「指摘もどき」について考えてみた
BASE株式会社執行役員の柳川です。金融事業の事業責任者をしています。
私はエンジニア→PdM→事業責任者というキャリアを歩んできました。
現在は事業戦略、プロダクト戦略、組織戦略全ての責任を持ちながら、事業責任者を務めさせていただいています。
こにふぁーさんの問題解決ブルドーザーの記事。問題解決ブルドーザーもいい表現なんだけど、指摘もどきもなかなかいい表現だなと思いまして、借ります。
この記事は指摘もどきをしてしまって上手く行かなかった、過去の自分の反省を振り返りながら書いています。
「言ったとおりにしろ、反発するな」と言う話ではなく、「建設的なやり取りをできたほうが良いよね、そのためには指摘する側にも、指摘を受ける側にも技術が必要なんだけど、構造的に負担が指摘を受ける側に偏りがちかも?」と言うのがこの文章のテーマです。
もう少し具体的に言うと、次のリーダーを育成する中での気づきになります。育成というと烏滸がましいですけどね。
「何視点だよ」っていう文章だと思うので最初に書きました。
指摘って難しい
指摘って技術が必要なんです。
いろいろな考えがあると思いますがこの文章では以下のように考えてみます。
指摘した結果が反映されて初めて指摘である
では指摘した結果が反映されるには何が起きればいいか。以下のように分解してみます。
気がつく
言語化する
(試行錯誤して伝える)
(伝えられた人が解釈する)
(伝えられた人がたくさん努力する)
反映される
カッコに入れたものは、自分で手を動かすことを選択すれば省略できることです。
ただし、「指摘」ですので、対象がいてそれを動かすというイメージが大きい気がします。故にカッコは省略できません。
言語化するのハードルも高いんですが、試行錯誤して伝えるのはトライアンドエラーのコストも含めると膨大なんですよね。しかも、伝えられた人がたくさん努力してくれるような形で伝えないといけないんですよ。超大変だし難易度が高い。
指摘もどきとは
シンプルにいうとただの文句のことです。ただの不平不満です。ただただ人のやる気を削ぎチームの雰囲気を悪くするだけの言葉です。いいことした気になってるかもしれませんが、ただのテイカーです。言わない方がマシです。
指摘もどきとは、気がついたことを十分な言語化もせずに垂れ流しただけです。言語化というのは、相手に伝わってはじめて言語化ですからね。難しいんですよ言語化は。
このあたりの特徴をみるに、不機嫌ハラスメントと類似していますね。
上司から部下でも起こりうるし、部下から上司でも起こりうるし、同僚同士でも起こり得ます。
百歩譲って例えばプロダクトのユーザーであれば、指摘もどきな発言だったとしても拾われます。むしろ「ありがたい発言だな」とおもわれます。それはなぜかというとプロダクトをより良くするのが我々の仕事であって、そのためにはユーザーの発言は極めて価値が高いからです。
「試行錯誤して伝えるの部分を、試行錯誤して解釈するに変えてその分の労力を自らはらったとしても利益が出るな」と思われるので、指摘もどきな発言だったとしても拾われます。
それではあなたの指摘、もとい文句はその価値があるのでしょうか。あるのであれば「すごいですね」としか言いようがありません。
指摘もどきは解釈するコストを人に委ねている
指摘もどきの一番の問題は、解釈するコストを人に委ねていることです。
解釈するのってすごくコストがかかるのです。膨大なコンテキストを処理しなければ解釈できないのですが、膨大なコンテキストを処理するのは大変ですし、優秀でなければできないのです。
自分が知りたいから解釈するのであればいいんですよ。欲しい結果のために何かしらのコストを払うのは当たり前ですからね。
でも指摘もどきって、欲してないのに飛んでくるわけですよ。もはや災害ですよね。
「ただの文句だったとしても受け止めなよ、懐狭いなー」
「そんなこと言ったら、有用な文句も出てこなくなくなるよ」
まぁわかるよ。わかるけどさ、イライラしたり落ち込んだりはするよね。人間だからさ。
解釈できない、解決手段がわからない、マイナスな気持ちを伝えられたら皆さんどう思いますか?
ただただ不快じゃありませんか。ただただ不快にさせられた感覚。そしていいしれぬ不安。解決手段がわからないのに、今の状態が違うと言われるのは、強制的に不安定な状態に持ってかれることなのです。
いやね、これはね、難しい問題なのよ。「心理的安全性の高い組織」とかさ、「自律的な組織」とか、「トップダウンではない組織」とか。言葉をいいように解釈して、「発言のハードルを下げるべし」的な論調もある。もちろん、発言に過剰なハードルがあるのは良くない。硬直的な意思決定にしかならないから。
でもなんでも言っていいかと言うと、それは違うんだよ。
「試行錯誤して伝える」と「伝えられた人が解釈する」のバランスが大事なんであって、それが偏っちゃうとおかしなことになるのよ。
「悪気はないから」はなんの免罪符にもならない。
「リーダーだったり推進者が受け止めるケイパビリティを持つべし」というのは、そりゃその通りなんだけど、みんな成長の途中だからさ。リーダーだったり推進者に全てを求めるのは酷だよと思うわけです。
指摘もどきという強い言葉を使っちゃったけれど、伝わる、コミュニケーションができる、一方的にならないというのが大事だと思うのです。チームで何かをやる以上は。
指摘もどきをいう人はシンプルに人に嫌われる
ここまでの説明で伝わっていると思いますが、指摘もどきをいう人はシンプルに人に嫌われます。だって、一緒にいるとただただ不快で、ただただ不安な状態になる人ですよ。嫌われますよね。
嫌われちゃうんですよ。それがもったないなーと思うのです。だって多分間違ってないんですよ。指摘もどきだとしても、指摘の中身は間違ってない。でも伝わらないゆえにただの嫌なやつになっちゃうの勿体ないと思いませんか?
じゃあ何も言わない方がいいの?
何も言わなくてもいいです。だって、「ちゃんと指摘もどきじゃなくて指摘しろ」というのは、「説明コストを払え」と言っていることに等しいですから。説明コストを強制的に払わせることは難しいです。人権侵害や、ハラスメントになる恐れも。
でも単純な話で、説明コストを払えるとお賃金が変化します。だって説明コストをかけてくれているのであれば、それに対して報いるのが当たり前でしょう。なのでお賃金を上げたければ説明コストをはらいましょうという単純な話になります。
指摘もどきではなくて、しっかりした指摘ができるようになりましょう。それはチームにとってすごく価値のあることです。
まぁどうだろうな。
指摘もどき < 黙る <<< 鋭くないけどチームを盛り上げる発言 <<<< 越えられない壁 <<<< 指摘
じゃないですかね。
ふと思ったことを伝えることにはすごく価値があります。解決策まで分かってなくても、伝えることはとても価値がある。伝え方と伝えた後の対応が大事です。一緒に考えましょうというスタンス。それが大事です。
自分の指摘がきちんとした指摘か指摘もどきかを知るにはどうすればいいか
正直「周りの反応見てればわかるやん」と思います。でもわからない人もいると思います。一番わかりやすいのは、あなたがした指摘が、実際に反映されたかどうかです。指摘もどきであれば反映されないし、指摘であれば反映されます。
指摘もどきをされた人には無視する権利があるのです。
指摘もどきをされて頑張って解釈してしまう人へ
素晴らしいと思います。誇ってください。そのスタンスと、その結果積み上がったスキルはとても有用です。
でもね、無理しないでください。
指摘が反映されるかどうかは、「試行錯誤して伝える」と「伝えられた人が解釈する」のそれぞれの歩み寄りなわけです。この歩み寄りがアンバランスだとした場合、付き合ってあげる義理はないですよ。
追加で。素晴らしいうえで、更に素晴らしくなるには、意思を持ったうえで指摘と向き合えるかと言うのがポイントです。指摘もどきも含めた無数の情報のなかで、意思をもちながら取捨選択していけると最強です。
きちんと指摘しているはずなのに反映されない人へ
これに関しては、なんとも言えないんだよなー。コンテキストがわからないと、きちんとした指摘になっているかわからないので。
きちんとした指摘と言うのは、相手から見た上でということですよ。あなた目線からしたらきちんとした指摘だというのは言わずもがななので。
本気で悩んでいる人は、あなたがおかしいのか、受け取り手がおかしいのかを判定するので相談してください。
おそらくなんだけど、この記事を読んで「自分指摘もどきしてしまってるかも」と思える人は指摘できてる気がする。
指摘もどきに本当の意味で気がつくのは、自分が指摘もどきをされた時なんですよね。僕自身もそうでした。なのでリーダーや推進者になって指摘もどきを受けてみるのが1番良いです。
若干ややこしいんですが、リーダーや推進者は指摘もどきをされて悶々としてる時が1番成長するんですよね。ダメージもあるけど成長もする。なので指摘もどきも必要悪的な側面がありますね。
指摘じゃなくて感想なんですけど
あっ、そうなんですね。
指摘もどきから脱却するにはどうすればいいのか
説明コストを払え、自分を鍛えると思って。が結論ですが、もう少しステップを分解してみます。
自分で手を動かすことからやってみるのがいい気がしてます。自分で手を動かして結果が反映されると、解像度が爆上がりします。こうすれば物事が変わるんだなって。そうすると自然とどう指摘すればいいのかがチョットワカルのではないでしょうか。
気がついたことをそのまま垂れ流してOKな関係は幸せな関係
「えーそんなにいつも気を使わないといけないの?」と思ったあなた安心してください。
気がついたことをそのまま垂れ流してOKな関係、全然存在します。
気がついたことをそのまま垂れ流してOKな関係とは、コンテキストを共有している関係ということです。コンテキストの共有っていうのは基本的に好きな人とでないとしたくないですよね。好きっていうと抽象的だけど、自分のデフォルトコンテキストと極端に乖離したコンテキストを食うのは自分の否定に近いのでストレスがかかるのです。
気がついたことをそのまま垂れ流してOKな関係というのは、自分の否定をしてでもコンテキストの共有をしたい関係か、自分の否定をしなくても自然にコンテキストの共有ができる関係なわけで、それってすごいことですよね。
大事にしな。もしくはその関係を作るためのコストを払いな。と思います。
「指摘じゃなくて感想なんですけど」をもう少し真剣に解釈
さっきは苛立ちすぎて、「あっそうなんですね」、しか返せませんでした。もう少し考えます。
個人的に、対象をとらない指摘もどきは一番最悪なんですよね。いわゆる空リプですね。最悪というか個人的に許せないだけですが。「指摘じゃなくて感想なんですけど」、というのは対象をとらないというように見えるわけです。「言うだけ言いましたけど」、みたいな。
文句言うならスタンス取れや、打ち返し恐るなと思ってしまうわけです。打ち返しを恐るなら黙っておけよと思います。これは、マッチョすぎるかもしれませんね。
指摘と指示と指導について
指摘と指示と指導は明確に定義が違うものですが、明示的に使い分けられるかというとそうじゃないことも多いと思います。明示的に宣言して使い分けたほうがいいと思います。
ただし明示的に使い分けられていて、頭では理解できていたとしても、気持ちの面では切り分けられないことも多くあると思います。
言葉になった時点で力を持つので。
指摘もどきとかレッテル貼りされてだるいわ
そう思った人もいるでしょう。でもこの記事は指摘もどきをレッテル貼りしたいわけではありません!指摘というものの尊さを伝えたかったのです。指摘って本当に難しくて大変でコストのかかるものなのです。
指摘もどきと指摘が混同されて、真っ当な指摘がなくなるのは損失だと思うのです。
指摘もどきではなく、指摘ができるようになろう!
こんな記事書いてますが、僕もまだまだ指摘もどきしてしまっています。僕も精進します!押忍!
編集後記
指摘もどきがいい表現すぎて勝手に借りました。こにふぁーさん、ありがとうございます。
どうでしたか皆さん。指摘する側に厳しすぎでは?と感じますか?そうなのかな。そうなのかも。
あれなんですよ、僕は基本思想が「とにかくやるやつが偉い」なんで、クリティカルでない無邪気な指摘でモメンタムを下げるのとかが許せない質なのです。なのでめちゃくちゃバイアスがかかってることは認めます。
とにかくやるやつも、結局人を巻き込むことになるので、指摘するときに必要なスキルに近いことが必要になるんですけどね。みんなに厳しい。みんなに厳しいけど、みんな成長途中だからそれぞれに厳しくそれぞれに優しく成長していこうねということ。
「指摘もどき」みたいな強い発言すると誰かを萎縮させる可能性もあるのですべきではないと言う考え方もあると思うんだけど、「指摘もどき」は結局みんなが不幸になる。
もちろんお互い様な部分はあって、指摘も会話も相互に努力しないと上手くいかないです。
「ポジションのある側とか、物事を進める側がよしなに取捨選択しなよ、指摘する側に負担を押し付けるなよ」
多分それが一般的だし、正しい気もするんだけど、それで物事が進まなくなるのもみんなが不幸になるよなーとか思ってます。
「この記事自体が指摘もどきなのでは?」
そうかもしれない。それを判断するのは私ではなく読者の皆さんです。僕が言えることとしては、ここまで読んでくれてありがとうございますということだけだ。
以下の記事の書き変えに近いので、元記事もぜひ読んでみてください。
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