東南アジアのAI実装動向 / ワークフローの再構築 雑感
東南アジアはもはやAI技術の競争において他地域に追いつく段階を過ぎ、自ら軌道を再定義しつつある。QuantumBlack、シンガポール経済開発庁、およびTech in Asiaが共同で2026年2月に発表した報告書に鑑みても、東南アジアがAIの新たな世界的拠点となりつつある。技術の社会実装の過程で生じる組織的摩擦に関心を持つ筆者の立場から、同報告書を手がかりに、企業がAI投資から確実な事業価値を引き出すための条件について検討する。
Ⅰ インフラ投資の集積と実装の加速
1 試験導入段階からの脱却
東南アジアにおけるAIの事業適用は急速に進展している。報告書によれば、調査対象となった東南アジア地域の企業の46パーセントがすでにAIの試験導入段階を終え、組織全体での運用拡大へと移行している〔注1〕。同地域の数値は世界平均を上回る水準である。
2 東西の技術基盤が交差する市場
東南アジアでの技術実装を支えているのは、同地域に対する膨大なインフラ投資である。AWSやGoogleといった米国の事業者がAI対応のデータセンターやクラウド基盤に500億米ドル以上を投じる一方で、Alibaba Cloudをはじめとする中国企業も拠点の展開を急いでいる〔注2〕。Neidhart-Lau氏の指摘のとおり、東洋と西洋の技術基盤が並存する事業環境は、地域の企業に対してシステム選択の柔軟性と障害への耐性をもたらしていると解される。
Ⅱ 投資と収益を隔てる壁
1 投資とリターンの乖離
技術導入が加速する反面、企業が投じた資本に見合う財務的な見返りを得ている事例は限られている。調査対象の約6割の組織が自社の技術予算の11パーセントから40パーセントをAI関連に割り当てているにもかかわらず、AI導入による利払前税引前利益への貢献が5パーセント未満(貢献ゼロを含む)にとどまると評価する企業は7割弱に上る〔注3〕。技術への資金の投下と実際の収益力向上の間には、明確な価値の乖離が存在するといえる。
2 組織内部の障壁
投資とリターンの乖離を生む要因として、組織の技術部門の指導層は人材の不足とシステム統合の困難さを挙げている。回答者の20パーセントが社内の専門知識や人材の欠如を最大の障壁とし、16パーセントが既存の業務システムとの統合の複雑さを指摘している〔注4〕。どれほど高度な計算資源を導入しても、それを運用する人的基盤や古い業務環境との接続性に欠陥が残されていれば、意図した財務的成果を得ることは難しいと筆者は考える。
Ⅲ ワークフローの一からの再設計
1 高業績企業の手法
組織適応の課題を乗り越え、AIから確実な価値を引き出している一部の高業績企業は、技術の導入手法において明確な違いを見せている。成果を上げる企業は、古い業務プロセスを維持したままその上にAIツールを重ねて使うのではなく、AIの能力を前提としてワークフローそのものを一から再設計している。報告書のデータは、高い業績を上げる企業がワークフローを前提から組み立て直す割合が、その他の企業の約2倍に達することを示している〔注5〕。新しい技術を有効に機能させるためには、組織のあり方や業務手順を白紙から描き直す決断が求められる。
2 エージェントAIの実装に向けた課題
自律的にタスクを遂行するエージェントAIに対する企業の期待も高く、東南アジア企業の約9割が2026年中にその実験を計画しているとされる〔注6〕。もっとも、実際の利用は情報システムやソフトウェア開発といった技術的部門に集中しており、営業やリスク管理などの顧客対応部門での展開には慎重な姿勢が目立つ。自律的なシステムを本格的に運用するためには、独自の機械学習基盤の開発や継続的な運用保守能力が必要となり、技術実装の障壁となりうると推測される。
Ⅳ むすびにかえて
東南アジアの事例は、潤沢なインフラ投資と新技術の導入だけでは、直ちに企業価値の向上に結びつかないという事実を示している。技術の可能性を実際の事業規模で引き出すためには、表面的なツールの導入にとどまらず、既存プロセスの一からの見直しと人材の育成を両立させることが求められる。業務のあり方自体を白紙から描き直す組織的な決断こそが、価値の乖離を乗り越え、持続的な競争力を確立するための条件となりうる。
(参考)
〔注1〕 Vinayak HV and Vivek Lath「AI in Southeast Asia: An era of opportunity」QuantumBlack, AI by McKinsey(2026年)5頁 https://lnkd.in/g3vCa6HM, last visited February 23, 2026.
〔注2〕 前掲注1・4頁。
〔注3〕 前掲注1・39頁。
〔注4〕 前掲注1・40頁。
〔注5〕 前掲注1・48頁。
〔注6〕 前掲注1・35頁。
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
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