☕ちょっと一服:Britpopをおしえてください
何か月か前、朝のテレビで Oasis が再結成して東京ドームが即ソールドアウト!――みたいな勢いで大騒ぎしていました。(少なくとも番組のテンションは、そんな感じでした。)
NHK のアナウンサーまで私も行きました!というような話を嬉しそうに話していて、朝からけっこうな熱量。
ああ、これは“いまも生きている熱”なんだな、と素直に思いました。
ただ、私はそのOasisの最盛期を知りません。
これだけ長いこと音楽を聴いてきましたが、Britpopという言葉も、音的に“スミスやネオアコの延長線くらいかな?”という、ぼんやりした像しか持っていませんでした。
あの頃の私は完全に、アメリカの“暗くて勢いのあるロック”に首ったけでしたから。Faith No More、Primus、Ministry、Nine Inch Nails、Unsane……。
湿度と重量感のある音世界に夢中だった身からすると、Britpopの「陽キャなギター音楽」っぽいイメージは、あまりに別世界でした。
なのでBritpopと聞いても、
Oasisは兄弟ケンカをしてるらしい?
Blurはアートスクール風味らしい?
明るい英国ギターポップらしい?
というか、属しているのはロックバンドみたいだけど、なんで「rock」じゃなくて「pop」なの?
その程度の認識しかなかったのです。
先日も書きましたが、ジャンルという枠組みには、ちょっとした拘りもありますので、最近、軽く調べたら──
Britpop、全然気楽じゃなかった。
むしろ妙に政治くさくて、胸に引っかかるムーブメントだった。
たとえば……
メディアが “英国 vs アメリカ” をやたら煽る
Oasis vs Blur という「分かりやすい構図」が出来上がっていく
Tony Blair政権期に、文化やポップが“国家イメージ”の文脈で語られやすくなる
主要メディアが、その物語をさらに大きく見せていく(少なくとも、そういう語りが繰り返された)
その裏でシューゲイザーのような内向的な音楽が、相対的に“前景”から押し出される
「……は? アメリカに勝つ? 勝ち負けの問題?」と、調べながら思わず声が出そうになりました。

ロックってそんな“国の競技種目”でしたっけ?
あれだけ革新性を誇った70、80年代の遺産が、Britpopのころには、
メディアの物語の中で“親しみやすい英国ロック”へ回収されていく。
しかもそれが「国民的ロック」「英国の勝利」と讃えられてしまう。
その構造自体に、少し胸が悪くなりました。

もちろん、Britpopの音そのものが悪いわけではありません。
ただ、調べていくほど「音楽が祭壇に乗せられ、神話化され、国のムードの小道具として使われていく」ような匂いが、どうにも……。
Britpopは華やかです。
けれど、その周りに張りつく物語──国家・メディア・産業が絡み合う匂いに、いま改めて触れると、やはりどこか居心地の悪さが残るのです。
……と、これはあくまで“一服”なので今日はこのくらいで。
この続きは本編でじっくり書きます。

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