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ニューウェイヴという言葉の死― 言葉が先に老いた時代と、北村昌士の予言 ―

Ⅰ.“ニューウェイヴ”はなぜ死語になったのか

現在において、若いバンドを指して「新しいニューウェイヴだ」と紹介する人は、ほとんどいません。
80年代前半にはあれほど紙面を賑わせていたにもかかわらず、この言葉は時代が進むにつれて、静かに意味を失っていきました。

言葉が消えたというより、言葉のほうが「先に老いてしまった」のだと思います。

「新しい波」という語感とは裏腹に、その“新しさ”の中に何を含むのかを、誰も最後まで定義できなかった。曖昧さは便利ですが、便利であるがゆえに、言葉を早く摩耗させます。何でも入れられる箱は、早く空っぽにもなるからです。

北村昌士氏が1980年の時点でニューウェイヴを痛烈に批判したのは、まさにこの「名づけが早すぎる老衰」を予見していたからではないでしょうか。

Ⅱ.This Heat も TG も「ニューウェイヴ」だった時代

1978〜82年頃、日本の音楽雑誌で「ニューウェイヴ」と書かれたとき、その枠の中に入れられたものは驚くほど幅広いものでした。

たとえば Echo & the Bunnymen、Duran Duran、Eurythmics、The Human League、Billy Idol、INXS、The Cure、Cyndi Lauper、Madness、Men at Work、Throbbing Gristle、Cabaret Voltaire、This Heat、The Raincoats、Siouxsie and the Banshees、Talking Heads、The Police まだまだあります――雑誌の紙面上では、全部が「ニューウェイヴ」でした。

いま振り返ると、思想もサウンドも目的もまったく異なるものが、ひとつの箱に詰められていたことがわかります。
当時の私たちも、This Heat や TG のような前衛音楽を「過激なニューウェイヴ」だと思って聴いていましたし、それを疑う理由もありませんでした。

しかし北村氏は、そこに強い違和感を抱いた。理由はただひとつです。

「ニューウェイヴという言葉が、反逆を均一化し始めている」

彼は、言葉が音楽の実体を覆い隠し、産業に都合のよい「整理された新しさ」を作り出していく過程を、すでに見抜いていたのだと思います。

反逆の手触りは、本来はバラバラで、粗くて、混ざり合わない。にもかかわらず、ラベルはそれらを“同じ棚”に並べてしまう。
その瞬間に、異物感が薄くなる――そこへの警戒です。

Ⅲ.「オルタナティヴ」はまだ影の言葉だった

当時、「オルタナティヴ(Alternative)」という語は、日本ではほとんど一般化していませんでした。

使っていたのは、FM誌やロック・マガジン、あるいは一部の海外記事の翻訳など、限られた場所だった印象があります。
だから読者の多くは「新しいことをしている=ニューウェイヴ」という理解で受け止めていたのではないでしょうか。

後年、90年代に入って“オルタナティヴ”がアメリカ経由で普及し始めたとき、私たちがようやく感じた違和感があります。
「あれ? 当時“ニューウェイヴ”と呼ばれていたものは、本当は別物では?」

この違和感自体を、北村昌士氏はすでに1980年の時点で鋭く指摘していた――そう読むことができます。
ジャンルの名というより、メディアが必要とした“ラベル”だったのだ、と。

Ⅳ.北村昌士が見抜いていた“名づけの危険”

北村氏は、ニューウェイヴという言葉が誕生した瞬間から、その意味の空虚さに気づいていたのだと思います。
少なくともフールズメイト上の彼の言葉は、ニューウェイヴを「ジャンルの実体」ではなく、便宜的な総称として扱う態度が一貫しています。

「ニューウェイヴとは、メディアによる便宜的総称である」
「反逆は常に、商品化のための分類に晒される」

彼が恐れていたのは、音楽そのものの死ではありません。音楽を規定する“言葉”が先に老い、音楽の自由を萎縮させることでした。

ジャンルが誕生することで起きるのは、しばしば安堵です。
「これはこういう音楽だ」と言えてしまう安心。しかし北村氏は、その安心を最も憎んだ批評家でした。

安心は、音を殺す。
その危機感が、彼の思想の根底に流れているように思います。

Ⅴ.言葉が老いたあとに残るもの

2020年代の現在、ニューウェイヴという言葉は半ば歴史資料として扱われ、新しいバンドに対して使われることはまずありません。

その代わりに、ポストパンク、ミニマルウェイヴ、ダークウェイヴ、アンビエント・インダストリアル、エクスペリメンタル……といった、より細分化された語が強い照明のように使われるようになりました。

つまり、言葉が老いたあとに残ったのは、「音そのものを見るしかない」という必然性だったのだと思います。

北村氏が見据えていたのは、こうした“名づけの無効化”だったのではないでしょうか。
ジャンルや名前よりも、音がどこへ行こうとしているのか。そこだけが大切だという考え方です。

そして、その態度は This Heat や TG や The Work にも、The Residents にも、そして無数の音楽に共通する姿勢でもありました。

Ⅵ.結語 ― 名づけを超えた場所で、音は生まれ続ける

ニューウェイヴという言葉は死語になりました。しかし、音の探究は死んでいません。言葉は老い、消えていきますが、音は常にその外側から生まれます。

北村昌士氏が厳しく、時に過激に言葉を突きつけ続けた理由は、最初からそこにあったのだと思います。

「音楽を下らない見せ物のままにしておきたくない」

この言葉は、ジャンルの終焉ではなく、音が自由であり続けるための祈りのようなものだったのでしょう。

ニューウェイヴが死語になった今、むしろ北村氏の言葉はより鮮明に響きます。

音はまだ、自由を探し続けている――

そのことを忘れないためにも、この“死んだ言葉”の歴史を見つめ直す意味があるように思います。

北村昌士氏が警戒していたのは、言葉が老いることそのものではありません。本当に危険なのは、言葉が老いる前に、産業やメディアの都合と結びつき、音楽の現実を押し流してしまう場合です。

ニューウェイヴは、曖昧さゆえに摩耗し、やがて死語になりました。
しかし、逆のケースもあり得る。言葉が死ぬのではなく、言葉が活きすぎる。
音よりも速く、強く広がり、現場の複雑さを「物語」として回収してしまう――。

北村氏の苛烈さは、その未来をも含んだ警告だったのだと思います。


(出典)

  • 北村昌士『永久的堕胎児でいることの恐怖』(フールズメイト No.11, 1980)


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