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【活動記録】関係性、引き受け、土の履歴 —— 七沢、新章のはじまり

5月16日、七沢に行ってきた。

前回(vol.4)はこちら。
https://note.com/gilles1974/n/n863d88f2717d

1ヶ月前、独立一発目の七沢を書いた。あの記事の締めは「独立一発目。いい感じだと思う」だった。今日はその続き。畑は1ヶ月で大きく動いていて、人も、空気も、ちゃんと先に進んでいた。

そして今日は、ガッツリ働いたあとに、午後の七沢を縦に歩いた。沢を上り、愛宕社に寄り、林道二の足線を奥まで詰め、湧水で戻ってきた。一日で室町から令和まで、七つの時代の物質的痕跡をなぞる結果になった。これは予定していたことじゃなくて、歩いてみてはじめてわかったこと。



三角看板の向こうへ

丹沢大山国定公園

入り口の三角看板。「丹沢大山国定公園 / QUASI-NATIONAL PARK」の文字、ペンキは剥げかけ、木は朽ちかけ。それでも、この看板の向こうが七沢であることに変わりはない。

せんげん道の石柱
白山順礼峠の道標

道沿いに、もっと古い石碑も並んでいる。「せんげん道」「白山順礼峠」——江戸期からの巡礼路の痕跡。今日はじめて、これを意識的に見た。三角看板(昭和の国定公園)の脇に、江戸の道標が立っている。七沢には、複数の時代の交通インフラが同居している

厚木市の七沢里山マルチライブプランは令和8年3月で制度上の区切りを迎えた——vol.3で書いた通り。今日はその制度が外れた後の、初夏のはじまりの日。


午前:冬野菜の終わりと、夏野菜の始まり

木酢液生成中!!

里山会の小屋。「木酢液生成中!!」と手書きの板。横には「本日の作業」と書かれた木板。この一枚に、里山会の物質性が全部詰まっている。木酢液は炭を焼いた副産物。畑の害虫忌避剤として使う。買えば話が早いが、自分たちで作る。生成中、と書いてあるのは、まだ完成していないということ。完成していないものを、ちゃんと現場に出しておく文化。

ジャガイモが、ここまで育った。

vol.3(3月)で種芋を植え、vol.4(4月)で「芽を出している」と書いた、あのジャガイモ。2ヶ月で完全な葉群になっている。3畝×びっしりの密度、奥には防獣ネット、その先には菜の花畑。完全に「夏に向かう畑」の顔になっている。

ジャガイモの花

そして、花が咲いていた。ジャガイモの花は薄紫の星形、控えめだが、これが咲くということは、地下で芋がしっかり太っているということ。来月の収穫の前兆

今日の作業は土寄せ。鍬で根元に土を寄せて、できかけの芋に光が当たらないようにする。光に当たると芋が緑化して、ソラニンが出る。地味だが、これをやらないと来月の収穫が成立しない。

ナス苗を支柱に結わく

隣のエリアにはナス。支柱に麻紐で結束済み、これから伸びていく前のスタートライン。葉脈が紫がかってて、品種の特徴がちゃんと出ている。背景には終わりかけの菜の花。「終わる作物」と「始まる作物」が同じ画面に同居している

今日の作業内容:草取り、ジャガイモの土寄せ、菜花化したのらぼう菜の処理、ナス苗の結わき、農具の整備、片付け。半日でガッツリ。夏のような陽気だったが、日陰の風が心地よかった。


のらぼう菜に蜂が来ていた——うらとの記憶

菜花にミツバチ吸蜜

「処理」したのらぼう菜の畑に、ミツバチが来ていた。

vol.2(2月)でオッチャンが苗を分けてくれて、家のベランダにも植えた、あののらぼう菜。冬を越えて、トウ立ちして、4月のvol.4で「トウ立ち菜花まつり」になり、5月の今日、最後の花を咲かせて蜂を呼んでいる。

人間の生産サイクルでは「処理対象」になった瞬間、蜂にとっては絶賛現役の蜜源。受粉が起き、種が落ち、土に養分が戻り、来年の畑がはじまる。終わりではなく、次に渡しているだけ。

穴だらけのナス葉

ナスの葉には、穴がいくつも空いていた。ヒメナガメが葉をかじっている。きれいに食べ尽くされた葉もあれば、まだ無事な葉もある。畑は人間だけのものじゃない——その事実が、葉の穴一個一個に書いてある。

ヒメナガメがすぐそばに

——15年以上前、東日本大震災のあとに「うらと菜の花プロジェクト」というのがあった。宮城県・浦戸諸島で塩害被害を受けた土地に菜の花を植え、菜種油や食用菜花にして地域経済を立て直す取り組み。オリンピアンの畑中みゆきさんと一緒に、中心的にかかわっていた。

うらと菜の花プロジェクト

塩害の土を、菜の花が立て直していくのを、現場で見た。

子どもたちと一緒に菜の花を、”うらと”を立て直す

今日、七沢の畑の足元で、同じ構造を見た。「終わった土地」は終わっていない。蜂が来て、油になり、土に戻り、次の作物の養分になる。土地の意味は、その上で何が起きるかで決まる

中心論考「炭水化物の世界 —— Our Universe」で書いた通り、農業は太陽光を濃縮する装置。その装置が回す循環の、ど真ん中に蜂はいる。 https://note.com/gilles1974/n/nfb2ec3a92922


ミーティング——女子部のモテ期と、学生の登場

軽トラ前のミーティング風景

午前の作業中、軽トラの前で円になって座る。

ここで自分が話したのは、うりぼー農園の話。袋栽培、ペットボトル栽培、培養液、植物工場。

女子部メンバーに刺さった。「えっ、それやってみたい」「ベランダでできるの?」「家でやってます!」——まさかのモテ期キタコレ(笑)。

男性陣は別の回路で反応する。土の話、肥料の話、EC・pHの話、配合比率の話。理屈っぽいところが好きな様子。同じ「植物の話」でも、伝わる経路が違う。

そして今日驚いたのは、農業系の大学生がチラホラ来るようになっていたこと。次回以降、植物生理の話をしてほしい、と振られた。

光合成のC3/C4経路、ABA、エチレン、光周性、フィトクロム——教科書の知識と、目の前のジャガイモやナスを実物で接続できる人がいると、学生にとってここに通う理由が一つ増える。植物工場の運営者として植物生理を経済として実装している身として、教える側に立つ準備はできている。

七沢に、静かに新陳代謝が始まっている


軽トラの荷台で——報酬の生成現場

軽トラ前で野菜を分けるシーン

ミーティングのあと、軽トラの荷台で野菜を分ける。

長ネギ、湘南レッド、早生玉ねぎ、甘夏。畑から抜いたばかりの状態で、根に黒い土がついたまま、荷台の上に並ぶ。それを「あなたはこれ」「君はこれ」と手渡していく。値段はつかない。レシートも出ない。ただ、その日に動いた人の手に、その日に動いた野菜が渡る。

これはスーパーの「商品」じゃない。ここで起きているのは、関係性の対価としての野菜の受け渡し

このシーンを、シリーズで何度も書いてきた。でも今日改めて、報酬は軽トラの荷台で生成される、と書いておく。スーパーの棚には現れない経済が、ここで成立している。


棚田復元事業——制度の物質的痕跡

棚田復元事業の看板

大自然七沢の景観を大切に。 棚田復元事業 この事業は厚木市の勧める「里山マルチライブプラン」を基に、「七沢里山づくりの会」が市内在住者等のボランティアの協力により実施しているものです。 厚木市・七沢里山づくりの会

色褪せ、雨ジミ、しかしまだそこに掲げられている看板。vol.3で「最後の活動日」を書いた、あの制度の、物質的な痕跡。

荒れた棚田の現況

そして看板の向こう側に、実際の棚田。フェンスで囲まれた区画、その中は草ぼうぼう、紅葉の若木、なんとなく田んぼだったはずの段差だけが残っている。制度は終わったが、看板はここにある。看板の下で、棚田は荒れている

そして看板の下で、畑のほうは止まっていない。

この二つの事実を、同じ画面に置く。


オッチャンが棚田を指さした

「うりぼー、この棚田、使わない?」

七沢のオッチャンが、棚田復元事業のエリアの一区画を指さした。

3月の最後の活動日にジャガイモの種芋を植えて、4月の独立一発目で畑に戻ってきて、5月の今日——オッチャンが棚田を任せる候補に、自分を置いた。

冗談半分なのか、本気の打診なのか、まだわからない。即答もしていない。でも、シリーズを書き続けてきた身として、この一言はちゃんと記録しておく必要がある。


もう厚木市は関係ない

そして、もう一つの事実。

厚木市は今年3月いっぱいで、このマルチライブプランから手を引いた。

つまり——もう厚木市は関係ない。

制度がある間は、補助金の枠、報告書のフォーマット、行政の年度区切り、そういうものに合わせる必要があった。だが厚木市が手を引いたいま——何を植えてもいい、誰に教えてもいい、誰を呼んでもいい。棚田を「使う」のも、学生に植物生理を教えるのも、女子部にペットボトル栽培を伝授するのも、全部、自由だ。

vol.3で「制度の終わり」を書いた。vol.4で「制度は終わったが畑は止まらない」と書いた。今日わかったのは、それだけじゃない。

制度の終わりは、解放だった。

七沢里山づくりの会は、これまで「厚木市のマルチライブプラン」というフレームの中で動いていた。そのフレームが外れたいま、会そのものの形が問い直されている。学生が来る。女子部にペットボトル栽培が刺さる。棚田が個人に打診される。これは「制度の縮小」ではなく、個別の関係性に基づく新しい層の立ち上げ

——これがvol.5の核心。


午後:信仰、産業遺構、鏡——七沢を縦に歩く

午前ガッツリ働いたあと、午後は山方面へ。

ここからは「働く時間」から「歩いて読む時間」に切り替わる。同じ七沢を、別の地層で読み直す散策。

歩いてみて気づいたのは、七沢には少なくとも七つの時代の痕跡が、同居して残っているということ。これは予定していた発見じゃない。歩きながら、看板や石碑や鏡を一つひとつ読んでいるうちに、向こうから立ち上がってきた構造。


ますやの賑わいを横目に

「ますや」さんの釣り堀

山へ向かう途中、ますや。「川魚料理ますや」の浮き彫り看板、「営業中」の札、本日のメニュー(ニジマス塩焼き600円、イワナ800円、山菜そばうどん700円、鴨焼き1500円)。

釣り堀で家族連れがニジマスを釣り、隣の小屋で焼いて食べている。子どもが網を持ち、親がしゃがんで一緒に水面をのぞき込む。日傘とパラソル。新緑のトンネル。今日は土曜日。

今日は寄らない。横目に通り過ぎる。だが、後で愛宕社の境内に立った瞬間、このますやの賑わいと、目の前の信仰が、思いがけない一本の線で繋がる。

それは、もう少し先で書く。


愛宕社——1532年から続く層

愛宕社の由来板と朱色ののぼり

愛宕社の参道入口。「奉納 愛宕大権現」と書かれた朱色ののぼりが並び、木製の由来板が立っている。

愛宕社(愛宕社の由来) 廣澤寺本堂正面に対峙する愛宕社の草創は一五三二年、愛宕山大権現・道了大権現を廣澤寺鎮護神として奉請することに由来する。

1532年。室町時代後期、戦国の真っ只中。それから490年余、ここに祠が立ち続けている。

由来板にはずらりと合祀神の名が並ぶ——龍天護法大善神、白山妙理大権現、秋葉山大権現、山王大権現、金比羅大権現、富士浅間大菩薩、八幡大菩薩、稲荷大明神、七沢石の男神の諸善神、そして「豊作豊漁、身体健全、福徳開運、防火鎮火、山の安全、夫婦円満」など人々の祈りの内容まで。

信仰の総合商社みたいな状態。一つの祠に、複数の神仏が集約されて祀られている。明治の神仏分離以前の、混淆の形がそのまま残っている。

朱色の献燈群(七澤養鱒組合・福澤工務店など)

参道を上がっていくと、朱色の献燈が並ぶ。一本一本の柱に、献燈者の名前が彫られている。

「献燈 七澤養鱒組合」 「献燈 福澤工務店」 「献燈 足立恵美子」 「献燈 近藤十郎」 「献燈 福澤義昇」

ここで止まる。

「七澤養鱒組合」——さっき横目に通り過ぎた「ますや」で、ニジマスを焼いている人たちの組合

ますやの賑わい(商業・観光)と、目の前の愛宕社(信仰)が、献燈の一本の柱で物理的に接続されていた。同じ沢の水でニジマスを育てる組合が、同じ沢の上流の祠に灯籠を寄進している。信仰・労働・商業が、ここで同じ一本の柱に書かれている

これは概念じゃない。物質。柱が立っていて、文字が彫ってある。読めば書いてある。

内陣の扁額「愛宕社」

階段を上がり切ると本殿。内陣の天井から鈴と紅白の縄が垂れている。木製の扁額に「愛宕社」と白抜きの文字、脇には「廣澤佐燈榮三六社 玄法 隆三 書」と署名。手書きの彫刻、白い顔料がところどころ剥がれかけている。それでも文字は読める。

明治期の石燈籠

石でできた古い燈籠も残っている。土台の側面に「明治十年」「明治十二年」らしき年号が読み取れる。1877〜1879年——西南戦争の前後、まだ徒歩で人が境内まで上がってきていた時代の寄進物。

合祀石碑(熊野神社など)

落ち葉の中に、小さな石碑がいくつか並ぶ。「熊野神社」と刻まれた石碑、もうひとつは石仏のような形。由来板に書かれていた合祀神の名前が、境内の石碑として物理的に実在している。文字と石、どちらが先で、どちらがどちらを保証しているのか、たぶんもう分けられない。


大釜弁財天と、沢の入り口

大釜弁財天の石碑

愛宕社を辞して、もう少し奥へ。「大釜弁財天」と刻まれた石碑が、苔むした石垣の脇に立っている。弁財天は水と芸能の神様。この沢全体の鎮守なのだろう。文字の脇に細かい縁起書きが彫られているが、風化していて全部は読めない。

書いてある内容のすべては読めなくても、ここに石碑が立っているという事実が読める。誰かが、ある時期に、ここに何かを残そうとした。残されたから、いま僕がそれを見ている。


林道二の足線——大正の石切場

林道二の足線の看板

林道 二の足線 幅員 3.6〜4.0m 延長 1,775m 神奈川県 県央地域県政総合センター

愛宕社・大釜弁財天を抜けると、林道二の足線。神奈川県が管理する正式な林道で、長さ1,775m。アスファルト舗装、ガードレール、杉林の中をゆるく登っていく。

「大正 石切場」の石碑

林道沿いに、もう一つの石碑。「大正 石切場」。赤い文字、苔むしている。

大正期(1912〜1926年)に、ここで石を切り出していたという物質的な記録。何を切ったのか、誰がやっていたのか、由来板はない。でも石碑だけが残っている。

産業遺構。江戸期の道標、明治期の石燈籠、大正期の石切場——時代ごとに、人がここで何をやっていたか、その痕跡が地層のように積み重なっている。

杉林トンネルの林道

林道はその後、杉のトンネルになる。両側に背の高い杉、上の方で枝が交差して、光が斜めに射し込む。アスファルトの上に落ちる影が縞模様を作る。誰もいない。鳥の声と、自分の足音だけ。

林道を1kmほど詰めると、「不動尻 2.3km」の道標が出てくる。

ここから不動尻まではまだ40分。今日はここで折り返す。


森の鏡①——昭和61年、誰もいない場所で

林道のカーブミラー自撮り

折り返し地点に、カーブミラー。

ミラーの根元に「昭和61年度 神奈川県」のプレート。1986年——僕がまだ小学生だった頃、誰かがここに鏡を立てた。林道で対向車を確認するための、機能的な設備。

その鏡に、今、自分が映っている。

杉林の中、誰もいない場所、昭和61年の鏡、令和の自分。背景には不動尻方面へ続く林道が見えている。「不動尻 2.3km」の道標が、自分の足元に半分写り込んでいる

この鏡を、今日はちゃんと見た。

——後で気づくのだが、今日はもう一回、別の鏡に出会う。鐘ヶ嶽バス停のカーブミラー。森の中の鏡と、社会への入口の鏡。「自分を見る場所が二回ある日」だった。それは記事の最後で書く。


七層の歴史を、一日で歩く

ここまでの散策で、これだけの時代の痕跡が立ち上がってきた:

——室町期(1532年):愛宕社の草創。
——江戸期:せんげん道、白山順礼峠の道標。
——明治期:境内の石燈籠。
——大正期:石切場の石碑。
——昭和61年(1986年):林道のカーブミラー。
——平成〜令和初期:里山マルチライブプラン。
——令和8年(2026年):マルチライブプラン終了、新章のはじまり。

七層。一日の散策で、約500年の時間軸を縦に歩いた。

炭水化物の世界 —— Our Universe」で書いた構造で言えば、ここは太陽光の濃縮装置(畑・林・沢)の周りに、人間が500年かけて自分たちの痕跡を残してきた場所。装置そのものは変わらず動き続けている。変わるのは、その装置をどう「読むか」のレイヤー。

愛宕社の人は「神」と読んだ。石切場の人は「石材」と読んだ。マルチライブプランの人は「景観保全」と読んだ。読み方が変わっても、装置は同じ装置

今日、自分はそこを「歩いて読む対象」として読み直した。これは新しい読み方というより、たぶんずっと前から誰かがやってきた読み方。それを、今日、ちゃんと自分も一度やった。


戻り道——沢へ

沢の岩々と苔

林道をさらに進み、沢に下りる。

新緑のトンネル、岩、苔、木漏れ日。夏のような陽気の中で、ここだけ空気の温度が3度低い。七沢の名前の通り、七つの沢のうちの一つ、いまも水が流れている


湧水——竹筒と、二つのコップ

七沢の湧水
竹筒からの湧水

七沢の湧水、公共の水場。

苔むした岩から斜めに突き出した竹筒、そこから細い水流が落ちている。岩の棚に、誰かが置いたオレンジと水色のマグカップが二つ、伏せて置かれている。脇には金網が敷かれ、その上で水を受け止められるようになっている。

誰がこのコップを置いたのか、誰がこの竹筒を仕込んだのか、書いてある掲示物はない。所有じゃなく共用、課金じゃなく信頼。ここにも実存経済の小さな結晶がある。

——「炭水化物の世界」で書いた通り、地上の生命の循環はすべて「太陽光をどれだけ濃縮・保存・取り出すか」のゲーム。湧水は、太陽光が水蒸気を上空に上げ、雨が降り、地中で何十年かけて濾過されて、ここで竹筒から落ちている。水は、光のもうひとつの姿

ペットボトルに2L、湧水を汲む。

愛宕社の献燈に名前のあった「七澤養鱒組合」も、ますやの賑わいも、僕のペットボトルも、いま、この同じ沢の水を分け合っている。信仰・労働・商業・遊び——同じ水源を、別々の容器で受けている

これが、午後の散策の核心だった。


七沢の湧水 de AFURI!

水場で広げたAFURI

湧水のすぐ脇に荷物を広げる。スノーピークのチタン鍋、AFURI柚子塩らーめんのカップ、水筒、グランドシート、行動食のパンとみかん。

今日の遊びは、ここから。

湧水でAFURI柚子塩らーめんを作る。

これまでの湧水ハンターは「汲む→持ち帰る→家で味わう」だった。今日は——現場で、湧水でラーメンを作って啜る

しかも組み合わせがAFURI。AFURIは大山阿夫利神社の阿夫利から名前を取ったラーメンブランド。七沢は丹沢大山国定公園の中(朝の三角看板で確認した)。つまり——大山の名を冠したラーメンを、大山の湧水で戻して食べる。地理的に閉じた循環。

「もう厚木市は関係ない」と「現地で湧水ラーメン啜る」は、同じ思想だ。自分の楽しみ方を、自分で発明する

スノーピークのチタン鍋でお湯を沸かし、カップに注ぐ。柚子の香り、湧水のまろやかさ、新緑の中で食べる4分間。


4年前の鐘ヶ嶽 de AFURI——起点回収

実はこれ、初めての儀式じゃない。

4年前の鐘ヶ嶽山頂標識(561M)と自撮り

4年前のあの日が、七沢に初めて関わった日だった。

田植えを手伝ったあと、鐘ヶ嶽に登った。山頂、561m。

4年前のAFURI

そして山頂で、AFURI柚子塩らーめん。同じ商品(当時は2022年限定パッケージ)、同じ道具——snow peakのチタン鍋、チタンマグ、drinkmate。

参道には苔むした石仏が並んでいた。杉林の中、何百年も経っているはずの像が、ただそこに立っていた。山頂からは厚木の市街地、その向こうの相模平野、さらに遠く横浜方面まで見渡せた。あの日、田植えを終えた身体で、この景色を見ながらAFURIを啜った。七沢との関わりは、ここから始まった

田植えからの鐘ヶ嶽de AFURI——4年前のあの儀式が、シリーズ全部の起点だった。今日のvol.5まで続く道は、あの山頂から始まっていた。

——4年前は、田植えから鐘ヶ嶽の山頂AFURI。
——今日は、畑作業から沢の湧水AFURI。

場所も標高も状況も違う。でも、儀式の構造は同じ。「自分の楽しみ方を、自分で発明する」——これは4年前からそうだった。

違うのは、間に4年と、シリーズ5本ぶんの経験と、棚田を打診される今があること。

円環が閉じる、というより——円環が一回り大きくなって、もう一周はじまる。


森の鏡②——鐘ヶ嶽バス停、難易度高杉晋作

帰り道、神奈中バス停「鐘ヶ嶽」へ移動。

鐘ヶ嶽バス停のカーブミラー自撮り

到着前、バス停の手前のカーブミラーで自撮り。vol.2の湧水ハンター回でも撮った同じ構図。シリーズの定番ポイント、ちゃんと健在。

そして到着、バス停。難易度高杉晋作な鐘ヶ嶽BS。本数の少なさ、斜め向きで撮りづらい角度、1本逃すと詰むやつ。シュロの葉と並んで鐘ヶ嶽の名前が読めて、ミラーには山並みと本厚木方面への帰路。

——ここで、今日のもう一つの構造に気づく。

午後の林道で、誰もいない杉林の中で鏡に映った自分を見た(昭和61年のミラー)。
夕方の帰り道、社会への入り口でまた鏡に映った自分を見ている(鐘ヶ嶽BSのミラー)。

自分を見る場所が、今日は二回あった。

森の鏡①は「誰も見ていない場所での自分」。鐘ヶ嶽BSの鏡②は「社会に戻る入り口での自分」。「もう厚木市は関係ない、もっと自由に」という宣言は、この二つの鏡の間で起きていた。

人に見せるためでも、評価されるためでもなく、ただ自分が自分を見ておく場所。それが、今日は森とバス停に一回ずつあった。

おつかれさまでした。


本日の報酬

本日の報酬:野菜と湧水

七沢のオッチャン畑スペシャル:

  • 長ネギ

  • 甘夏

  • 湘南レッド

  • 早生玉ねぎ

そして、七沢の湧水2L。

どんどん豪華になっている希ガス。オッチャンの生きがいなんでしょうね。

スーパーの規格品では絶対に再現できない品揃え。湘南レッドは神奈川の代表的赤玉ねぎ品種、市場流通量は少ない。葉付き早生玉ねぎは収穫直後でしか出回らない。長ネギの根に付いている黒い塊は、何年も耕されてきた七沢の土そのもの。

関係性のない人間にはアクセスできない野菜が、いま、台所に並んでいる。

そして湧水2Lは、愛宕社の献燈の七澤養鱒組合と、ますやの釣り堀と、同じ水源から分けてもらった水。台所のペットボトルの中身は、信仰・労働・商業の脇から、ただ僕の遊びのために少しだけ抜いてもらった分け前。


農業は手段であって、目的ではない

ところで、農業は何のための農業か。

野菜を育てるため——と答えるのは違う。野菜は結果であって、目的じゃない。

七沢の畑が本当に回しているのは、関係性、引き受け、土の履歴——つまり、ひとが生きる現場の質量。畑はその容器に過ぎない。だから、制度が外れても畑は止まらないし、棚田が個人に打診されるし、女子部に袋栽培が刺さるし、学生が植物生理を聞きに来る。

中心論考「炭水化物の世界 —— Our Universe」で書いた通り、農業は太陽光を濃縮する装置の一つ。装置を持つこと自体が目的ではなく、装置が回す循環の中で、ひとが何を引き受けるか、が問われている

愛宕社の人たちも、石切場の人たちも、養鱒組合の人たちも、それぞれの時代に、それぞれの仕方でこの場所を「引き受け」てきた。今日、自分はその痕跡をなぞって歩いた。歩いてみてはじめて、自分も誰かの引き受けの中にいる、ということが見える。

七沢、まさにそうだよね。

「自分の楽しみ方を、自分で発明する」——これがその答えのひとつ。鐘ヶ嶽の山頂AFURIも、沢の湧水AFURIも、女子部にペットボトル栽培を伝授するのも、学生に植物生理を渡すのも、棚田を引き受けるかどうかの保留も、全部、その文脈にある。


関係性、引き受け、土の履歴

これが実存経済です。

  • 関係性 — オッチャンがうりぼーに分ける。スーパーの匿名取引じゃなく、顔のある渡し方。七澤養鱒組合が愛宕社に献燈する。同じ柱に名前を残す方の渡し方。

  • 引き受け — オッチャンは畑を、うりぼーは袋栽培の知識を、学生は次の世代を、それぞれ「引き受ける」。所有じゃなく、預かって運ぶ動詞。500年前の人は愛宕社を、100年前の人は石切場を、それぞれの時代に引き受けた。

  • 土の履歴 — オッチャンが何十年も耕してきた土。長ネギの根の黒い塊は、その時間の物質的な証拠。AmazonにはないUPC。愛宕社の石燈籠も、林道の鏡も、その土の上に立っている。

これは金銭ベースの自由じゃない。関係性ベースの自由。「もう厚木市は関係ない」の自由の中身は、ここに着地する。制度から離れて、関係性に降りる。

来月はジャガイモの収穫まつり。

vol.3で植えた種芋、vol.4で芽が出て、今日土寄せ、来月収穫。シリーズの伏線が、ちゃんと回収される。

そして棚田の話、学生の話、植物生理の話、女子部のペットボトル栽培の話——これからの宿題は、まだ畑に積み重なっている。

厚木市は今年3月いっぱいで手を引いた。だが、活動は新しい形で、今も継続している。

4年前、田植えからの鐘ヶ嶽でAFURIを啜った日に、自分はまだ、4年後にこの記事を書いているとは知らなかった。今日、沢でAFURIを啜りながら、4年後に何を書いているかも、まだ知らない。

でも今日、500年ぶんの痕跡を歩いて、二つの鏡に自分を映した。それは、ちゃんと記録しておく。

七沢、新章のはじまり。

もっと自由に!

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