自分の裏表に疲弊したときは
人と接するときは、基本的にずっとニコニコするように心がけている。
接する相手の気分を害さないように、という気持ちがあるからだ。
けれど、本心ではもっと打算的な考えもある。
いくら気をつけてもミスが多いへっぽこなので、やらかした時に「なんか憎めないんだよな」と思われたいからだ。
それが自分にできる"上手な世間の渡り方"だと思ってきたのだけれど、家でひとりになった時に思う。
やな奴!やな奴!
自分はなんて嫌な奴なんだと。
せめて、「うまくやっていくためにこう生きているんだ!」と素直な心だけが自分の中にあればいい。
けれど、人を嫌な気持ちにさせたくないから、ニコニコしていい空気にしたいから、という気持ちを“表側”として用意している自分に、嫌気がさすのだ。
でも、この表も嘘ではない。
というところも、また嫌なのだ。
どちらにも振り切れない自分の性質の中途半端さが気に入らない、とでもいうのだろうか。
そんな感じで、定期的に耳をすませば症状が出てしまうのだけれど、そうなった時に抜け出す方法は大体いつも同じ。
幼少期に感じていた純粋な疑問とそれに対する答えの仮説が、耳をすまさなくさせてくれる。
子どもの頃、「裏表(うらおもて)」という言葉に疑問を感じていた。
なぜ裏が先で、表があとなのか
という疑問だ。
意味としては、「表裏(ひょうり)」の方がしっくりくるけれど、通常の会話として「あの人表裏があるよね」と言っている人は見たことがない。
表裏を使う時といえば、「表裏一体」くらいだと思う。
このことについて考えていた時にたどり着いたのが、
裏が表で、表が裏なのでは?
という仮説。
先ほどのことで当てはめていえば、やらかした時に「なんか憎めないんだよな」と思われたい、が表。
人を嫌な気持ちにさせたくない、が裏。
ということだ。
こうしてみると、本当は「ちょっとええ感じの本心」を持っているけれど、それを隠しているちょっと粋な自分、が顕現する。
表裏一体になると、裏表が逆になるので、この仮説、結局意味がないんじゃない?と思ったりもしたけれど、
表裏一体は、裏も表も実は同じものとか、切っても切り離せないという意味らしいので、この仮説が裏返ったところで影響はなかった。
なので、自分の裏表に疲弊してきた時には
裏が表で表が裏説
を、提唱している。
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ここまで読んでくださりありがとうございます!とってもうれしいです...‼︎