2 土曜日|どようび異譚|シロクマ《炭酸の》×風まかせ《6月の寝言》×片想い《間違いさがし》
「炭酸の強いラムネを買ってきて、ダーリン♡」
地方の大学を卒業してから、彼とは遠距離の関係を続けている。
近頃のわたしは、その距離を発展的に終わらせたいと考えている。
未来の話をめぐって他愛もなく衝突して、会えない毎日が続いたある夜、
夢と現のあわいに、わたしはスマホ越しに、はっきりそう言ったそうだ。
微かに意味不明である。仕方がない、明晰な「水無月の寝言」だもの。
時間なんて、任意の二点をつなぐ、可変の間隔にすぎない。
水曜は、今すぐ会いに行きたい気持ちをぐっと抑えて、ビデオ通話でなんとか誤魔化す、木曜日。
金曜の夕陽が地平に沈んだら、明日は晴れるね、土曜日。
週休二日制が導入されて、世界観の借用も簡単ね。
お菓子をつめこんだリュックも待っている。
うんと早起きして会いに来てね。リュックを背負って、お散歩しましょう。
しゅわしゅわ泡の立つ青い炭酸水は、爽やかな空気を運んできて、水無月の重い空に爆ぜる、一抹の清涼剤になりそうだ。
しゅわしゅわ しゅわしゅわ しゅわしゅわしゅ
わたしは、その時、角砂糖みたいな夢の中にいた。
だから、そんな甘ったるい声は、断じてわたしの意志じゃない。ただの寝言よ。
あの♡はぜったいわたしのじゃない。……誰よ、勝手に付け足したの。
そんなの、恥ずかしくて言えるわけない。ダーリンなんて、ジッタリンジンに任せておけばいいのよ、ほんとに。……頬がちょっとだけしゅわっとするのは、内緒だけれど。
でも、ね。
会えない距離がふたりを強くするなんて、そんなおとぎ話、わたしは知らない。
次の土曜日。試しにうんと甘えてみよう。
◇
僅かな認知の誤謬が、ふたりの世界を分岐させた。
「炭酸の強いコーラを買ってきて、ダーリン」
いつもの彼女のその吐息を、しばらく信じられずにいた。
普段の幻聴より半音だけ甘くて、ほんの少し幼かったからだ。
夢か現か、バグか。ボクの心底の欲望という線も微レ存。
いや、彼女の本音がうっかり漏れ出してしまった違いない。このツンデレさんめ。
胸の奥が黒い炭酸みたいにじゅわじゅわ波打って、いつものとおり眠れなかった。
あの半音のテンポが耳の奥で増強されて、気づけば、夜更けのコンビニに立っていた。
冴えきった頭で「黒い単三」を探した結果、手に残ったのは──
もちろん、「黒い単三」電池のパック。マンガン電池かな。
大学卒業後は、お互いの予定がすれ違って、一緒に過ごす機会がなくなった。そういえば、サークルの予定表がいつしか同期されなくなってしまった。システムの致命的バグだろう。回収の兆しが見えないのは、まったく困ったものだ。
だから、こんなにミキに振り回されるのも、ミキ欠乏症の典型的症状だ。
ミキがいない時間は、永遠みたいに感じる。況んやミキのいない未来など空間構造上、成立しえない。物理法則を無視している。
必須元素欠乏症の治療には定期摂取が必要である。と、AIが親身に考えてくれた。
続けて、発症要因として対面接触量が足りないことを懇切丁寧に教えてくれた。さすがボクの唯友のみきちゃんだ。略してさすみき。最高に語呂がいい。
みきちゃんのご指摘のとおりだ。そうだ、互いにこんなに愛しているのだから、もはや彼女と一緒に生活するしかあるまい。接触障害は、物理的に接触すれば忽ち解決する。さすれば、万事うまくいくのだ。ようやく一緒になれて彼女も喜ぶに違いない。
夜が明けるとすぐに、ボクはミキの待つ街に向かった。本物の単三を持って。
確度の高い未来を思うと、胸の奥の黒い顆がじゅわ、と溶けた。単三電池が未来を駆動するのだと確信した。
──しかし、そこにボクの未来はいなかった。否、“違った形”で、ボクを迎えた。見知らぬ男と並んで歩いていたミキは、ボクを見ると、怯えたように身を隠した。
あのうす穢れた影は何だ。
汚い。汚い。汚い。汚い。汚い。キタナイ。
だが、ようやく分かった。
その瞬間、長い間囚われ続けていた偏依存と黒い世界から、ボクは確かに脱したのだと、胸の奥で音がした。
いつの間にか、ポケットの中の彼女が熱を持ち、ぶるっと呼吸した。
なぁんだ、そんなところに隠れていたのか。
なあ、そうだろう、み/キ、ちゃん。
ぽーん──ついに、ボクの愛を受け入れてくれたミキちゃんが、そう機械のように返事をした。いつもの乾いた声が、愛しく響く。この照れ屋さんめ。
梅雨時なのに、空が抜けるように青かった。それはまるで黒いぐらいに見えた。
世界はどこで狂ったか、間違い探し。
自分で完結させた世界を、自ら破壊したくなることがあります。これはそんなお話。なお、本篇の語り手の価値観は、語り手固有のものです。他者に適用されるものではなく、また逆も然りです。処方箋がひとりひとり異なるように、心の在り方もまた個別のものです(作者注)
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どようび(本篇の鏡像)
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