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獅子の仔 Ⅰ 007 クレストル Ⅱ


クレストル Ⅱ


1 城塞

 昨夜の雨の名残が石畳を濡らすなか、クレストル率いる一行は朝靄(あさもや)を突いてラニスポートの東の大門「黄金の門」を抜けた。六騎の騎兵に、荷駄馬サンプター四頭が続き、軽快な馬蹄の音が石畳に響く。

 栗毛の牡の軽軍馬ホビーに跨り、クレストルは使い込まれて褐色に色褪せた皮革軍衣バフコートの襟を引いた。内側に着込んだ厚布防衣ギャンベソンと鉄の胸当ての当たる位置を調整する。軽軍装を装ってはいるが、変事への備えが、これから向かう旅の目的が単なるお見舞いではないことを告げていた。

 隣を並走する斑毛(ぶちげ)の牡の汎用馬ラウンシーには、公妃の衛兵隊長ボルテックが跨っている。厳つい表情に黒い髭、日焼けした顔。老練な衛兵である彼は、クレストルの指示どおりに軽軍装に留めた旅装である。濃い灰色の外套を羽織り、厚布防衣ギャンベソンという装備が落ち着かないのか、その目は周囲を油断なく探っていた。後ろに続く中背で黒髪のマット兵士長と濃い茶色の髪の痩身のチェストの両人も長距離移動に備えた軽軍装で馬を無難に操っていた。彼らは邸宅の衛兵であり、野外任務に戸惑ってはいたが、何とかなりそうだ。

 その後に続くのは、草色の包頭外套フードマントを纏った若い狩猟兵ザルフェだ。硬化皮革が貼られた厚布防衣ギャンベソンに身を包み、牝の軽軍馬ホビーを静かになだめている。森林官の指揮下にある狩猟兵のなかでラニスポート近郊に居合わせたのは彼だけだった。まだ若く、馬と剣の扱いも修行中ではあるが、視野が広く、狩猟兵としての素養に恵まれた若者だ。
 クレストルは振り返り、小さく頷いた。派手ではないが、統制の取れた手堅い小隊だ。

 列の最後尾には、牝の汎用馬ラウンシーに乗るペイル=シャーウッドの姿があった。商会の直雇の兵士を割く余裕はないと言いつつ、「商会長は暇ですので」と嘯(うそぶ)いて本人が、同行を申し出てきた。自分の目で、重要な木材の原産地であるスタックスピア領の実情を把握するためだろう。現地の地理と内情に詳しいだけでなく、纏った赤茶色の皮革軍衣バフコートと腰に佩(は)いた鉈刀(なたがたな)は彼が実地を重んじる材木商であることを窺わせた。
 六人の騎手の後を、荷駄馬サンプター四頭が大人しく続いた。

 出立の際、従士のヴィルドンは「燃える森」商会の番頭に預けられ、ひどく不満げに唇を尖らせていた。だが、きな臭い辺境へ連れ出すにはまだ幼すぎる。商会で馬の世話と帳簿の書き方を教えてもらうことにした。

 クレストルは前を向き、馬の腹を軽く蹴った。

 ジェイン公妃から聞いた通り、タイトス公は、捜索の責任者に、ラニスポート市警備衛兵隊シティウォッチの総帥、クレイヴ=クレイクホール卿を任じた。 
 市街地での防衛や治安維持を任務とする部隊に、郊外での探索を命じるのは適任とは言い難いが、クレイクホール卿の熱意については疑いの余地はない。一昨日、鼻息も荒く、五十騎は同じ数の兵士と荷駄馬を率いて、スタックスピア領に出立した。スタックスピア家も対応に振り回されるだろう。

 一行は「黄金の街道」を東へ、「西部」ウェスターランズらしい緩やかな丘陵が続く道を並足で四日、街道沿いの宿場町「うねる丘の町」スウィーピング ヒルで宿泊した。ここまでは舗装された街道であり、十分な休息をとることができた。
 宿でカラス麦の大袋を買い込み、荷駄馬に分散して積む。
 この宿場町を出ると「黄金の街道」を外れ、南へ向かう。ここからは土の道であり、一日もいけば、スタックスピア領の北の丘陵地帯に入る。

 緑の牧草地とライ麦の畑が広がり、流れのゆるやかな小川や溜池を横切って南へ進むと、いくつかの集落を通過する。

「……この夏も終わりだな、クレストル卿」
ボルテックが空を見上げて言った。

「このあたりは、決して貧しくはない、水源に恵まれ、土地も肥えている。もっと集落に活気があってもよさそうなもんだが。まるで、疫病でも流行ったかのようだ」

「疫病よりも悪いものが潜んでいるかもしれん。よろしく頼む」

 髭面の兵士長は、キャスタリーロックから抜け出せたこの任務を楽しんでいるようだった。二人の衛兵は馬の扱いが上手とは言えないが、無難に乗りこなしている。狩猟兵のザルフェと商会長のペイルは馬の扱いに問題はない。
 やがて、土の街道は、丘陵地帯を抜けて、一行を森の中へと導いた。この森林地帯をぬければ、スタックスピア領の中心地である沼沢地に至る。森は深いが、土の街道は幅があり、往来する地元民ともすれ違った。

 森を抜けると、視界が唐突に開けた。そこに広がっていたのは、鉛色の空を映し出す広大な水面だった。スタックスピア領の中心地にある「葦の湖」リードミアだ。そして、その湖の北よりの浅瀬の中央に「高き堆岩城」ハイ スタックが鎮座していた。
 それは城というよりは、湖面に置かれた巨大な拳だった。黒ずんだ玄武岩の孤島。湖面から二百フィートはあろうかという岩壁がそそり立ち、重厚な存在感とどこか呑気な印象を与える。周辺が湖水の湿地であるため、その岩壁は高さ以上に手ごわいだろう。
 所々に鷹の巣があり、岩山の周辺を鷹が鋭く旋回している。そのうめきくような鳴き声は、水辺の重苦しい雰囲気を一瞬切り裂いた。
 見上げれば、岩塊の頂上、頭頂部には、灰色の石で作られた環状要塞リングフォートが築かれている。それはまるで、巨人の頭に載せられた粗末な石の冠のようだった。

「高き堆岩城」ハイスタック

 キャスタリーロックに比べれば、小さな岩山すぎない。だが、湖面から見上げる岩の拳が、侮りがたい城塞であることは、見て取れた。

「……大した眺めだ」
 ボルテックは見上げながら感嘆とも溜息ともつかぬ声を漏らした。

「…行くぞ」
 クレストルが愛馬の腹を蹴った。

 北岸の岸辺には船着き場も橋もない。城へ至る道は、水面下に隠された一本の浅瀬のみだ。馬たちが水に入る。水面をかき分ける水音が、静寂に包まれた湖に響き渡った。水深は馬の膝ほどもないが、底は泥深く、足を取られそうになる。水飛沫がクレストルの軍用長靴にもかかり、湖特有の湿った藻の匂いが鼻をついた。行く手を遮る〈岩塊〉は、近づくにつれてその黒い影を濃くし、真昼だというのに一行の上に夜のような暗がりを落とした。

 浅瀬を進み、ようやく岩山の麓(ふもと)に辿り着く。ここは石が張られており、確かな足場に安堵する。門前は小さな広場となっており、正面には、自然の岩の裂け目を利用して作られた、大きな「鉄の門」が設けられていた。分厚い樫の木の扉は閉じられ、かつては黒く輝いていたであろう鉄格子は、長年の湿気で赤錆に覆われ、喫水線に近い部分は緑色の苔がびっしりとこびりついている。

「随分と閑散としておりますな」
ボルテックは耳打ちした。平時は門を開き、その周辺はそれなりに人の往来があるのが普通である。

 ペイルが対岸の南岸を指差す。
「対岸の集落がこの地域の中心地です。この岩山の南側に船着場があり、対岸の集落から川船で物資を運び込みます。材木商や毛皮商は、あの集落で商談をして、ラニスポートまで筏を流します」

ペイルの説明を聞きながら、周辺の石だたみに残された馬蹄の跡に気づく。
「これは、猪が踏み荒らした跡かな」

 その鉄門の上部に石造りの見張り塔が設けられており、槍をもった衛兵が二人立っている。スタックスピア家の「格子縞の銀と金の模様」の紋章外衣サーコートを纏っており、湖を渡って近づく一行を誰何する声が鳴り響いた。

「ご一行は、何奴か!名を名乗られい!」

 クレストルは馬上で背筋を伸ばし、喉に力を込めた。
「キャスタリーロックよりの使者、クレストル=ユー卿である。 タイトス公の名代として、ウォルモン公の見舞いに参った」

 マット兵士長が馬から降りて、金獅子の印状を持って鉄門に近づき、分厚い樫の木の扉の監視孔前に掲げた。

「承った!入られませい!」
 衛兵が鉄門を開けた。門の奥には、岩肌を削って作らせた九十九折り(つづらおり)の階段が、遥か頭上へと続いているのが見えた。急峻な石段だ。攻め手はこの階段を登る間に、上からの矢と落石の餌食になる。この天然の要塞は、剣と槍の攻撃に対しては無敵を誇っただろう。

(だが、いかに堅牢な岩山とて、内部が割れれば、脆く砕け散る)

 クレストルとボルテック、マットの三人が一行から離れて、この石段を上ることになった。三人が鉄門を通ると、後ろで扉が鈍い音を立てて閉じた。

 岩の隙間の石段を登り、中腹の石畳の広場に達すると、そこで待っていたのは、「格子縞の銀と金の上に交差した黒い槍」、スタックスピア家の紋章外衣サーコートを纏った四人の騎士たちだった。四人とも中背でずんぐりとした体格に黒い木の槍を手にした若者だった。その眼差しに友好的な色はない。

「ウォルモン公に取り次ぎを願いたい」
クレストルは改めて謁見を求めた。

 スタックスピア家の若い騎士たちは、近づくと、幼いとさえ言える風貌をしていた。皆、スタックスピア家らしい、背は高くないが、屈強な体格をしており、こちらをやや見上げるように見ている。
 その隊長らしき騎士が、眉間にしわを寄せて、一歩前に出て、警戒心をあらわに話しかけてきた。

「連日、何用でしょう。昨日もタイトス公の令状を持った捜索隊がこの城に押し寄せて、事実を話せ、捜査に協力しろと横柄な態度で迫ってきた。その時もウォルモン公は、病身のため、面会できぬと、お伝えした筈ですが」

 軽く眩暈がした。あの猪隊長は、旗主たるスタックスピア家に対して「取り調べ」のような対応を行ったようだ。

「捜索隊の方々が立ち寄られましたか。我々は『お見舞い』の特使です。タイトス公はウォルモン公の病態をいたく心配され、力になれることは無いかと私を使わされました」
 努めて冷静にこの使節の立場を説明した。

 その言葉に若い騎士は少し安心したように見えたが、すぐに不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「今更、何用でしょうか?」

「失礼。貴公の名前をお聞きしても宜しいか?」
クレストルは穏やかに質問した。

「エイモンド=スタックスピア卿だ。この「高き堆積岩の城」ハイスタックの相続人にして、衛兵隊長の栄誉を担うものだ」
 若い騎士は胸を反らして応えた。

(…相続人を気取るには早いな)

 クレストルは若い騎士が偉ぶるのを見て、いきなり居丈高に難詰した。
「我らが伺った理由は、見舞いだけにあらず。過度な課税の中止と支援を申し出たタイトス公の親書に返事がないとはどういうことか、無礼であろう。即刻、回答されたい」

「ぶ、無礼なのはどちらか。銀山浸水の折、祖父の融資の要請は却下され、使者は面談すら叶わなかった。古(いにしえ)からの忠臣たる我らに対して、タイトス公は武勇に欠けるだけでなく、あまりにも無礼ではないか」
 いきなりの詰問に対してエイモンドは感情的に言い返した。

「キャスタリーロックは、そのような事態を把握していない」
 クレストルはエイモンドの発言への戸惑いを隠しながら、今度は冷たく、官吏的に弁明を返した。

「何を、白々しい。モレル殿の仲介に門前払い同然の対応をしておいて…。ええい、ラニスター家の支援など要らぬ。我らには、既に友がいる」
 エイモンドは顔を赤くして、吐き捨てた。

「エイモンド様、そのような言い方は失礼ですぞ」
 後ろで並ぶ兵士たちの列を割って、エイモンドをなだめながら男が前に出てきた。
 紫色に染められた羊毛の短衣チュニックを着た、金髪に細面の商人風の男。胸には灰色の牡鹿の胸章が留められている。その男はエイモンドの肩に親しげに手を置いた。

「お初にお目にかかります、ラニスター家の使者殿。私はウォルモン公より委託を受けて財務顧問をしている者です。今、エイモンド様を中心に銀山復旧の対応をすすめているところです」
 慇懃に一礼したが、その青い目は笑っていない。

 クレストルが何か言おうとすると、冷静さを取り戻したエイモンドは改めて慇懃に言った。
「遠路ご苦労様でした。申し上げたように祖父はお会いできないと申しております」

「……それはウォルモン公の本心でしょうか?」
 クレストルが探るように聞くと、商人風の男がまた応えた。

「公は忠義にして誇り高いお方ですから。ラニスター家に迷惑をかけずにエイモンド様と力を合わせて、銀山の復旧に取り組んでいるところです。私はそのお手伝いを」
 男の説明を、エイモンドは憮然として聞き流している。その表情は思いつめたように固い。

クレストルは、その商人風の男の話を遮って、語気を強めた。
「西部の守護者ラニスター家の徴税官が一人、スタックスピア領にて消息を絶った。既に捜索隊が派遣されているが、われわれも領内で一定の調査はさせて頂く。また、二倍の課税の経過については即刻取り下げられるべし。代替措置については……」

今度はエイモンドが遮って答えた。
「ご心配なく、課税については既に解決済みです。そもそも、課税の権利は公主たるスタックスピア公家に帰する事項。タイトス公からのご助言は痛み入りますが、それ以上の気遣いは無用にお願い致します。領内の巡視については、タイトス公の印状がある以上、お断りはできませんが、数日の内でお引き取りください」

「……そこまで仰るなら、謁見の件は諦めて、引き下がりましょう。調査については当該集落を尋ねたのち、数日のうちに失礼する」
 この若者の無礼を詰問することを止めた。領内においては、課税は裁判と同様、公主の独立した権限である。これ以上は立ち入れない。

「行くぞ」
 ボルテックとマットに声をかけて、クレストルは踵を返した。石段を下る一行を上からじっと見据える、スタックスピアの若い騎士たちの表情は固く暗い。
 九十九折りの階段を下りて待機していた一行と合流する。浅瀬を辿り、「葦の湖」リードミアの北岸に出る。東の湖岸を迂回して進みながら、ボルテックとペイルと並走して話す。

「タイトス公がウォルモン公からの支援要請を断るなど、ありえん」
 ボルテックは憤ったように吐き捨てた。

「「銀山の浸水」があり、キャスタリーロックに支援の要請をしたことは確認できた」
クレストルは思案するように呟いた。

(これで繋がったな)

「あの若僧は、タイトス公を「武勇に欠ける」と侮辱した。特使に対して公主を侮辱する発言をするとは、聞き捨てならん」
 ボルテックは唸った。

 クレストルは苦笑いをした。「西部」ウェスターランズではよくある言説だった。
「若い騎士にありがちな「紅の獅子」レッド ライオンの信奉者かな。おそらく、ウォルモン公の体調不良は事実だろうが、家中は分裂状態だな」

(坑道の浸水。そして、モレルの介入に、あの「灰色の鹿」の男)

 クレストルは振り返り、右後方の商人に視線を向けた。
「ペイル、『灰色の鹿』の紋章をつけた商人がいた。正体を知っているか?」

ペイルは眉をひそめてから忌々しそうに頷いた。
「『灰色の鹿』ですか、ええ、知っていますとも。それは、「鉛の牡鹿」レドゥン スタッグ商会ですね」

「鉛の牡鹿」レドゥン スタッグだと?聞いたことがないな。どこの旗主だ?」
 ボルテックが怪訝そうに眉を寄せた。

「旗主では無く、商会の商標です。「鉛の牡鹿」レドゥン スタッグ商会。出自は鹿の毛皮を商う商会でしたが、現在は高利貸しと乗っ取りが本業です。経営の傾いた商会や、借金に苦しむ小貴族に甘い顔で近づき、法外な利息で金を貸し付ける。そして返済が滞ると、担保にした土地や利権を根こそぎ奪い取る。ハヴィ=ラニスターという男が商会長をしていますが、その手口の汚なさから、まともな商人は相手にしません」

「ハヴィ=ラニスター……知らんな」
クレストルは記憶を探った。ラニスポートで商いをする、材木商や毛皮商は全て把握しているが、全く記憶にない。もう何代も前から、毛皮の取引はしていないのだろう。

「もうひとつ。仲介者として、モレルの名前が出た」
 クレストルがエイモンドとのやりとりを説明すると、ペイルは押し黙った。彼も一連の事件の全貌を掴んだようだった。

 モレル=ラネット。キャスタリーロックの三人の金庫長の一人にして、ラニスポート評議会の末席に座る、新興商会の会頭。高利貸しを生業とする所謂「金座派」の一人だ。

 推測だが、ウォルモン公がタイトス公に支援を求めたとき、仲介者であるモレルよって握りつぶされた。
 人の好いウォルモン公はタイトス公に抗議もせず、自力で金策を探すことにした。そのスタックスピア家につけ込んだのが、「鉛の牡鹿」レドゥン スタッグ商会だろう。彼らは銀山の復旧支援という名目で入り込み、銀山の管理権や代理徴税を請け負ったに違いない。

「『我らには、すでに友がいます』か」
クレストルはエイモンドの言葉を口にして、鼻を鳴らした。

「あの若造は、「高き堆岩城」ハイ スタックの懐に毒蛇を招き入れてしまったようだな」
 ボルテックが苦々しく呟いた。

ペイルが声を低めた。
「鉛の牡鹿」レドゥン スタッグ商会は、異国の傭兵と契約して取り立てに使います。ペントスやタイロシュの傭兵の噂を聞きますが、取り立てのためなら暴力も厭わない連中です。……クレストル卿、彼らが徴税を代行しているなら、村は悲惨な状況になっているかと」

「とにかく現地に行かねばならんな」
 クレストルは馬腹を軽く蹴った。「葦の湖」リードメアの集落で一泊する予定だったが、予定を切り上げることにした。エイモンドと約束した調査期間は数日間。向かう先は、ノルウィンが最後に目撃されたという辺境の村だ。

2 集落

 晩夏の曇天の微かな日差しは、鬱々とした樹々に遮られ、森林を旅する一行は、冷たく、湿気た空気を吸いながら黙々と行軍した。上空を覆う鉛色の雲は重苦しく垂れ込め、もうすぐ中天に達するはずの陽の光は頼りない。この深い森のなかでは、随分と前の雨で濡れた土は乾くことなく、ぬかるんだ泥道となり、街道とは名ばかりの狭い林道に馬の蹄が泥に沈む。

「こんな道を官吏が、護衛を一人だけ連れて通ったと?」
 ボルテックは呆れたように呟いた。老練な衛兵である彼は、その無謀さに無知以上の何かを嗅ぎ取ったようだ。この林道は狭く、泥は蹄を捉えて速度は上がらない。視界が悪く、藪に潜んだ襲撃者がいればひとたまりもないだろう。
 ボルテックは号令をかけ、半兜の頬当てを上げ、角板の手燈ホーン ランタンを掲げた。自ら先頭を走り、チェストにクレストルの右を固めさせ、大盾を持たせた。マットはその後方を警戒し、ペイルは手綱を巧みに操って荷駄馬を率い、狩猟兵のザルフェが最後方を追走する。一行は警戒しながらも隊列を組んで森を足早に通り抜けた。

 このあたり、スタックスピア領の南西部の地勢は、起伏が激しくなり、丘陵地帯から山岳地帯となる。森林地帯を抜けると、辺りは、岩の多い山間地に寒村が点在する風景となった。もはや土の道もない地域だが、一行は隊列を組んで黙々と進んだ。

 目的地の集落は、まるで集落全体が死に絶えたかのように静まり返っていた。
 三十世帯ほどの小さな環濠集落だ。この周辺は狼が徘徊するため、粗末な柵と盛り土、浅い堀で集落を守ろうとしている。周辺の田畑は荒れているが、根菜などが作られていたようだ。

「……これは、死人の村のようだ。晩飯も期待できそうにありませんな」
 ボルテックが眉を潜めて集落を見渡す。

 クレストルは音もなく馬を降り、手綱を曳いて、環濠集落の粗末な門を押し開ける。門番もなく、不快な擦過音を上げて、薄い木の板の扉が開いた。

 集落の中に立ち入ると、数週間前にこの地を襲った略奪、その惨劇の爪痕は、雨に洗われてはいた。だが、焼け落ちて黒い骨組みを晒した家屋や、泥濘(ぬかるみ)に沈んだ生活用品の残骸、そして物陰から怯えきった視線を向けてくる村人たちの様子は、ここで何が起きたのかを雄弁に物語っていた。
 若い狩猟兵のザルフェが、空き家となった民家の様子を調べている。クレストルは彼に目配せし、怯えている村人を刺激しないように指示を出した。

「クレストル様、これを」
 後方から商人のペイルが呼ぶ声がした。

 クレストルが声の方へ寄ると、納屋の前でペイルが床を指し示した。ひび割れた煉瓦の床の上に残っていたのは、馬蹄の跡だった。数からして十頭以上だろう。軍用馬の馬蹄だ。

「既にクレイクホール卿がこの集落に来られたようですな」
 ペイルは丹念に馬蹄の数と大きさを数えている。

 どうやら、あの猪たちは、馬で集落の中に土足で踏み入ったらしい。
溜息をついて、若い狩猟兵に問いかける。
「ザルフェ、村人の人数が少なすぎる。逃げたか、連れ去られたか、どちらだ?」

(血だまりや死体はない。殺されてはいない。自分の足で逃げたか、歩かされたか)

「新しい馬蹄の後の他には、比較的古い大勢の人間の足跡があります。集落から出て、南へ向かっています」
 狩人は獲物の足跡には目敏い。

「歩幅はどうだ?」
 質問を重ねる。

「歩幅は、、普通だったかと思います」
 若い狩人の言葉が詰まる。

「もう一度、確認しておいてくれ。逃げたか、連れ去られたか、それで答えが出る」
 重ねて指示を出す。ザルフェは敬礼すると踵を返して、集落の外へ駆けて行った。

 ひっそりとした家屋の並びを通り抜け、集落の最奥へ向かう。
 村長の家は扉が閉ざされていた。ボルテックが何度か扉を叩き、ラニスター公の特使であると叫ぶと、ようやく閂(かんぬき)の外れる音がした。扉の開いた隙間から顔を出したのは、枯れ木のように痩せ細り、目だけが異様にぎらついた老人だった。

「もう取り調べはご容赦ください。お話することはございません」
 老人は怯えた様子だった。

「何度もすまない。すぐ済ませる」
 クレストルは軽く微笑んで、村長の家に足を踏み入れた。怯えた村長は言葉少なく、先日も捜索隊の大柄な隊長に長時間の尋問を受けたと訴え、疲れ切った様子だった。
 クレストルは柔和なペイルと共に話を聞き、ノルウィンの行動を順を追って質問した。

 ノルウィンに見せたという書付について尋ねると、村長は首を横に振った。
「この集落が収めた物産の書付でございますが……クレイクホール卿に押収されました」

「ノルウィンとはどのようなやり取りをした?」
 穏やかな声でゆっくり質問する。

「……台帳と書付を突き合わせて、数字が一致するのがおかしいと、仰いました」
 ペイルと目が合う。集落が収める物産と納税の台帳が完全に一致することは稀だ。損耗など誤差が発生するのが常だからだ。

「その他には?」
 ペイルが促す。

「、、、いいえ、とくには、、」
 村長は目を合わせない。

 何かを隠していると感じたが詰めずに、話を進める。
「、、穀物庫を見せてもらおうか」

 村長の家の裏には、この集落唯一の石造りの倉庫があった。ここが収穫物を貯めておく穀物倉庫とのことだ。
 ボルテックが重い樫の木の扉を押し開いた。錆びた蝶番が軋む音が響き、一行はさほど広くない倉庫に足を踏み入れる。明かりに照らし出された倉庫の煉瓦の床を辿ると奥に荒い麻の袋が数えるほどだけ積まれている。おそらく、種籾が入っているのだろう。

「……こいつは酷い。次の収穫までに食べるものが無いな」
 ボルテックが低い声で呟いた。村長は涙目のまま立ちすくんでいる。

「根こそぎ、ですね」
 ペイルが麻袋の中身を覗き込み、顔をしかめた。

「これが全てか?」
 クレストルが静かに尋ねると、背後で肩を縮こまらせていた村長が、涙を溜めた目で何度も頷いた。

「はい……徴税官様たちが、馬車で乗り付けて根こそぎ……これでは、とても冬を越せません」

 クレストルは村長の嘆きには答えず、無言のまま倉庫の中央へと歩み出た。角板の手燈ホーンランタンを手にして、赤茶けた煉瓦の床を丹念に調べる。床は所々がひび割れ、全体が薄汚れた泥と埃に覆われている。

 ある一点に違和感を感じて視点が留まる。角板の手燈ホーンランタンの覆いを外し、獣脂蝋燭の炎で直接照らし出す。一箇所だけ、まるで誰かが指で拭い取ったかのように、泥が不自然に途切れている場所があった。

「、、、村長。ノルウィンは、この場所で何をしていた?」
 クレストルの抑揚のない問いかけに、村長は体を震わせた。当時の恐怖が蘇ったのか、その声は震えている。

「は、はい……。あの方はそこで、残りの麦の袋を何度も数えておられました……」

「それだけか?」
 片膝をつき、煉瓦の割れ目にある小さな溝を、革手袋を外した指先で慎重になぞった。溝の泥が、そこだけ新しい。何かを掘り起こした後か。

「彼はここで、何かを拾わなかったか?」

「あ……」
 村長は息を呑み、黙りこくった。視線が泳ぐ。

「もう一度聞く。何か拾わなかったか?」
 じっと、怯える村長を見据える。

「お、お答えできません、また徴税官様に……」

「この村の戸数は三十とある。だが、外を見る限り、残っているのはお前を含めて数人だ。残りの人間はどうした?過酷な徴税に耐えかねて離散したのか?」
 クレストルは畳みかけた。村長の視線が、北の方角へ逸れた。

「最後に一つだけ確認したい。この村の徴税を担当したのはスタックスピア公の騎士か?」

「ご容赦ください、また『虎』がやってきます、なにとぞご容赦を……!」
 村長はその言葉を口にした瞬間、しまったという顔をして口を押さえ、後ずさりした。その大袈裟な身振りが、言葉以上の恐怖を語っていた。

(……だが、何か欠けている)
 クレストルは灰色の目で老人を凝視した。極度の恐怖に怯えているはずなのに、男から漂うのは泥と獣脂の臭いだけで、冷や汗特有の酸っぱいにおいがない。

 直轄領でもない、スタックスピア領で、領民にこれ以上の証言を強いるのは限界がある。クレストルはゆっくりと立ち上がり、膝の埃を払った。村長を見る視線は外さず思案する。

 おそらくノルウィンは、在庫確認の最中に、この倉庫の床で何か「決定的な証拠」を見つけた。

(徴税者はスタックスピアの兵士たちではない、「虎」だ。そして、おそらく、多くの村人が何処かへ連れ去られた)

「行くぞ」
 クレストルは踵(きびす)を返した。冷たい風が吹き抜ける倉庫の中には、今は、彼の興味を引くものは何一つ残されていなかった。

「ここではもう、見るべきものはない」

3 銀山

 辺境の集落を出た一行は、岩の多い山間地を静かに並足で進む。先頭の狩猟兵のザルフェが集団が移動したと思われる痕跡を辿る。

 しばらくして東の方向に砂埃を上げてこちらに向かってくる騎影が見えた。五騎だ。

「左前方の崖に退避、下馬のうえ、盾を床に置き、弓を構えろ」
 クレストルが指示を出す。ボルテックが檄を飛ばして部下を急がせる。各々が、円盾ラウンドシールドを、荷駄馬からおろした。
 クレストルは、イチイの大弓の弦を張り、腰の弓筒を手繰り寄せる。手頃な崖があるため、防壁になる。六人は素早く防御態勢を整えた。
 だが、迫りくる騎兵が掲げている旗を見て、クレストルは舌打ちをした。「黄金の獅子」の旗。向こうもラニスター家の家臣だ。

「……構えを解け。友軍だ」
 どうやらクレイクホール卿の捜索隊の分隊に捕捉されたらしい。今は森に潜む「虎」よりも会いたくない相手だった。

 分隊の隊長らしき男が、馬上から大声で名乗りを上げた。
「当方は、タイトス公の命により捜索の任を受けている! 速やかに武装解除のうえ、尋問に応じられよ。私はデズモンド、沼の森フェン ウッドの……」

「こちらもタイトス公の特使だ。その居丈高な口上は控えて頂こうか」
 クレストルはうんざりして口上を遮り、懐から印状を取り出して掲げた。

「タイトス公が我々の他に捜索の令状を下されたとは聞いておりませぬ。捨て置けませんな」
 髭面の黒い鎖帷子を着た「沼の森」の騎士は、喧嘩腰に、馬上から威圧してくる。

 クレストルは冷ややかな視線を向けた。
「我々は『極秘』の任務を帯びている。クレイクホール卿ならば事情をご存じのはずだが。要らぬ足止めを強いたとなれば、卿の顔に泥を塗ることになるぞ」

「……確認はさせていただく」
 デズモンドは上官の名にひるみ、馬の手綱を引いた。差し出された印状を確認しながら、一行の顔色を伺っていたが、何度か見直した後に、返してきた。

 その時、西の方向からも騎兵隊が駆けつけてくるのが見えた。クレイクホール卿に付き合うと丸一日は拘束されることになるだろう。

「急ぎの任務だ。確認は後日、キャスタリーロックにて」
 クレストルは一方的に告げると、分隊を尻目に、部下たちへ出発の合図を送った。

「待たれよ」
 デズモンドはなおも、止めようとして進路に馬頭を入れてきた。

 クレストルは黒づくめの騎士を灰色の眼で凝視して低い声で言った。
「ここで我らを足止めするならば、後日、相まみえるのは、キャスタリーロックの法廷ですな」

 気圧されたのか、デズモンドは渋々、進路を空けた。

「行くぞ! もたもたするな!」
 間髪入れず、ボルテックが号令をかける。一行は騎兵たちの脇をすり抜け、東へと馬を走らせた。
 分隊の前をすり抜けて、駈足で行軍する。彼らの気が変わらないうちに距離を取る。

「やれやれ、ですな」
 ボルテックがうんざりしたように呟く。

 捜索隊から見えない位置に来ると、速度を下げつつ、進路を南東へ転じる。ザルフェが追跡していた集落からの集団の足跡は途中で消えていた。だが、歩幅からみて、歩いて集団で移動した痕跡が窺えたという。この方向へ集団移動を強いられたとすれば、向かう先は限られる。

「これから浸水が起きた銀山『小作農の窪地』コッターズ・ホロウに向かう」
 静かに小隊に行き先を告げる。

  銀山で浸水事故が起きたことは間違いない。だが、その復旧は困難を極めるだろう。専門家では無いクレストルでも、水を汲みだす排水路の整備が難題であることは分かる。その技術が、もと毛皮商の「鉛の牡鹿」レデゥン スタッグ商会にあるとは思えない。できるとすれば、大人数を動員して強引に掻き出すぐらいしかない。
 銀山で何が行われているのか、それを明らかにすることは今回の騒動の全貌を明らかにすることになるだろう。

 しばらく行くと、『小作農の窪地』コッターズ・ホロウへの行程は急峻な山道となり、道は狭くり、やがて深い森へ続いていった。
 森の山道を一行は、黙々と行軍した。晴天ではあるが、この深い森の鬱々とした樹々に遮られ、陽は当たらない。土の山道は乾いてはいたが、更に狭くなり、けもの道のような幅になった。

 森が深くなるにつれて、違和感が強くなる。眉間に皴が寄り、耳に全神経を集中させ、周辺に目を配らせる。

 …… 静かすぎる。
 本来、深い森は様々な音や気配で溢れている。しかし、鳥の声が消え、風の音だけが不気味に響く。あるはずの獣の気配が無い。何かが通った後だ。
 クレストルは、日ごろから森林官として、広大な森を巡回し、密猟者を取り締まり、樹木の生長を見守ってきた。
 森を荒らす「侵入者」の気配を嗅ぐようにして、森を巡ることを生業とする彼は、誰よりもその気配に敏感だった。彼の手足である狩猟兵のザルフェも同様に何かを感じたのか、馬を寄せて違和感を伝えてくる。右手を上げてその動きを制する。
 ボルテックは、狭い見通しの悪い道に圧迫感を感じ取ったのか、隊列を二列縦隊に切り替え、右列の騎手には右手に丸盾を持つように指示をした。

 クレストルは腰に差した長剣の柄に手をやったあと、背負ったイチイの騎兵弓キャバルリーボウの弦を確認した。彼の生家は上古の時代より、代々、弓の名手を輩出してきたユー家の傍流だ。クレストルは長剣の腕前も確かであるが、ハーウッドのような破格の存在が身近にいるおかげで、過信することはなかった。

(剣を振るうのはあいつに任せればいい)

 森の空気が変わった。風向きが変わり、風上から僅かに混じる「異物」の匂いが鼻を衝く。獣ではない何かの匂いがする。

「……ボルテック、隊列を戻せ。一列縦隊だ」
 クレストルは静かに、だが、強い口調で指示を出した。

「 この地形だぞ」
 ボルテックが抗議するが、クレストルは目で制した。

 ボルテックは瞬時に意図を察し、間の空いた、一列縦隊に戻した。一行は速度を下げて緩慢な動きで進む。

 「見張られてる?」
 ボルテックは自然な動作を崩さず、尋ねてくる。

「このまま進むと、囲まれるだろうな。おそらく、「ノルウィンの失踪」を引き起こした連中だ」
 クレストルは、ゆったり手綱を引きながら言った。

「地形は向こうが有利ですな、忌々しい」
 ボルテックは、さりげなく剣の柄に指をかけた。

「だが、風上で待ち構えるような、間抜けな「虎」だ」
 周辺の茂みへ鋭く視線を這わせたが、敵の姿は見えない。だが、頬には風が、そして鼻には、確かに潜伏する何者かの臭いが届いていた。
クレストルは薄く笑った。

(銀山にはよほど見られたく無いものがあるらしい)

 クレストルは馬首を返した。
「……ここで無理をする必要はない」

(残された課題はラニスポートで詰めることにしよう)

 銀山の浸水事故、その報告と支援要請の行方、調査の妨害、「鉛の牡鹿」レデゥン スタッグ商会の暗躍、スタックスピア家の分裂、森に潜む異国の「虎」、消えた村人たち。
 これらの個々の謎が明らかにできなくとも、全体を見渡すとある程度の図は見えてくる。この図の裏取りをすれば、自ずと真の敵の姿が見えよう。

(いずれ必ず仕留めてやる)

「ここまでだ。日が暮れる前に街道に出る」
 クレストルの号令と共に、一行は、来た道を戻りはじめた。

(007 クレストル Ⅱ 完)


煤けた石 第一部 獅子の仔 第一編 ゆりかごの宣誓
クレストルⅡ(007 岩山の亀裂)
248 AC・夏(末期) / 西部・ラニスポート 〜 スタックスピア領
POV:クレストル=ユー (Crestel Yew)


【本作は「氷と炎の歌」のファンフィクションです】
原作者のジョージ・R・R・マーティン氏、および関連する出版社・映像製作会社等の権利者様とは一切関係がありません。
本作は「氷と炎の歌(A Song of Ice and Fire)」の世界観をベースにした非公式のスピンオフ作品であり、原作の五十年前の時代(征服暦248年以降)の七王国西部ウェスターランズを独自の解釈で描いています。


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