祈ったあとの日常を、静かに生きる― 慰霊の日の翌日に、足元の暮らしへ戻る ―
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
昨日は、6月23日。
沖縄にとって大切な日、
慰霊の日でした。
沖縄戦で亡くなられた方々を悼み、
平和を祈る日。
私も昨日、
今の自分なりの言葉で、
慰霊の日に思うことを書きました。
沖縄に暮らす者として、
慰霊の日に手を合わせること。
その先に、自立と共生の社会を思うこと。
ととのえることは、
平和と無関係ではないということ。
祈りを、
特別な日だけで終わらせないこと。
そんなことを書きました。
そして、一夜明けて、
また、いつも通りの日常が始まっています。
仕事がある。
予定がある。
食事をする。
洗濯をする。
移動する。
誰かと話す。
昨日、静かに手を合わせていても、
今日の暮らしは続いていきます。
今日は、
日常を生きることについて、
書いてみたいと思います。
祈りの翌日にも、暮らしは続く
大切な日に手を合わせる。
亡くなられた方々を思う。
平和を祈る。
命の尊さを思い出す。
そういう時間は、
とても大切です。
でも、
祈ったあとにも、
暮らしは続いていきます。
祈りの時間が終わったら、
急にすべてが整うわけではありません。
自分の心が、
すぐに穏やかになるわけでもありません。
社会が一日で変わるわけでもありません。
身近な関係が、
一瞬でやさしくなるわけでもありません。
昨日、平和を祈った自分が、
今日も誰かにイライラすることがあります。
昨日、命の尊さを思った自分が、
今日、自分の体を雑に扱ってしまうことがあります。
昨日、自立と共生について考えた自分が、
今日、誰かに合わせすぎたり、
誰かに自分の正しさを押しつけてしまうこともあります。
それが、人間というものです。
祈ったあとの日常は、
きれいな理想だけでは、進んでいきません。
むしろ、
祈ったあとにこそ、
日常の中で、
自分の在り方を見直す必要があるのだと思います。
特別な日を、特別な日だけで終わらせない
慰霊の日は、
特別な日です。
故人を想うことは、
大切で、特別な日です。
これは、命日でも、お盆でも一緒です。
特別な日を、
特別な日だけで終わらせてしまうと、
祈りは、少し遠いものになってしまいます。
昨日は、祈った。
昨日は、考えた。
昨日は、手を合わせた。
でも、
今日からまた元通り。
そうなってしまうと、
祈りは日常から切り離されてしまいます。
大切なのは、
昨日の祈りを、心を安らかにする時間を、
今日の暮らしの中に少しだけ残すことです。
たとえば、
朝、少し静かに呼吸する。
食事を粗末にしない。
言葉を少し丁寧に使う。
誰かを責めそうになった時、
一度立ち止まる。
自分の疲れを、
なかったことにしない。
違う考えを持つ人を、
すぐに敵にしない。
身近な人との関係の中で、
奪うのではなく、
支え合う方を選ぶ。
そういう小さなこと。
それは、
祈りとは違うように感じるかもしれません。
でも、
祈りを日常に戻していくとは、
そういうことなのではないかと思います。
心の中で手を合わせ、
お手々のシワとシワを合わせて、しあわせ。
…と、自分と相手のことを
想うことができるならば、
それって、本当に幸せなことではないでしょうか。
平和は、足元の暮らしにもある
平和という言葉は、
大きな言葉のようにも感じます。
大切な言葉でありながら、
大きすぎて、
自分の暮らしから少し遠く感じることもあります。
でも、
平和は、
遠くの世界だけにあるものではありません。
私たちの、
足元の暮らしの中にあります。
今日、自分がどんな言葉を使うか。
今日、自分が人とどう関わるか。
今日、自分の疲れをどう扱うか。
今日、自分の怒りや不安を、
そのまま誰かにぶつけるのか、
一度立ち止まって見つめるのか。
今日、自分と違う人を、
排除しようとするのか、
少し理解しようとするのか。
そういう小さな選択の中に、
平和につながる道があります。
もちろん、
それだけで戦争がなくなるわけではないでしょう。
でも、大きな構造や、歴史や、政治の問題だけにするのも違う。
私たちが、自分自身の問題としてとらえること。
今、未来のために何ができるか。何をしていく必要があるか。
そういった一人ひとりの心がけ次第だと思うのです。
私たち一人ひとりの在り方が、
身近な関係をつくり、
身近な関係が、
暮らしの空気をつくっています。
足元の暮らしを粗末にしながら、
遠くの平和だけを願うことは難しい。
祈ったあとの今日を、
どう生きるか。
心を安らかに、
過ごしていけるか。
そこに、
私たち一人ひとりにできる小さな平和があるのだと思います。
自立と共生を、今日の暮らしに
昨日の記事で、
自立と共生について、私の思うことを書きました。
自立とは、
誰にも頼らず、一人で生きることではない。
自分の命を、
自分のものとして引き受けること。
自分の足元を見つめること。
自分の心と体と思考を、
できる範囲でととのえていくこと。
そして共生とは、
誰かに依存することではなく、
互いの違いを尊重しながら、
必要な時には支え合って生きること。
この言葉も、
大きな理念として掲げるだけではなく、
日常に溶けませる必要があると考えています。
自立と共生も、
特別な場面だけで問われるものではありません。
今日、自分の疲れを人のせいにせず、
まず自分の状態に気づくこと。
困った時に、
一人で抱え込まず、
誰かに助けを求めること。
相手を助ける時に、
相手を自分の思い通りにしようとしないこと。
相手と違う考えがあった時に、
すぐに切り捨てず、
その背景を少し見ようとすること。
自立と共生という考えも、
大きな理想でありながら、
小さな日常の中にあります。
祈ったあとの日常を静かに生きるとは、
心安らかに、今日の自分の言葉や行動に
少しずつ反映していくことです。
ととのえることは、足元から始まる
ととのえることは、
特別なことではありません。
大きく変わることでも、
完璧になることでもありません。
今の自分の状態に気づくこと。
少し呼吸を戻すこと。
体の声を聴くこと。
思考が先走っていることに気づくこと。
心が置いていかれていることに気づくこと。
自分の中にある怒りや不安や焦りを、
なかったことにしないこと。
そして、それを誰かにぶつける前に、
少しだけ立ち止まること。
それが、
ととのえることの始まりです。
自分がととのうことで、
身近な関係が少し穏やかになる。
自分が少し落ち着くことで、
誰かを責めずに済む。
自分のズレに気づくことで、
相手とのズレにも、
少しやさしく向き合える。
そうやって、
ととのえるということは、
自分だけのものではなくなっていきます。
世界平和の前に、
今日の自分の暮らしを平和に過ごす。
そのためにできることは、
まず自分の足元から、ととのえていくことです。
祈ったあと、自分を急がせない
祈ったあと、
何かを変えなければいけない気持ちになることもあるかもしれません。
もっと、ちゃんと生きなければ。
もっと、平和について考えなければ。
もっと、行動しなければ。
もっと、良い人でいなければ。
もっと、正しくあらなければ。
…もっと、もっと言うのは篠原涼子だけで十分です。
もっと、もっと、きちんと、きちんと、
と、自分を責める材料にしなくていい。
昨日、手を合わせたからといって、
今日から完璧に生きられるわけではありません。
昨日、平和を思ったからといって、
今日から誰にも腹を立てない人間になれるわけでもありません。
昨日、自立と共生を思ったからといって、
今日からすべての関係がうまくいくわけでもありません。
それでいいのです。
大切なのは、
完璧になることではなく、
気づいた時に戻ってくること。
昨日の祈りを、
今日の暮らしのどこかで思い出すこと。
急いで変わろうとするのではなく、
少しずつ、自分の在り方をととのえていくこと。
祈りは、
自分を急がせるためのものではなく、
自分の足元を静かに見つめ直すためのものになります。
今日の小さな実践
大きなことをしようとしなくていい。
心穏やかにした祈りを、
今日の暮らしに少しだけ残す。
それくらいでいい。
たとえば、
食事の前に、少しだけ手を合わせる。
朝、窓を開けて、少し深呼吸する。
誰かに送る言葉を、少しやわらかくする。
疲れている自分を責めない。
急いでいる時に、
一度だけ足をゆるめる。
自分と違う意見を聞いた時に、
すぐに否定する前に、
少しだけ背景を想像する。
今日、自分の心と体と思考が、
どこでズレているのかを見てみる。
それくらいのことでいい。
祈りを日常に戻すとは、
特別な行動をすることだけではありません。
今日の小さな選択を、
少しだけ丁寧にすること。
その積み重ねが、
自分の暮らしをつくり、
身近な関係をつくり、
未来につながっていくのだと、私は信じています。
祈ったあとの日常を、静かに生きる
昨日、
慰霊の日に手を合わせました。
亡くなられた方々を想いました。
平和を祈りました。
自立と共生を想いました。
ととのえることと平和は、
無関係ではないと書きました。
そして今日、
また日常が始まっています。
今日も、心穏やかに1日を過ごしました。
祈りを、
特別な日だけで終わらせないために。
平和を、
大きな言葉だけで終わらせないために。
自立と共生を、
理念だけで終わらせないために。
ととのえることを、
自分だけの安心で終わらせないために。
今日、自分の足元を少し見る。
今日、自分の呼吸を少し戻す。
今日、誰かへの言葉を少し丁寧にする。
今日、違う考えをすぐに敵にしない。
今日、自分の疲れや怒りや不安に気づく。
今日、少しだけ穏やかな選択をする。
それくらいの小さなことからでいい。
祈ったあとの日常を、
静かに生きる。
自分自身の、足元の暮らしへ戻る。
平和というものは、
私たち一人ひとりの心が穏やかに過ごせること。
安心して過ごせるようになること。
私たち一人ひとりがととのっていくことだと思います。
あなたがととのえば、世界はととのう。
だから、私は今日もととのえていくのです。
ととのえ職人
五木田穣
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