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AIと医療 / WHO欧州地域の医療AI準備状況報告書を読む――六つの柱と「法的不確実性」という最大の障壁雑感



0 はじめに

 WHO欧州地域事務局が2025年に公表した報告書「Artificial intelligence is reshaping health systems: state of readiness across the WHO European Region」(以下、WHO欧州AI報告書)を読んだ。これは2024年から2025年にかけて、欧州53か国のうち50か国から回答を得て、医療システムへのAI統合の「準備状況」を初めて体系的に測定したものである。

World Health Organization Regional Office for Europe, Artificial intelligence is reshaping health systems: state of readiness across the WHO European Region (WHO Regional Office for Europe, 2025).

https://iris.who.int/handle/10665/383485

※あくまで本記事は雑感であり、自らが読むにあたって訳も完璧でない可能性があるため、詳細を確認する際は原典を確認いただきたい。


 欧州はAI規則(AI Act)、欧州健康データ空間(EHDS)規則、さらには欧州評議会のAI枠組条約と、AIと医療をめぐるルールメイクが最も密集した「ジャングル」のような地域である。AIの法とガバナンスを眺めるうえで、このジャングルの中を実際に歩いている各国の足取りを、WHOがまとめて可視化したという点で、本報告書はなかなか貴重な資料である。

 今回は、報告書が提示する六つの柱(ナビゲーター、チェンジメーカー、ガードレール、バックボーン、カタリスト、ゲートキーパー)を手がかりに、特に法制度・ガバナンスの観点から気になった点をメモしておきたい。個別の民法、医事法学や保険法の細かな議論には踏み込まず、「欧州は今どこまで来ていて、どこで立ち止まっているのか」というレベル感での雑感である。


1 六つの柱で見る欧州の医療AI

 まず「ナビゲーター」と名付けられた柱は、各国のAI戦略の整備状況を示す。医療特化のAI国家戦略を既に公表している国は50か国中わずか4か国(8%)にとどまり、現在策定中の国を含めても22%である。他方で、66%の国が分野横断の国家AI戦略を既に有し、さらに16%が策定中である。

 つまり、多くの国はまずクロスセクターのAI戦略を先行させ、その中の一部として医療AIを位置づけているが、医療に特化した戦略まで落とし込んでいる国はまだ少数派という構図である。このバランスは、「縦割りの医療AI戦略でスピードを取るのか、横断戦略で一貫性を取るのか」という古典的なトレードオフを、かなり率直に映し出しているといえる。

 次の「チェンジメーカー」は、ステークホルダー参加と人材育成に焦点を当てる。72%の国が何らかの形でステークホルダーとの対話を行っているが、最も多く参加しているのは政府関係者(81%)、医療提供者(75%)、AI開発者(75%)であり、患者団体(42%)や一般市民(22%)は明らかに過小代表である。

 さらに、AIに関する院内・学内のトレーニングを実施している国は、在職者向けが24%、養成課程への組み込みが20%にとどまる。AIやデータサイエンスの専門職ポストを新設した国も42%であり、「現場の人のスキルとポスト」が追いついていないことが数字として浮かび上がる。

 「ガードレール」は、法制度・ガイドラインの整備状況を測る柱である。既存法制とのギャップ分析を行った国は46%、AIシステムの評価・承認を担う規制機関を設けている国は54%であるが、医療AIに特化した責任ルールやガイダンスを整備した国はわずか4か国(8%)であり、生成AIに関する法的要件を医療分野に導入した国は3か国(6%)にすぎない。

 「バックボーン」はデータガバナンスの柱であり、66%の国が専用の国家健康データ戦略を策定し、76%の国が健康データのガバナンス枠組みを有する。66%の国では、地域または国家レベルのヘルスデータハブが設置されており、その多くが欧州健康データ空間(EHDS)エコシステムへの参加を念頭に置いているとされる。

 ただし、健康データの二次利用に関するガイダンスを公表している国は30%、研究目的の越境データ共有のルールを持つ国も30%、民間企業とのデータ共有ルールを整備している国は40%にとどまる。また、82%の国ではデータの匿名化が二次利用の主要要件となっているが、その運用をめぐる詳細な指針は十分とはいえない。

 「カタリスト」は、AI活用の優先分野と実際の利用状況を示す。AIに期待する主な目的として、「患者ケア・健康アウトカムの改善」を挙げる国は98%、「医療従事者の負担軽減」が92%、「効率性の向上」が90%と続く。他方、こうした優先分野に対して実際に専用予算を確保している国は、その半数程度にとどまる。

 具体的な利用形態としては、約3分の2の国が画像診断などAI支援診断を導入し、半数の国が患者向けチャットボットを利用している。遠隔モニタリングなど、患者の継続的な観察を支えるAIの導入は相対的に低い。

 最後の「ゲートキーパー」は、AI普及を阻む障壁と、それを打開する政策手段を扱う。最大の障壁として挙げられたのは「法的不確実性」であり、50か国中24か国(48%)が「主要な障壁」と回答し、さらに19か国(38%)が「中程度の重要性」と評価している。次に重要な障壁として「費用負担(financial affordability)」が挙げられ、46%が主要な障壁、32%が中程度の障壁と回答している。

 興味深いのは、対策として最も大きな正の影響を持つと評価された政策が、「AIの透明性・検証可能性・説明可能性に関するガイダンス」(90%)と、「製造者・導入者・利用者に対する明確な責任ルール」(92%)であった点である。各国は、技術そのものよりも、責任と説明の枠組みへのニーズを強く意識しているように見える。


2 「法的不確実性」が最大の障壁であるという事実

 AIに関する議論では「規制が追いついていない」という台詞が常套句になりがち(自分自身もよくこの言葉を使ってしまう、、、)だが、WHO欧州AI報告書は、各国が実際にどの程度そのことを問題としているのかを数字で可視化してしまった。少なくとも欧州地域に限れば、医療分野におけるAI普及の最大のボトルネックとして、法的不確実性がはっきりと浮かび上がっている。

 この「法的不確実性」の中身は、少なくとも三層に分けて考える必要がある。第一に、EUレベルでの横断的なAI規制(AI Act)と医療機器規則等との関係である。AI Actは、AIシステムをリスクに応じて四段階に分類し、高リスクAIに対してはデータガナンス、透明性、ヒューマン・オーバーサイトなどの義務を課す。その中にはAI搭載医療機器や、健康目的で用いられる一部のAIシステムも含まれる。

 第二に、各国の医療法制・個人データ保護法制と、AI ActやEHDS規則との重なり・ズレの問題である。EHDS規則は、EU域内での健康データの一次利用・二次利用を包括的に規律し、研究・イノベーションのためのデータアクセス手続を詳細に定める。しかし各国の医療情報の守秘義務や、データ主体の同意要件との調整は依然として途中段階であり、どこまでが「研究のための正当な二次利用」で、どこからが逸脱なのかという判断が難しい。

 第三に、AIによる診療結果について、医師・病院・ベンダーの誰がどの範囲まで責任を負うのかという賠償責任の設計である。報告書によれば、医療AIに特化した責任ルールやガイダンスを整備している国は、50か国中4か国にすぎない。他方で、各国の回答者の92%が「明確な責任ルール」がAI普及の重要なエネイブラーになると評価している。すなわち、ルールはまだないが、必要であることだけは関係者全員が強く認識しているという、なかなか味わい深いギャップが存在する。

 この状況を日本に引きつけてみると、現時点では欧州ほど複雑な「多層レイヤー」は存在しないものの、AIを組み込んだ診療支援ツールの責任分担や、生成AIを用いた説明・記録作成の位置づけについて、同様の不確実性がじわじわと立ち上がりつつあるように見える。欧州の数字は、将来日本でも同種の議論を避けて通れないことを、少し早めに教えてくれるシグナルと読める。


3 データガバナンスとEHDS――「バックボーン」のゆくえ

 報告書の中で、データガバナンスに関する章はかなり分量を割かれている。高品質の多様な健康データの再利用が、アルゴリズムの妥当性検証と公平なAIの前提条件であるという認識は、加盟国間でほぼ共有されている。

 国家レベルのヘルスデータハブの整備状況を見ると、66%の国が既にハブを設置しており、その多くはEHDSのエコシステムに参加できるよう設計されている。EHDS規則自体も、域内での電子カルテの相互運用と、研究目的の二次利用を両輪とする枠組みとして位置づけられている。

 他方で、健康データの二次利用に関するルールは、依然として「匿名化一本足打法」に傾いている印象がある。82%の国で匿名化が二次利用の主要要件となっている一方、具体的な二次利用ガイダンスを持つ国は30%しかなく、越境データ共有や民間企業とのデータ共有に関するルールも限定的である。匿名化に過度に依存すると、少数者集団のデータが失われ、バイアス補正やフェアネス評価がかえって難しくなる可能性がある。

 データ保護法(GDPR)とEHDS、さらには各国医療法制が絡み合う欧州の状況は、ある意味で「個人データ保護を出発点にAI規制を積み上げたときにどのような風景が見えるか」を示す実験場になっている。日本のマイナンバー制度やNDB等の基盤整備を議論する際にも、「匿名化に頼るだけではなく、アクセス権限や利用目的を精緻に設計する」という方向性を、欧州の経験から引き出すことができるように思われる。


4 医療AIの使われ方――診断とチャットボットの時代

 現時点で最も広く普及している医療AIアプリケーションは、やはり画像診断等を中心とするAI支援診断である。WHO欧州AI報告書によれば、ほぼ3分の2の国がAI支援診断を利用しており、患者向けの会話型チャットボットを導入している国も半数に達している。他方で、AIを用いた遠隔患者モニタリングの導入率は32%と相対的に低く、医療AIの活用は、依然として医療機関内の診断・コミュニケーションに集中している。

 報告書は、AI支援診断が医師の負担軽減に寄与し、チャットボットが患者のエンゲージメントと自律性を高めうることを評価しつつも、自動化バイアスや臨床スキルの形骸化、医師と患者の対面関係の希薄化、周縁化された集団への不均衡な影響といったリスクも同時に指摘している。このあたりは、生成AIによる医療相談サービスや、診療録の自動要約といった新しいユースケースにもそのまま跳ね返ってくる論点である。

 個人的には、遠隔モニタリング系のAIがまだ限定的であることに、やや意外さを覚えた。高齢化や慢性疾患の増加を考えれば、医療システム全体にとってのインパクトは、画像診断AIよりも遠隔モニタリングの方が大きくなりうる。にもかかわらず導入が進みにくい背景には、インフラ整備や保険償還の問題に加え、責任の所在やプライマリケアとの役割分担に対する不透明感があるのではないかと推測される。ここでもやはり、「法的不確実性」と「経済的負担」が影を落としているように見える。


5 包摂性のギャップ――誰の声が医療AIに反映されているのか

 「チェンジメーカー」の章が投げかける問いはシンプルである。AIを医療現場に持ち込む議論のテーブルに、誰が招かれているのか。報告書の数字を素直に読むと、政府・医療提供者・AI開発者の三者が圧倒的に多く、患者団体や一般市民は周辺的な参加者にとどまっている。

 この構図は、AIガバナンス一般で見られる「技術者と規制当局と一部の専門家だけで議論が回ってしまう」傾向とよく似ている。医療AIの場合、倫理審査委員会や患者会との対話の蓄積が他分野よりも豊富であるはずだが、AIになると途端に「難しい技術の話だから」としてテーブルの外に置かれてしまう。WHO欧州AI報告書も、こうした包摂性のギャップが、AIツールが現実のニーズからずれてしまったり、不平等を強化してしまったりするリスクを指摘している。

 日本でも、診療ガイドライン策定プロセスへの患者参加や、公的医療保険制度の改革に対するパブリックコメントなど、患者・市民が政策形成に関与する回路は徐々に増えてきている。しかし、AIの設計・導入の場面で、どこまで患者や市民が意味のある形で関与しているかと問われると、まだ心許ないと言われることが多そうではある。WHO欧州AI報告書の数字は、単に欧州の話として読むよりも、「このまま行くと日本も同じグラフになりかねない」という鏡像として眺める方が実りが多いように思われる。


6 日本への含意と今後の論点

 WHO欧州AI報告書から見えてくるのは、「法制度・データ基盤・人材・資金・包摂性」が揃わないと、医療AIはなかなか本格的には回り始めないという、ある意味当たり前だが数字で示されると重みのある現実である。AI ActやEHDS、AI枠組条約といった欧州レベルの制度が進んでいても、各国のレベルで見ると、医療特化の戦略や責任ルール、人材育成や包摂的なガバナンスはまだ道半ばである。

 日本にとっての含意を大雑把にまとめると、少なくとも次の三点になる。第一に、AIに関する横断的な規律(例えば、生成AIサービス全般に対する規律)を検討する際にも、医療という高リスク領域に特有の責任構造やデータ利用の在り方を同時に設計しなければ、現場の「法的不確実性」は解消しない。第二に、データ基盤を整備する際には、匿名化だけに頼らず、アクセス権限・目的外利用の禁止・監査メカニズムなどを組み合わせることが重要である。第三に、AIをめぐる議論のテーブルに誰を招くのかという包摂性の設計が、法制度そのものと同じくらい重要になる。

 AIガバナンスは、学者だけで完結する話ではないと考える。とはいえ、WHO欧州AI報告書のように、各国の「準備状況」を冷静に数値化した資料を眺めていると、法制度の設計が持つ減速装置としての側面と、加速装置としての側面の両方を、もう少し丁寧に描き分ける必要があると感じる。法的不確実性を放置すればAIは進まないが、過度に硬直したルールで囲えば、やはりAIは進まない。その間のちょうどよい減速と加速の組み合わせを探る作業こそ、研究者・実務家達に課せられた、地味だがやりがいのある仕事なのだろう。


7 おわりに

 WHO欧州AI報告書は、医療AIに関する最新技術動向を紹介する華やかなリポートではない。どちらかというと、各国の準備不足やギャップを淡々と列挙する、かなり地道な読み物である。しかし、だからこそAIと法を考えるうえでは重宝するべきだと考える。華々しい成功事例よりも、戦略の不在、人材の不足、責任ルールの欠如、データガバナンスの曖昧さといった「足りない部分」が、むしろ法制度設計の出発点になるからである。

 欧州の状況は、日本にとって決して他人事ではない。むしろ、「先に走っている地域がどこでつまずいているのか」を観察できるという意味で、ありがたい先行事例である。WHO欧州AI報告書を読みながら、AIガバナンスの議論を日本で進める際にも、六つの柱――ナビゲーター、チェンジメーカー、ガードレール、バックボーン、カタリスト、ゲートキーパー――のどこが弱いのかを、同じように問い直してみる必要があるだろう。

◾️参考文献

World Health Organization Regional Office for Europe, Artificial intelligence is reshaping health systems: state of readiness across the WHO European Region (WHO Regional Office for Europe, 2025).
Regulation (EU) 2024/1689 of the European Parliament and of the Council of 13 June 2024 laying down harmonised rules on artificial intelligence and amending Regulations (EC) No 300/2008, (EU) No 167/2013, (EU) No 168/2013, (EU) 2018/858, (EU) 2018/1139 and (EU) 2019/2144 and Directives 2014/90/EU, (EU) 2016/797 and (EU) 2016/798 (Artificial Intelligence Act) OJ L, 12 July 2024.
Regulation (EU) 2025/327 of the European Parliament and of the Council of 13 March 2025 on the European Health Data Space and amending Regulations (EU) 2016/679, (EU) 2018/1725 and (EU) 2021/241 and Regulations (EC) No 851/2004, (EC) No 1920/2006, (EU) No 282/2014 and (EU) No 536/2014 (European Health Data Space Regulation) OJ L, 19 March 2025.
Council of Europe, Framework Convention on Artificial Intelligence and Human Rights, Democracy and the Rule of Law, CETS No. 225, opened for signature 5 September 2024.
European Commission, “Artificial Intelligence Act: the world’s first comprehensive AI law”, European Commission website, 2024.
European Commission, “European Health Data Space (EHDS)”, European Commission website.

8 思考の材料


(マガジン)「AIと法-雑感」

 ※目次は以下を参照

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