「決まりが悪いってなに?」というんだ。

 ああ、昔の言葉だからわからないのかと思い、説明しようとしたが、適当な言葉が思いつからない。結局、その場はどうにかなったはずだが、ふと思い出すと、どうにも気になる。

 昔から日本には、物事をみじかい言葉に置きかえて表現する術がある。「侘び」「寂び」などはその典型だろう。それと似ているのが江戸言葉だ。調べてみると「決まりが悪い」は、物事がきれいに完結しない、中途半端な状態を指すという。つまり、悪くはないが、どこか収まりが悪い。完璧ではないというニュアンスである。いまでいうところの「詰めが甘い」に近いのだろう。

妻の問いに答えることが出来なかったのは「そういうニュアンス」という、いささか漠然としたものだったからだ。

ほかにも「締まりがない」という言葉がある。これは物事の用意が整っていない、あるいは何かが欠けていて始まらない、という意味になる。たとえば「刺身には醤油がないと締まりがない」などというんだよ。

 こうした言葉を、私は疑いもなく理解していた。とはいえ、口に出すことは少なく、せいぜい心のなかで「あの着こなしは決まりが悪いな」と思う程度だったね。

 ときには「うっちゃっておいておくれ」「鍵をかうんだよ」といった言葉が通じないこともあった。そのたびに「うっちゃるは捨てること」「鍵をかうは鍵を締めること」と説明してきたが、深くは考えなかった。「昔の言葉だから通じないのだろう」と、そう思っていた。

 ところが、これらも実は江戸言葉で、他所ではあまり使われないらしい。

 そうなると、話は少しややこしくなるんだ。

 いったい何が標準語で、何が江戸言葉なのか。私のなかでは、どれも同じように使っていた言葉だ。区別などつけていなかった。

 さらに調べを進めると、「飛ぶ(全力で走る)」「コップを干す(飲んで空にする)」「おしめり(地面を適度に濡らす雨)」「たばこを飲む(味わって吸う)」なども江戸言葉じゃないか。

 たしかに私は、「ささ、早くそれを干しちゃって、もう一杯飲みなさいな」とか、「ちょっとたばこを飲むから先に行っておいてくれ」といった具合に使っていた。そういえば、お勝手口というものもあったね。家人や御用聞きの出入り口で、玄関は客を迎え入れるためのもの、という暗黙の決まりである。

 御用聞きもいまでは聞かなくなったね。昔は贔屓にしている酒屋や八百屋、魚屋などが目利きをして、品物を家まで届けてくれた。そのときは勝手口を開け、二言三言ことばを交わして、また次の家へ向かうんです。

 言葉というのは、こうした生活のなかで自然と使われ、残っていくものらしい。思い返せば、私のなかには想像以上に江戸言葉が染みついていたようだ。江戸言葉には、その場の空気やリズムをつかむ力がある。

 標準語で「あの男の着こなしは、服が体にフィットしていない、ネクタイの柄も似合わない」と言うところを、「あの男の服は決まりが悪いな」ですませられる。かように、簡潔でいて的確なんだよ。

 とはいえ、それを齢五十をすぎて変える気はないし、ことさら誇るものでもない。それこそ無粋というものだろう。ただ一つ言えるのは、なにごとも自分で調べてみなければ、自分の常識が他人に通じるとは限らない、ということだ。

 いささか話がとっちらばってしまったが、最後に私の知っている言葉で締めくくろう。いまではあまり使われないものも多いが、昔はこれで十分に通じていたのである。

 「おお、いい仕立てのおべべじゃないか。あつらえかい?出掛けるのにがま口は持ったね?あの店のおやじはいつもお天気だから、安心して行っておいで。帰ったら、べべはきちんと衣紋掛けに掛けておかないとシワになるからね。それとお空があやしいから、おしめにも気をつけなさい」

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山下静希 自分の記事の価値を知りたいと思っています。 いただいたチップで一杯の美味しいコーヒーを飲ませていただきますので、応援よろしくお願いします。