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NHKドラマ『手塚治虫の戦争』「不自由な現実」と「自由な漫画」の間で、僕らはどう生きるか

NHKドラマ『手塚治虫の戦争』

昨夜、一人で静かに鑑賞しました。
「漫画の神様」と呼ばれ、日本のカルチャーを大きく変えた手塚治虫先生。彼が青春時代に体験した戦争の記憶と、その中で生まれた『紙の砦』という名作の裏側を描いたドラマです。

「同調圧力とは?」、そして「自由と不自由」について、鑑賞して考えたことを書いてみます。

1.やなせたかしと手塚治虫——二人が見た「同調圧力」の正体

昨年、アンパンマンの生みの親であるやなせたかし先生の生涯を描いたドラマ(朝ドラ『あんぱん』など)を通して、「やなせたかしの正義」について深く考えました。

そして今回、手塚治虫先生の戦争体験を見て、私はこの日本を代表する二人の巨匠に大きな共通点があることに気づきました。戦時中、漫画や絵を描くことは「不謹慎」「非国民」と叩かれかねない行為でした。現代の私たちがその時代を振り返ると、よく「強い同調圧力があったからだ」と一言で片付けてしまいがちです。
ですが、当時の視点に立ってみると、それは単なる「悪質な圧力」だけではなかったのでは?と思います。

周囲と違う行動をとる「異分子」になれば、命の危険すらある。だから「みんなと同じように振る舞う」「周りに紛れる」というのは、人間として自分や家族の身を守るためのごく自然で切実な防衛本能だったはずです。

現代の私たちも同じですよね。 SNSや職場、学校で「他人の目」を気にし、周囲と自分を比べて安心したり不安になったりしながら、自分の存在意義を探しています。周りに馴染むことは、自分を守る術なのです。
その普遍的な「人間の防衛本能」と、「国家の暴走(戦争)」という巨大な波が重なってしまった時、人はどうやって自分の生き方を保てばいいのか。

やなせ先生も手塚先生も、息が詰まるような空気の中で「己の在り方」を血を吐くような思いで模索していたのだと感じます。

2. 『不自由』な人間社会を繋ぐ、『自由』な紙の砦

ドラマの中で、プロの漫画家としての仕事について、非常に印象的なセリフがありました。

「描きたいものを描いて、その上で世間に受けるものにする」

一見すると、ビジネスとしてのプロ意識を語っているように思えますが、私はこの言葉の奥にもっと重要な意味が含まれていると感じました。手塚先生にとっての「描きたいもの」とは、単なるアイデアではなく、「自分の在り方・生き方を模索する原点」そのものだったのではないでしょうか。

少年時代の手塚治虫少年は、決して万能なヒーローではありませんでした。 ですが、彼が描いた1枚の漫画が、1人の友人に承認された。そこから、それまで敵対していた周りの人たちが、どんどん自分の理解者になっていったという原体験を持っています。漫画のキャンバスの上では、人間はどこまでも『自由』です。 軍隊の上官も、厳しい大人も、誰も手塚少年のペンを指図することはできません。

つまり手塚先生にとって漫画とは、「『自由』な世界(漫画)をつくることで、息苦しく『不自由』な人間社会と自分や他者をつないでいく架け橋」だったのです。


3. 圧倒的な地獄絵図——『紙の砦』が突きつける「戦争の狂気」

しかし、ドラマのクライマックス。 その『自由』な領域すらも一瞬で引き裂き、人間の葛藤や夢、すべての感情を文字通り「紙屑」のように吹き飛ばしたのが、大阪大空襲でした。
画面に映し出されたのは、まさに圧倒的な地獄絵図
火の海と化した街、逃げ惑う人々、そして墜落したアメリカ兵に対して激しい暴行を加える群衆の姿。

「身内を殺された復讐」が新たな「暴行」を生み、狂気が狂気を呼ぶ。 戦争という極限状態において、人間がどれほど簡単に正気を失ってしまうかが、容赦なく描かれていました。
その中で、復讐の暴力に加わらなかった治虫。終戦を迎え、焦土と化した街で、治虫は「漫画家になる」という夢に向かって希望を胸に走り出します。
しかし、その傍らには、戦争によって夢を諦めざるを得なかった少女・京子ちゃんの姿がありました。

夢に向かって走れる治虫と、夢を奪われ立ち尽くす京子ちゃん。

京子ちゃんは、暴力に加わらず、ただ漫画を描き続けた治虫を見て、どう思ったのでしょうか。
そこには、救いようのない現実の厳しさと切なさが漂っていました。

「漫画(物語)の世界では、人はどこまでも自由に夢を描ける。」

「けれど、僕たちが生きる現実(リアル)は、どこまでも不自由で、容赦がない。」

ドラマは、このあまりにも対極的なメッセージを、私たち現代人に突きつけているように感じました。

結び:表現できる「自由」がある現代で、僕らはどう生きるか

終戦から81年

現代を生きる私たちは、戦時中のような空爆の恐怖に怯えることもなく、ペンをとって自分の意見や物語を自由に発信できる時代にいます。ですが、SNSの言葉の暴力や、誰かを排除しようとする過剰な空気、復讐が復讐を呼ぶ世界情勢を見ると、私たちが生きる現実もまた、形を変えた「不自由さ」を抱えているのかもしれません。

手塚治虫先生が命懸けで描き抜いた「紙の砦」——それは、どんなに現実が厳しく、不自由であっても、「心の中の自由と情熱だけは誰にも奪わせない」という強い抵抗の証だったのではないでしょうか。

子どもたちに勉強や歴史を教える立場の教員として、私はこの「表現できる自由のありがたさ」と「戦争がもたらす現実の恐ろしさ」を、これからも次の世代へしっかりと語り継いでいきたいと思います。

夏の夜に、自分の生き方と平和の尊さを深く深く感じたドラマでした。

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