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ユニオンジャックの裂け目から見えるもの:英国ロック・メディアの「敵を作る物語」と、その自壊の記録

── パンクからBritpop、そして文化政治まで

調べたことをつらつらと……ちょっと一服の続きです。

なお私は英国在住ではなく、当時の現地の空気を体感してはいません。本稿は、一次資料・回顧記事・関連文献から翻訳・抽出した内容として書いています。

様々な対立軸 誰が油を注ぐのか

■ はじめに

イギリスのロック・メディアは、奇妙なほど対立構造を好みます。
音楽そのものよりも「物語としての戦い」を作り出す文化が強く、そこでは必ず「勝者」と「敗者」を設定しないと記事が成立しません。

その結果、英国ロック史のなかでも独特と言える「敵を作らないと語れない病」が形成されていきます。

そしてこの病は、ただのメディアの誇張ではありません。
Britpopが「国の物語」へ回収されていく過程――つまり文化政治の局面にも深く関わっていきます。

本稿では、英国メディアの対立構造・シーンの形成・政治利用(政治・産業・メディアの相互利用)までを、ひとつの大きな文脈として統合し、整理していきます。

ただし、先にひとつだけ前置きをしておきます。
他国の音楽雑誌にも、対立構造は普通にあります。
メディアは、音の細部を説明するよりも「わかりやすい筋書き」を提示したほうが読まれます。

だから「本物/偽物」「アンダーグラウンド/商業主義」「新世代/旧世代」「地域A/地域B」といった二項対立は、国を問わず何度でも再生産されます。

アメリカでも、都市や地域、ジャンルの“正統性”をめぐる構図は繰り返し現れ、読者はそこに自分の帰属を重ねます。対立は、批評というよりも「読ませる装置」として機能するのです。

ただし英国(とりわけ90年代の英音楽誌周辺)が特異なのは、その対立が音楽の好みを超えて、階級や地域、さらには「国の気分」へまで接続されやすい点です。

Blur vs Oasisが単なるチャート競争ではなく、「中産/労働」「南/北」といった社会の縮図として演出され、国旗やナショナルな語彙まで動員される。

ここでは対立が、作品理解の補助線というより、最初から“物語の骨格”として先に置かれます。
つまり英国の対立構造は、「シーンの説明」という名目で、社会的な緊張やアイデンティティ確認の欲望まで引き受けてしまうぶん、熱狂も速いが消耗も速い――そういう燃え方をします。

この違いを踏まえると、英国ロック・メディアの「敵を作る病」は、単に煽りが強いという話ではありません。

モリッシーの大口を、どんどん記事化 言う方も言う方ですが

対立が、読者の感情を動かすだけでなく、階級や国民性の言葉と結びついて“制度化”しやすい土壌がある。
その結果、ムーブメントが音楽の自然な集合体として育つ前に、「勝者/敗者」「敵/味方」の脚本が先に完成してしまう。
ここに、Britpopが「現象」である以前に「物語」へ回収されていった必然が見えてきます。

なお本稿が扱うのは、以上のような枠組みを前提としたうえでの「常にそうだった」という断定ではなく、特定の局面で繰り返し作動した“傾向”と、その帰結です。


1. 英国ロックメディアは「プロレス的構造」を求めます

当時の英国誌――NME/Melody Maker/Select/Q。これらの特徴は、音楽をまるでプロレスの物語として扱うことです。先に言っておきますが、プロレスは嫌いではありません。

そもそも「Britpop」というラベル自体、誰が最初に貼り付けたものなのでしょうか。その起源を辿ると、音楽そのものよりも「物語の生成」を優先するメディアの性質が浮き彫りになります。

ここで大事なのは、「誰が最初か」を一人に確定することよりも、ラベルがどう“装置”として動き始めたかです。

(早期の用例)
1980年代後半、英音楽紙『Sounds』周辺で、ジャーナリストのジョン・ロブ(John Robb)が使い始めたという“後年の回顧”があります。
(流通のスイッチ)
ただ、ラベルが真に巨大な推進力を得たのは1993年前後。雑誌『Select』の文脈において、「対グランジ/対アメリカ」の物語と結びついた瞬間でしょう。
(歴史の忘却)
興味深いのは、ブームからわずか10年後の2003年時点で、フィリップ・ノーマンが「どの音楽紙が“Britpop”という言葉を作ったのか、今や忘れ去られている」と記している点です。(Norman 2003)

物語を駆動させるために作られた「呼び名」が、役割を終えると同時にその出自を霧の中に消していく。これこそが、メディアが仕掛けた「装置」の正体なのかもしれません。

象徴的な瞬間のひとつが、1993年4月号の『Select』です。
表紙は Suede の Brett Anderson。
背景には Union Jack(ユニオンジャック)。
そこに「Yanks Go Home!(ヤンキーは帰れ!)」という見出しが掲げられました。

あからさま

もちろん、これ一発で“Britpopが始まった”などと単純化することはできません。実際のシーンはもっと複雑で、バンド側の事情も、地域差も、同時進行の潮流もあります。
ただ、「敵を置くことで物語を加速させる」という英国ロック・メディアの技法が、ここでは極端に可視化されている――そう読むことはできます。

同号の特集扉では、さらに露骨なかたちで“名指し”されます。見出しは――

“WHO DO YOU THINK YOU ARE KIDDING, MR Cobain?”
※あえて訳さず、この見出しの温度のまま置きます。

ここで“敵”は抽象的な「アメリカ」ではなく、当時の象徴的固有名へ収束します。プロレスで言えば、リングの中央でマイクを握り、観客に「ヒール」を確定させる瞬間に近い。

昔の英TVコメディ Dad's Army 主題歌のパロディ
ギャグなのか本気なのか、判別がつかないほど強烈です。
私は英国人ではないので、当時これを目にしていたら、素直に反発していたと思います

つまり「誰が勝ち/誰が負け」という筋書きを成立させるために、まず“悪役”を成立させる
――その編集の手つきが、極端な形で露出しているわけです。

さらに同号の本文では、「敵(アメリカ=グランジ)」は単に国籍の違いとしてではなく、身体イメージとして語られていきます。

たとえば同号の本文で、Suede の Brett Anderson は米国ロックの身体性を次のように表現しています。

“I still don’t understand why American music has to be so military and aggressive…”
いまだに分からない。なぜアメリカの音楽は、あんなに軍隊的で攻撃的でなきゃいけないのか

“Look at Henry Rollins… like a Sergeant Major or something.”
ヘンリー・ロリンズを見れば分かる。なんていうか、曹長みたいなんだ

ここで行われているのは、単なる好き嫌いの表明ではありません。
「軍隊的/攻撃的」という身体イメージで具体化し、それに対置される「英国側の美学」や「英国の物語」を立ち上げる
――そのための装置になっています。

ただし同時に、こうした言葉は「当時の編集環境に適応した“強いレトリック”」でもあります。
つまり、現実の音楽の全体像をそのまま記述するというより、読者の感情を動かし、シーンを“物語として見える形”に整えるための言語です。
※この号には、同種の「煽り」が他にも続きますが、本稿では主題に関わる箇所に絞ります。

だからこそ、ここで見えてくるのは「アメリカ」そのものというより、英国ロック・メディアが必要とした“アメリカ像”――言い換えれば、敵役を成立させるために要請された像のほうなのです。

1-1. 国旗は“誇示”ではなく、火傷しやすい記号だった

ただし、ここで使われたUnion Jackは、当初は「愛国」の象徴ではありませんでした。英国において国旗は、時代によって右派的・排外的な文脈とも結びつきうる“火傷しやすい記号”でもありました。(Savage 1995)

だからこそ、当時のメディアがそれを使った背景には、多分に「危うい記号を弄ぶジョーク」という側面があったのです。
しかし、この悪ノリはやがて取り返しのつかない場所へと滑り込んでいきます。
──そして、このメディアが弄んだ「危うい記号(国旗)」は、ブームの熱狂が冷めぬうちに、ある象徴的な姿で突き返されることになります。

それは、のちに「引き裂かれたユニオンジャック」として私たちの前に現れます。その裂け目は、単なるデザインの意匠ではなく、Britpopという物語がその内側から自壊していく予兆でもありました(この号のころは、未だGreat British popといったような形容でした)。


2. なぜ英国は“敵役”を必要とするのでしょうか?

ブリットポップは「英国(British)」の名で語られがちですが、英語圏では English と British の混同自体が国民的アイデンティティを論じるうえでの根本問題だと指摘されています。

Baxter-Mooreは、この混同がポピュラー音楽言説において常態化している点を、国民的アイデンティティを論じるうえでの「fundamental problem(根本的な問題)」として挙げています。

一方で、だからといってブリットポップがイングランド内部だけの現象だった、と言い切るのも単純すぎます。
文化社会学者 Nina Lueders の分析によれば、スコットランドのリスナーの中には「バンドは英(English)でも、階級や日常の欲望の描写はUK全体に通じる」と受け止めていた例もあり、ブリットポップがUK全体の感情として共有される回路も確かに存在していました。

ただ同時に、LuedersはBlurの歌詞や小道具が「distinctively English(はっきりイングランド的)」だと認識されていた点も示しています。

この混線があるからこそ、「誰が内側で誰が外側か」を手早く可視化する装置(敵役)が、語りの中で過剰に働きやすくなります。

受け取られ方はUKに広がり得るが、文化参照は英(English)側へ傾きやすい――このズレを踏まえることで、次に述べる「敵役」や「階級のプロレス化」が、より立体的に見えてきます。(Baxter-Moore/Lueders)

① 階級社会の文化構造

英国(特にイングランド)は根深い階級社会です。「中産階級のアートスクール系(Blur)」vs「労働者階級のロック(Oasis)」。
メディアも自然とこの形式を踏襲し、読者がどちらかの側に身を投じ、自分のアイデンティティを確認するための「敵役」を用意しました。(Savage 1995/Harris 2005)

② タブロイド文化(煽動メディア)の体質

英国の新聞は、罵倒や過激な言葉で「読ませる文化」があります。音楽誌もそれを模倣し、記事は常に「どっちが勝ったか?」「誰が時代遅れか?」という二元論に収束していきます。

『Melody Maker』誌が当時の Shoegaze シーンを「The Scene That Celebrates Itself(自画自賛するシーン)」と揶揄したのも、その「物語に貢献しない内向性」への苛立ちの現れでした。

3.英国のポップは「多様性」から始まったのに、わざわざ“狭く”された

ここで、ひとつの重要な事実に目を向ける必要があります。90年代前半の英国音楽シーンは、本来もっと混沌としており、豊かな広がりを持っていました。ニック・ハステッド(2005)は、当時をこう回想しています。

“For a brief moment… British pop suddenly seemed alive with possibility…”
ほんの一瞬のことだった。英国ポップは突如として、あらゆる可能性に満ち溢れているように見えた(Hasted 2005)

ただし、ここで強調しておきたいのは、90年代UKの音楽がブリットポップの勝敗劇だけで覆い尽くされていたわけではない、という点です。

むしろ同時代には、あの「箱」に入りきらない回路が最初から複数走っていました。

たとえば 、Primal Scream は、ビートルズ/キンクス的な“英国回帰”というより、レイヴ以後の「ロック×ダンス」の接合に賭け、国旗や階級の物語に回収されにくい推進力を持っていました。

Teenage Fanclub もまた、英国の栄光を国内向けに再演するというより、パワーポップ/ギター・ポップの国際的インディ文脈に強く接続した存在で、中心のプロレス的物語に積極参加するタイプではありません。

しかし、両者ともアラン・マッギー率いるCreation Recordsに所属していたため、メディアやレーベルの戦略上、Oasisらと共に「ブリットポップ勢」として紹介されることは避けられませんでした。

つまり「多様だった現場が“あった”」というより、最初から多様だった――それを“売りやすい物語”にするために、わざわざ狭い箱へ押し込めていった、という理解のほうが実態に近いと思います。

しかし、その「可能性」が花開く前に、別の力が作用しました。

“But marketing narrowed this to the simpler ‘Britpop’…”
しかし、マーケティングという力が、その豊かさを「ブリットポップ」というより単純な枠組みへと狭めてしまったのだ (Hasted 2005)

「病理」という名の「商品設計」

私が本稿で書いている「敵を作る病」は、単なる英国人の国民性のせいだけではありません。市場が「分かりやすい勝敗」を求め、雑誌が「分かりやすい敵」を供給し、産業が「分かりやすい箱(Britpop)」を出荷しました。

つまり、この病理は「文化」という顔をしながら、実態は緻密な「商品設計(プロダクト・デザイン)」であったということです。複雑な音楽性や内向的な実験は、大量消費される「物語」としてはノイズでしかありません。

産業側は、売りやすさのためにわざわざ多様性を削ぎ落とし、敵と味方がはっきり分かったパッケージへと音楽を押し込めていったのです。


4. 国旗は、音楽誌の冗談から政治の現場へ滑り込んだ

産業によって「狭く、分かりやすくなった箱」は、政治にとっても格好の素材となりました。ここで「敵を作る病」は、単なる編集上の熱病から、国家イメージを管理する「制度」へと昇格します。ジョン・サヴェージ(1995)はこの不気味な変容をこう喝破しています。

“what began as a half-serious polemic… has become a political battleground.”
半分はジョークの論争として始まったものが、いまや政治的な戦場になってしまった(Savage 1995)

音楽誌がアメリカへの対抗意識として半分ジョークで掲げた国旗や「敵」の構図が、いつの間にか政治と広告の現場へ直結し、制度化されてしまったと書きます。

この時点で、音楽はもはや音楽であることよりも、「国のムード」を彩るための“飾り”へと変質しました。

1997年、官邸招待という「演出」

1997年、Tony Blair による官邸招待――首相が Noel Gallagher を招いた光景は、このイメージ戦略の象徴でした。
しかし、これはまったく新しい発想というより、フィリップ・ノーマン(2003)が指摘するように、1960年代に労働党のHarold Wilson首相がロックスターを官邸に招いた前例を思わせる、「よく似た演出の反復」でもありました。(Norman 2003)

方法論の踏襲:30年以上前の古い手法が、1997年に「新鮮な変化」を装って再利用された。実態は、国内の問題から目を逸らさせるための「セクシーな芸術(ポップ・ファッション)」という包装紙によるマーケティング――そう読める局面もあります。(Norman 2003)

ここまで来ると、「敵」を必要とする理由はもはや編集部の都合ではありません。「強い英国」という国家イメージを維持するための、政治的な必然へと昇格していったのです。


5. 多様性は「物語の前景」から押し出されました

国家的成功譚として Britpop を成立させるには、敵役が要る。その結果メディアは、いくつかの領域を「負の側」へ配置し、物語の前景から押し出していきました。

  • Shoegaze(内向・音響的・陰影の文化)

  • 後に Post-rock と呼ばれることになる領域(構造破壊/反スター性)

  • Grunge(米国文化)

  • Experimental / Industrial(反大衆性)

当時の偏狭さを物語る有名な発言があります。
1991年、Manic Street PreachersのRichey EdwardsがNMEにこう語った。

“We will always hate Slowdive more than we hate Adolf Hitler.”
俺たちはいつだって、アドルフ・ヒトラーを憎む以上にスロウダイヴを憎んでいる

これは本気の思想というより、当時のメディア環境に適応した過激な言語=ポーズとして読むべき発言でしょう。
しかし同時に、「内向的な音楽」がいかに敵視されやすかったかを、これ以上なく象徴しています。

ここで作用したのが Lad Culture(ラッド・カルチャー) の台頭です。
サッカー、ビール、男性的な振る舞いを肯定するこの文化において、Shoegaze や「後に Post-rock と呼ばれるサウンド」の繊細さは「弱々しいもの」として排除の対象になりました。

この動きには、強烈な「ねじれ」が感じられます。
ニュー・レイバーは「革新」を謳いながら、文化的に推奨され、国民的ムードへ回収されやすかったのは、The Beatles や The Kinks への「音楽的回帰(保守)」でした。

一方で、本当に「音楽的な進化」を遂げていた Drum & Bass や進歩的なサウンドは、政治的な物語に合わないという理由で、しばしば前景から外れました。

「強い英国」を演出したい政治的ムード。
それとマッチョな Lad Cultureが噛み合い、内向的な表現者が“敵役”に置かれやすくなっていく。
こうして、英国ロックの多様性は、物語の都合で狭められていきます。

見逃せないのは、当時の“Britpop論争”は、白人ギターロック中心の座標に寄りすぎていました。
主流ポップや黒人クロスオーバー、あるいは“顔のない”ダンス文化の更新は、そもそも議論の射程から落ちやすかった。
これは「敵を作る/勝敗を決める」語りの形式が、扱える表現を最初から限定してしまう、という問題でもあります。

なぜ、Brit-「pop」であって「rock」じゃないのか。そこもなんとなくわかる気がします。

英国ロック史における1994〜98年は、この矛盾が表に出た時期でもありました。
そしてこの矛盾は、主役として持ち上げられた側だけでなく、物語に回収されなかった側――更新や実験の側にも、別のかたちで痕跡を残しています。


■ 6|補論:懐古の90年代に、David Bowieは「前進」を選びました

ここではBritpopそのものを論じるというより、「国旗という記号が“煽り”から“批評”へ反転する瞬間」を、Bowieの例で確認します。

この記事のヘッダー画像(バナー)に設定しているのは、David Bowie の1997年のアルバム『Earthling』のジャケット写真です。

私自身、当時はこの『Earthling』や、その前の『1. Outside』(1995)を愛聴していました。今にして思えば、これはかなり示唆的な体験だったと思います。

国中が「The Beatles への回帰」や「古き良きギターポップ」に熱狂していた時期に、Bowie は別の方向を見ていました。
インダストリアルや Drum & Bass といった、Britpop が遠ざけていた「実験的ビート」を貪欲に吸収し、サウンドとして叩きつけていたからです。自国のメインストリームが向かう懐古的な流れとは、真逆のベクトルでした。

ここではEarthlingを、次の3つのキーワードで読み直します。

懐古:過去の様式への回帰、国民的ムードとしての「昔は良かった」

前進(=更新):過去の遺産を磨いて掲げ直すのではなく、作り替えながら先へ進む態度

実験的ビート:インダストリアルやDrum & Bassなど、当時の主流が距離を置いた推進力

6-1|「懐古」が勝った空気の中で

90年代の英国では、「The Beatlesへの回帰」や「古き良きギターポップ」といった言葉が、ある種の安心として機能していました。
それはトレンドというより、国全体のムード――懐古の勝利だったと思います。

けれど『Earthling』(と前作『1. Outside』)は、その安全な空気に合流しませんでした。
むしろ、当時の主流が遠ざけていたもの、つまり実験的ビートを貪欲に吸収して叩きつけてきます。

この逆ベクトルこそが、いま聴き直したときに最初に残る感触です。

6-2|背中のUnion Jackは、なぜ裂けていたのでしょうか?

1997年2月3日発売

『Earthling』のジャケットでBowieが纏っているのは、Alexander McQueen(アレキサンダー・マックイーン) 仕立てのUnion Jackのコートです。
薄汚れ、タバコの焦げ跡があり、ボロボロに引き裂かれていました。

当時はただ「かっこいい」としか思っていませんでした。
けれど今回あらためて見返すと、これは「誇示」ではなく、むしろ批評に見えます。

ボウイ自身、このコートの意図を後にこう語っています。

「(これは)イギリス国旗という『ジョーク』を、再び語り直したものだ。それは再び引き裂かれ、汚されている……いわば、形而上学的な帝国の、みすぼらしい残骸(tatty remains)なんだ」

V&A Museum 編『David Bowie Is』

Britpopが提示した「ピカピカの国旗」が、英国のイメージを磨いて掲げるものだとすれば、
Bowieの背中にあるのは、磨くことを拒否した国旗――汚れと裂け目を含んだ現実です。

切ってしまって、ごめんなさい

それは、遺産をそのまま掲げて安心する懐古への、無言の反抗でもあるようです。『Earthling』の実験的ビートと同じく、あのコートもまた「更新」の表現だったのではないでしょうか。

6-3|結び:「前進」は、孤独な選択でした

『Earthling』は、当時の英国の勝ち筋に乗らない作品です。
だからこそ、いま聴き直すと、音より先に思想が残ります。

過去の遺産を食いつぶしていく時代に対して、彼は「前進(=更新)」を選びました。背中のUnion Jackは、その態度をいちばん端的に示していたのだと思います。

7. 盛り上げたものほど、崩壊も速い:過剰と醒め

Britpop のピークにおける数字は異常でした。国中の空気がひとつの音に塗り替えられた瞬間。

数字が語る「狂気」:オアシスの1996年のネブワース公演。観客25万人に対し、チケット応募数は約240万(資料により約260万とも)に達した、と回顧されています。(Norman 2003)

しかし、頂点の背後で燃えていた燃料は、長く保つ種類のものではありませんでした。

“over-reaching cocaine excess signalled the fall to come…”
行き過ぎたコカインの過剰が、やがて来る転落を告げていた (Hasted 2005)

“The turgid, tired Be Here Now… proved… Britpop… was over.”
鈍重で疲れた『Be Here Now』が、Britpop の終わりを証明した (Hasted 2005)

「敵」を必要とする語りは、短期的に熱狂を作るのが上手い。けれど同じ語りは、熱が落ち始めた瞬間に“終わりの物語”もまた量産します。
だから『Be Here Now』(1997)は、作品の良し悪し以前に、ブーム終盤の空気の中で「終わりの証拠品」として回収されやすかったと思います。

批評が強く言い切るほど、象徴としての力は増し、反動もまた増していく――ここにも、外敵を必要とし続けた“病”の自壊が、冷たく刻まれています。

そしてもうひとつ、この「過剰と醒め」は、英国の内部だけで完結する現象でもありませんでした。
英国で“勝敗劇”として機能していた語りは、外へ出た瞬間、しばしば「物語」ではなく単なる「棚札(ジャンル名)」として処理されます。棚札は便利ですが、その分、音より先にラベルが走り、誤読も生みやすい。

つまり、外部に伝わりにくかったのは音の強度というより、煽りによって膨張した“脚本”のほうだった――そう言えるでしょう。

ここで言いたいのは「海外で売れた/売れなかった」の話ではありません。物語が巨大化すればするほど、外へ出たときには“翻訳”より先に“分類”が起きる。その変換こそが、ブームの後に残る空虚さをいっそう冷やして見せるのです。


■ 8. おわりに

この「敵を作る病」を理解すると、英国ロックの多くが一本の線で繋がります。パンクがプログレを殺した構造、Slowdive が不当に叩かれた理由、そして Britpop が政治化されていった背景……。

こうした「敵を作る物語」は、時に文化を活性化させ、議論を呼び、音楽シーンを勢いづけることもあります。
しかしその裏側では、ミュージシャンとリスナーが、メディアの都合で振り回され続けてきた歴史があります。

  • 音楽の価値ではなく「物語の都合」で持ち上げられたり落とされたりするバンドがいました

  • 内向性や実験性が理由で、努力や才能まで否定されたアーティストがいました

  • 「どちらが勝った/負けた」という外側の語りだけを強要される音楽がありました

  • メディアの煽りによって、無意味な対立構造に巻き込まれるリスナー同士がいました

  • 自分の好きな音が、政治や商業の物語で歪められていく現象がありました

これらを思うと、どこか深い虚しさを覚えます。

そしてもうひとつ、後になって残るのは、この仕組みの「冷たさ」です。

勝者と敗者を作ること自体というより、音楽が「物語に役立つかどうか」で扱われ、役に立たない表現が、静かに外へ押し出されていく。
英国の音楽文化には、そういう場面が繰り返し現れます。

本来、ロックは誰かと競い合うためのものでも、国家やメディアの物語に組み込まれるためのものでもなく、ただ個々の感性と必要に応じて「音そのもの」と向き合うための文化だったはずです。

悲しいかな、そういった原点回帰戦略も、役割を終えると元の「知的が良いよね路線」に舵を切り、一ジャンルになってしまいます。
残されるのは、「その時はリアルであった」と信じたいリスナーだけです。

しかし、最後にあらためて記しておきたいことがあります。 メディアの病理や政治の思惑がどれほど音を歪めようとも、奏でられた音楽そのものに罪はありません。

Oasisが鳴らしたアンセムも、Slowdiveの繊細な残響も、Bowieが試みた過激な前進も、その瞬間、誰かの心を震わせた響きであることに変わりはないからです。

だからこそ、私たちはかつての対立構造という「呪い」から少し距離を置き、ミュージシャンの声や、音の手触りそのものに耳を澄ませるべきなのでしょう。
物語に消費されない「音そのもの」と向き合うこと。それが、今の時代に音楽を愛するということではないかと私は思うのです。


出典・周辺資料

  • Savage, Jon (1995) “The Marketing of Britpop”

  • Norman, Philip (2003) “Britpop: And The Beat Goes Off” The Sunday Times (2003-02-17)

  • Hasted, Nick (2005) “The summer of Britpop” The Independent (2005-08-19)

  • Harris, John (1995) “Britpop: Modern Life Is... Brilliant!” NME (1995-01-07)

  • Harris, John (2005) “Britpop: Remember the first time” The Guardian (2005-08-12)

  • Kleinedler, Clare (1996) “Radiohead: Don’t Call ’Em Britpop” Addicted To Noise (1996-05)

  • Moran, Caitlin (1997) “Rejoice! Rejoice! Britpop is dead” The Times (1997-11-28)

  • Rogers, Jude (2009) “Look Back In Anger: Britpop”(回顧)

  • Harris, John (n.d.) The Last Party: Britpop, Blair and the Demise of English Rock(Fourth Estate/刊行年は版により異なる)

  • Hoskyns, Barney (1996) “The Third Invasion: Britpop Strikes!” Musician (1996-07)

  • V&A Museum (2013) David Bowie Is (V&A Publishing)

  • Gleeson, Janet (2012) Alexander McQueen: Evolution (Race Point Publishing) - マックイーンとボウイのコラボレーションに関する記述

  • Jeremy Allen (2018) “Suede’s Debut Mapped The Wayward Sex & Glorious Failures Of Britishness” The Quietus

  • Select (1993年4月号)(表紙 “Yanks Go Home!”/“Made in Britain” pp.61–71)

  • Maconie, Stuart (1993年4月号) “Who Do You Think You Are Kidding, Mr Cobain?” Select, p.61

  • Harrison, Andrew (1993年4月号)“We’d Rather Jack: Time to reclaim the Union Jack” Select, p.67

  • Lueders, Nina(2017)PhD thesis(Britpop と national identity の表象/ファン調査を含む)2017Luederscphd

  • Baxter-Moore, Nick (2006) “This is where I belong: Identity, Social Class and the Nostalgic Englishness of Ray Davies and The Kinks.”

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