漫画家アシスタント物語 古い話で章〈18〉 日雇い人生から連載カムバック!
《写真上:豊島区南長崎の旧ニコニコ商店街沿いの公園。左がトキワ荘の記念碑、中央、記念碑を振り返っているのが現在の加川さん。2014年4月 》
< この「古い話で章〈18〉」は、文庫本約9ページ分 >
「古い話で章」は、独立した「章」ですので、「諦めま章」の続きではありません。 無料で、各話、お楽しみいただけます!
ただし‥‥ 各話が連続していますので、「古い話で章〈1〉」からお読みいただく方が、よろしいかと思います。
はじめての方は、「マガジン:第1章、第2章」(無料)がお薦めです!
その35
《 漫画家アシスタントが・・・日雇い労働者になる!? 》
週刊少年Kでの連載契約は、4回。
実際には、加川さん( ※参照 )の連載は、4回の契約が延長されて合計8回ほど続いたようです‥‥‥‥
ただ、人気もその評価もイマイチ‥‥‥‥
貧乏アシスタントの生活から脱出したと思ったら、いつ連載が切られるかの崖っぷち人生が待っていたわけです。
奥さん( 内縁の妻? )と母親、二人の扶養家族を抱えて木造モルタルアパートの一室で必死に原稿に向かう加川さんに漫画の神様は冷たかったようです‥‥‥‥
もっとも、どれほど多くの新人漫画家が最初の連載数本でパッタリと討ち死にして行くか‥‥‥‥
加川さんは、最初の連載打ち切りから、もう一度連載のチャンスをもらいますが‥‥‥‥
それも、4回契約‥‥‥‥ そして、連載合計8回目には打ち切り‥‥‥‥
どれほどの焦りと葛藤があったかは、私の想像を超えています‥‥‥‥
でも、本人は、この当時を振り返って、笑いながら‥‥‥‥
「 最初のデビューは、ホントにいい加減だったんだよ! 」( 笑 )
加川さんの言葉通り‥‥‥‥ 当時の短編や連載漫画のタイトルを見ると「 Blueな~ 」とか「 マイラブ~ 」「 いつでも君と 」などといった一見明るいが、中身の無い軽いタイトルが多いようです。( 注:ここに記したタイトル名は、全て、拙旧gooブログ読者の『迷探偵』(HN)さんから教わったものです。感謝! )
「 ダメに決まってるよなぁ~! 」( 笑 )
今でこそ笑い話に出来るのだと思いますが、当時の加川さんを見知っている私には、この控え目な笑いをすんなり受け入れる事は出来ませんでした‥‥‥‥
1978年、ピンクレディーや「 サタデーナイトフィーバー 」( 米映画、1977年 )が流行っていた頃‥‥‥‥ アシスタントを辞めて、デビューした当時の加川さんは、その服装から髪型までサッパリとして、今で言う「 勝ち組 」そのものでした。
「 忙しくってさぁ~、小池ちゃんも背景描くの手伝ってよ~! 」
まさにフィーバー状態‥‥ 生き生きと輝いていたその姿は、私にとってどれほど眩しかったことか!
ところが、連載が終わってしばらくすると、今度は逆に服装はヨレヨレ労働者、寝癖の付いた髪型はボサボサ頭、目の下には黒いクマが‥‥‥‥‥‥
その変わりぶりに、まるで、「 漫画家残酷物語 」( 永島慎二作1961~64年 )の劇場版でも見ているような有様でした。
2,3年もすると、秋山プロスタッフの仲間たちに少額の借金までするようになっていました。( 注:すでに、ほとんど返却されています )
焦って作品を描いても、もう誰も助けてくれる人はいない‥‥
出版社へ持ち込んでも、一社目で断られた作品は、二社目でも断れ、三社目でも断られる。
「 どこだって『 プロの眼 』は同じだから、何社廻ったってダメな作品は、ダメなんだよ 」
事実上、生活は破たんしていく‥‥‥‥
家族は、バラバラになり、仕事も水商売や日雇い仕事など‥‥‥‥ すさんだ生活を重ねていく‥‥‥‥‥‥
「 あのままだったらホームレスか犯罪者になってたと思うよ‥‥‥‥ 」
そんな、まさに断崖絶壁の暗闇の中で‥‥‥‥ それまでの苦労が報われるようにチャンスが巡って来るのです‥‥‥‥
1984年( 昭和59年 )、最初の連載が打ち切られてから6年後‥‥‥‥
この辺の経緯は、随分前にこのブログにも書いたのですが、今回は、名前を改めてもう一度書かせていただきます‥‥‥‥
加川さんは、自身が勤めていた風俗店を元にした漫画を制作‥‥‥‥
それまでとは違った‥‥‥‥ 手応えのある作品が出来上がったのです。
とにかく、すぐにでも金にしたい‥‥‥‥ そう思っていた加川さんは、早速、連載用の作品を持って出版社に向かいます。
持ち込み、第一社目‥‥‥‥ 「 半年先に連載を 」との勧めを断る。
すぐにでも現金が欲しい、そのため「 半年先 」だなんて冗談じゃない‥‥‥‥という事で‥‥‥‥
持ち込み、第二社目‥‥‥‥ 「 一年先に連載を 」との勧め‥‥‥‥ キッパリ断る。
持ち込み、第三社目‥‥‥‥ 「 一ヶ月後に連載を 」との勧め‥‥‥‥
「 加川さん、これ、良いですよ~、是非、うちでやりましょう‥‥ 来月から! 」
しかし、加川さんは自信満々の表情で考える‥‥
『 K談社で連載もらった方がイイぜ! 』

その36
《 漫画家アシスタントが・・・復活デビューする!? 》
『 K談社で連載もらった方がイイぜ! 』
‥‥そんな強気な( 妙な )自信に満ちあふれていた加川さん‥‥‥‥
『 やっぱ、セコイ出版社より、デカい所で連載が‥‥! 』
加川さんは、やる気になっている編集員を上から目線で見つめながら考えます‥‥‥‥
『 一流出版社‥‥ 連載‥‥ 単行本‥‥ 所得倍増‥‥ 海外旅行‥‥ マンション購入‥‥‥‥ 』
そんな事まで考えたかどうか、分かりませんが‥‥‥‥
とにかく、担当編集員は熱心に語りかけます‥‥‥‥
「 これ良いですよぉ~、来月からやりましょう! 」
‥‥‥‥すると‥‥‥‥
少し、冷静になった( 自分を取り戻した )加川さんは‥‥‥‥
『 やっぱり、すぐに金がもらえる方がイイかなぁ~ 』
‥‥‥‥と、編集員の「 来月から! 」の一言でN文芸社で連載する事に決定します。
もっとも、N文芸社といえば、S英社やK談社のような超メジャー出版ではなくても、大人向けの漫画雑誌を出版する老舗出版社です‥‥‥‥ 立派なものです。
1984年、ジョージ先生( ※参照 )の所から独立して丸6年が経っていました‥‥‥‥
連載契約は、4回。
隔週漫画雑誌でしたから、2週間で1本の作品を掲載する事になります。
イイ加減な気持ちで調子よく連載をスタートした6年前とは違い、今回は真剣でした。
目先の欲望に走る事もなく、ただ一途に‥‥‥‥
『 4回で終わりなんだ! 』
‥‥‥‥そう自分に言い聞かせて、緊張感と集中を絶やさなかったわけです。
緊張感と集中力の結果なのか‥‥ 4回だけが8回になり‥‥ 8回が16回になり‥‥‥‥
1年、2年と連載が続き、単行本も1冊、2冊‥‥‥‥
もう、思いつくままに描いていた昔とは違いました。
一度、挫折した経験と、どん底まで落ちた貧乏暮らし‥‥‥‥ 数年間のすさんだ人生‥‥‥‥ 水商売に始まって、山谷の日雇い仕事まで‥‥‥‥ ポケットに100円玉一つしかない日々の暮らし‥‥‥‥
そこで出会った多くの人と、その人々との忘れられない思い出‥‥‥‥
昔のようにチャラチャラした軽いタイトルやストーリーを描いていた頃とは違っていました‥‥‥‥
生きる事の苦しみや、それから逃げてしまう人間の弱さや哀しさを描く‥‥‥‥ 人生と向かい合うように描いた漫画作品群だったのです‥‥‥‥
「 あの時は、ひとつの作品に向かう姿勢が全然違っていたね 」
私が現在の加川さんに「 デビュー当時と、N文芸社で連載を取った時の違い 」を質問した時に、「 姿勢が違っていた 」と答えてくれました。
「 最初のデビューはイイ加減だったんだよ、本当に適当~だったんだよ! 」
タバコを吸いながら笑う64歳の加川さん。
「 N文芸社で連載やってた時は、作品への取り組み方が真剣だったよ、全然違うよ! 」
私は、明るい表情の加川さんに質問を続けます‥‥ ちょっと贅沢な質問を‥‥‥‥
「 加川さん、もし‥‥‥‥」
「 ‥‥‥‥? 」
「 もし、『 面白い作品を描くにはど~したら良いですか? 』と質問されたら‥‥‥‥ どう答えます? 」
加川さんは、ほとんど即座に答えてくれました!
考える間もなく、当然だといった感じで‥‥
「 漫画家アシスタント物語 古い話で章〈19〉」へつづく・・・・
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「もくじ」 へ‥‥
~~~ 参照 古い話で章〈18〉~~~( 読んでも、読まなくても!)
【その35】
・加川さん : 中学卒業後、職業を転々としながら漫画家アシスタントに成る。1969年にジョージ先生に師事。1978年に少年キングで連載を得て独立。1984年別冊漫画ゴラク連載。翌年、単行本出版。
【その36】
・秋山プロ : 漫画家ジョージ秋山先生の仕事場。東京目白にあり、スタッフは2015年現在2人。連載は1誌。ちょっと淋しい今日この頃です。(バブル期には連載6誌、スタッフ6人)
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