漫画家アシスタント物語 古い話で章 〈28〉 漫画修行のため、アニメ界へ!
《 写真上: ウイタさんの1974年のデビュー作『ハッスル記者』、絵コンテの一部です。オリジナル原稿は出版社から戻っていません。40年も前の絵コンテ、キャラクターは明るく、クールな作者と全然イメージが違います。》
< この「古い話で章〈28〉」は、文庫本約ページ分 >
「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
ただし‥‥ 各話が連続していますので、「古い話で章〈1〉」からお読みいただく方が、よろしいかと思います。
はじめての方は、「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!
その52
《 漫画家アシスタントが・・・辞める時!? 》
私が秋山プロに入ったのが1978年、その2年前の1976年にウイタさんは秋山プロを去って行く事になります‥‥
その長い髪の毛や、アクの強い性格、そして風呂嫌いや汚いパンツの話など、多くの逸話を置き土産にしてくれました。( ホントは、秋山プロアシスタントデビュー第1号! )
さて‥‥
せっかくデビューしても、その後が続かず‥‥ ダラダラとアシスタントの仕事を続けていく‥‥ そんな暮らしに虚しさを感じていたウイタさんは、浮気でもするみたいに違う環境を求め始めるのです‥‥‥‥
秋山プロを辞めたいと先生に告げた時の事です‥‥‥‥
普通の会社なら辞めたいという者の話などたいして聞かずに‥‥
「 そうか、じゃ‥‥‥‥ 元気でな 」
‥‥と、あっさりしたものですが‥‥‥‥
ジョージ先生は、しつこく、粘り強く、辞める事を押し留めようと頑張ってくれたそうです。
静かに‥‥ やさしく‥‥ このまま仕事を続ける事を勧めてくれるわけです。
しかし、ウイタさんは先生の言葉に逆らうように「 でも、辞めたい 」と繰り返します‥‥
それでもジョージ先生は、やさしく‥‥
「 この話は、ここだけという事にしといてよ‥‥ また、明日から新しい気持ちで仕事に来いよ 」
先生の説得に、しっかりと納得したようにうなずくウイタさんなのですが‥‥
「 でも‥‥ やっぱり辞めます 」
‥‥と、頑なに自分の考えを変える事はありませんでした。
それでも、先生の説得は続きます‥‥‥‥
しかし、先生の話を受け入れるように「 はい、はい 」とうなずくウイタさんがまた‥‥
「 でも‥‥ やっぱり辞めます 」
何度目かの同じ会話の後で、先生はだんだんイライラして来ます‥‥
ウイタさんは、元来社交的なタイプではなく、人と話す時に相手の目を見て話す事がなかったのですが‥‥ 当然、その時も目は伏せがちになっていて‥‥‥‥
「 おいっ! おめぃ~は、人の目を見て話せねぃ~~のかよっ! 」
‥‥と、例のアルコール性の赤黒い顔で威圧するように怒り出します‥‥‥‥( これが結構怖い! )
「 これだけ言っているのにっ! 」
あくまで「辞めたい」と言い通すウイタさんに、最後の一撃( 愛想尽かしの一撃 )を加えます‥‥‥‥
「 俺ぃの話を‥‥ 受け入れる器量がおめぃ~には無ぃ~のかよ! 」
私も、何人もの漫画家先生に師事した事がありますし、逃げ出すようにして辞めた事もあります。
翌日から失業者として職探しに走り回らねばならない‥‥ そんな情けない有様( お先真っ暗な状態 )であっても、辞めてしまう時には辞めてしまうものです‥‥ よく分かるのです。
辞めたい時には、損得抜きに辞めたいのです‥‥
1976年、ウイタさんはこの時、まだ23歳の若者でした‥‥‥‥
その当時、私は21歳、お互いに若い頃を思い出しながらコーヒーを飲みます‥‥‥‥ 二人とも、すっかり白髪頭になっています。
私は、ウイタさんに質問しました‥‥
「 アシスタントをやっていて、一番良かった思い出って何ですか? 」
「 ‥‥‥‥良かった思い出? 」
少しの間、苦笑いしながら‥‥‥‥
「 先生にほめられた事だね‥‥‥‥ 」
「 絵をほめられた‥‥‥‥? 」
「 ‥‥って言うか‥‥‥‥‥‥ 」
ウイタさんが秋山プロを辞める2,3年前の事です‥‥
「 自分でも良く描けたなぁ‥‥ と思っていたリアルな背景画をね、先生が 一人、仕事場でジ~~ッと見ていた事があってね‥‥‥‥ 」
「 仕事が終わった後に、先生が一人で? 」
「 そう、私の絵をジ~~~~ッとね‥‥ 今でもよく覚えているよ 」
Zライトだけの暗い部屋の中で‥‥ ウイタさんの描いた背景画を見つめる先生の後ろ姿が思い浮かびます‥‥‥‥‥‥‥‥

その53
《 漫画家アシスタントが・・・アニメ世界で生き始める・・・!? 》
ジョージ先生のアシスタントを辞めても、漫画家になる夢を捨てたわけではないウイタさん‥‥‥‥
次の仕事にアニメ制作を選ぶのですが、それはあくまで将来漫画家になるための勉強になるのではないか‥‥ という思惑があってのことでした。
漫画背景をいくら描いても、キャラクターの練習にはまったくなりませんが、アニメなら少なくともキャラクターを描く練習にはなると考えたのです。
ある日、新聞の求人広告欄( 三行広告、とても小さな記事 )にアニメ会社の求人広告がありました。 国分寺の北口にある「 スタジオA 」( 仮名 )という会社がスタッフを募集していたのです。
すぐに応募します‥‥
まったくの偶然、行き当たりばったりの適当な就職活動です。
この時、同じ国分寺の駅の反対側には、あの有名な「 〇ツノコプロ 」があって、この当時はまだ無名だった押〇監督など、多くの才能豊かなアニメーターが仕事をしていました。
もっとも、有名プロダクションへド素人のウイタさんが、呑気に出かけて行くような事はありませんでした。
「 もし、あっちへ行っていたら‥‥ なんて、たまに思うね‥‥ 入れてくれなかったと思うけどさ! 」
そう言って、ウイタさんは懐かしそうに微笑みます。
ウイタさんが面接に出かけた「 スタジオA 」は、新聞広告を出すくらいでしたから、よほど人材に困っていたのかどうかは、分かりませんが‥‥ とにかくアニメを描いた事のないウイタさんを雇ってくれたのです。
漫画の原稿を持って行った時に、そのキャラクターの線を見て「 すぐに使えるなこいつ 」と判断してくれたのかもしれません。
この頃、ウイタさんはもう20代の半ば( 24、5歳 )になっていました。
周りの20歳そこそこアニメーターに混じって、慣れない仕事を始めるのは、大変な事だったと思います。
「 3ヶ月だけやってみて、アニメがダメなら諦めるつもりだった‥‥ 歳も取ってるしね 」
朝10時から翌日の朝10時まで仕事‥‥
近所にアパートを借りて仕事以外は寝るだけというハードな生活に突入!
スタートが遅い分、早くアニメの技術を身につけようと頑張ります‥‥
「 仕事以外は食事と寝るだけって‥‥ 相当に苦しかったと思いますが‥‥‥‥ 」
「 そ~でもなかったよ‥‥ ただ、絵を描いているだけだし、わずらわしい人間関係やストレスもなくて、楽だったよ 」
アニメ制作の見習い期間は3ヶ月。 一ヶ月の給料保証は6万円( 当時のサラリーマン月収の半分 )。それ以外に、描いた原稿の枚数に応じてお金がもらえた。
仕事の基本は、原稿( A4ほどの用紙 )に鉛筆を使ってトレース( 模写 )するので、それほど高度な技術は必要ではありません。
現在では、専門学校などで動画や原画制作の基本を勉強して制作会社に入るわけですが‥‥ ウイタさんは、入社が遅かったので、最初の3ヶ月でスタートダッシュする必要があったのです。
その結果、努力が認められてすぐに原画の仕事を許されます‥‥‥‥ この頃、大手の制作会社から下請け仕事としてやっていたのが「 〇カベン 」や「 〇河鉄道999 」でした。
ところが‥‥
成長が早く、人一倍の努力を惜しまなかったウイタさんですが‥‥ 2,3年してから漫画家への夢が再燃し、アニメ会社を辞めてしまいます‥‥‥‥
アニメを辞めてから約6ヶ月間‥‥ 3本の漫画を制作してそれぞれ投稿しましたが‥‥‥‥‥‥‥‥ 全て没。
この「 6カ月 」を「 最後のチャンス 」と考えていたウイタさんは、スッパリと自分の才能に見切りをつけます。
会社へ戻ると‥‥
「 もう、漫画は描きません 」
会社のスタッフ全員の前で深々と頭を下げながら‥‥‥‥‥‥
「 これからは、アニメ一本でやっていきます! どうか、もう一度使ってやって下さい! 」
「 スタジオA 」のスタッフは複雑な表情でその言葉を聞きますが‥‥ ウイタさんの気持ちをよく理解してくれました。
改めて、ウイタさんはアニメの世界へ本気モードで突入‥‥ そんな覚悟で顔を上げると‥‥‥‥
「 その代わりさぁ‥‥ ウイタ君‥‥‥‥ 韓国へ行ってくれないかなぁ~? 」
「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈29〉」へつづく・・・・
「古い話で章〈27〉」へもどる‥‥
「もくじ」 へ‥‥
⇩⇩ 輝くバラの画家、村田先生が童話作品で創作大賞に挑戦! ⇩⇩
⇩ ⇩ ⇩ 私の応募作品もよろしく! ⇩ ⇩ ⇩
いいなと思ったら応援しよう!
年金生活者にとって、とても嬉しいご支援! 感謝申し上げます!