<ショートショート> 電話がない地球
「次は、『電話がない地球』です」
AIの声が響く。
目を開けると、私は駅前の広場に立っていた。
人々が行き交っている。
店が並び、車が走り、案内表示が光っている。
見たところ、私たちの地球と大きな違いはない。
私はスマートフォンを取り出した。
画面には、いくつもの通知が残っていた。
仕事の連絡。
広告。
ニュース。
そして、その下に、 《母 3日前》 と表示されていた。
私はそれを開かず、画面を閉じた。
現在地を調べようとしたが、通信がつながらない。
近くにいた男性へ声をかけた。
「すみません」
男性が振り向いた。
「この辺りに、公衆電話はありますか」
男性は不思議そうに首をかしげた。
「公衆……何ですか?」
「電話です。遠くにいる人と話すためのものです」
「遠くにいる人と、話す?」
男性は、私が何を言っているのか分からないようだった。
「声を送るんです」
「声を?」
「はい。離れた場所にいる人へ」
男性は、ますます不思議そうな顔をした。
「声は、ここにいる人へ話すものでしょう」
そう言って、男性は自分の口元を指した。
私は周囲を見回した。
確かに、誰も電話をしていない。
耳へ端末を当てている人もいない。
イヤホンで話している人もいない。
駅の案内板には文字が流れている。
店内のテレビにも映像は映っているが、音声はない。
字幕だけが表示されていた。
動画広告にも、人の声は使われていない。
この地球では、遠くにいる人へ声を送るという発想がないらしい。
私は現地AIを起動した。
「この地球には、電話がないんですか」 AIが答えた。
「ありません」
「遠くの人とは、どうやって連絡するんですか」
「手紙を送ります」
「急ぎのときは?」
「急使を派遣します」
「家族が倒れたら?」
「近くにいる人が、医師を呼びに行きます」
「火事が起きたら?」
「近隣の警報装置を作動させ、人が消防署へ知らせます」
私は耳を疑った。
「声を遠くへ送ろうとは思わなかったんですか」
「声は、話している人の身体から離れないものと考えられていました」
「でも、音が振動だということは知っていますよね」
「はい」
「それなら、振動を伝えればいい」
AIは少し間を置いた。
「声を身体から切り離すことは、長い間、不作法とされてきました」
「不作法?」
「声には、話す人の表情、姿勢、息づかいが伴います。それらを切り離し、声だけを他人へ届けることは、相手への礼を欠く行為だと考えられていました」
技術がなかったのではない。
声を遠くへ運ぶという行為そのものが、この社会では避けられてきたのだ。
私は街を歩いた。
郵便局には、長い列ができていた。
人々は手紙を書き、封筒へ入れ、宛先を記している。
速達用の配達員が、専用車両で走り出していく。
店では、短い連絡文を代筆するサービスも行われていた。
学校帰りらしい少女が、入口の近くで手紙を書いている。
私は隣の机へ座った。
少女は、何度も文章を書き直していた。
「誰に書いているんですか」 私が尋ねると、少女は顔を上げた。
「おばあちゃんです」
「遠くに住んでいるんですか」
「はい。山を三つ越えた町にいます」
「会いに行くのは大変ですね」
「片道二日かかります」
少女は手紙へ目を戻した。
「この間、病気になったそうです」
「それなら、早く声を聞きたいでしょう」
少女は首をかしげた。
「声を聞く?」
「離れた場所から話せたら、安心できると思いませんか」
「そんなことができるんですか」
私は少女に、糸電話の話をした。
二つの紙コップ。 その底をつなぐ一本の糸。 少女は目を輝かせた。
近くの店で紙の容器と糸を手に入れた。
容器の底へ穴を開け、糸を通す。 二人で少し離れた。
「糸をぴんと張ってください」
私は紙コップへ口を近づけた。
「聞こえますか」
少女が反対側の紙コップを耳へ当てる。
少女の表情が変わった。
「聞こえます」 声は小さい。 少し震えている。
それでも、確かに届いた。
少女は自分の紙コップへ口を近づけた。
「こんにちは」
今度は、私の手元から少女の声が聞こえた。
少女は何度も試した。
離れる。
近づく。
糸を緩める。
強く張る。 やがて、周囲に人が集まってきた。
「今の声は、どこから?」
「この子の声です」
「容器の中に入っているのか?」
一人の技術者らしい男性が、糸を触った。
「振動を伝えているのか」
男性は、すぐに仕組みを理解した。
だが、その顔には驚きよりも戸惑いが浮かんでいた。
「声を、身体から離したのか」
周囲が静かになった。
少女は紙コップを握ったまま言った。
「でも、聞こえました」
「聞こえることが、正しいとは限らない」
年配の女性が言った。
「声は、会って伝えるものです」
「会えないときは?」
少女が尋ねた。 誰も答えなかった。
技術者は、糸電話を研究所へ持ち帰った。
声を電気信号へ変える実験が始まった。
反対も多かった。
声だけでは、相手の表情が分からない。
本当に本人の声か確認できない。
怒っているのか、悲しんでいるのかも伝わりにくい。
声を保存したり、盗んだりする者が現れるかもしれない。 それでも、電話は作られた。
最初に設置されたのは、病院と消防署だった。
事故が起きれば、すぐに助けを呼べる。 離れた家族へ、急いで知らせることもできる。
電話は少しずつ広がっていった。
人々は最初、緊張しながら受話器を持った。
声だけで話すことに慣れていなかった。 何を言えばいいのか分からず、沈黙する者もいた。
相手の顔が見えないため、何度も確認する者もいた。
「今、笑っていますか」
「怒っていませんか」
「本当に、そこにいるんですか」
声だけの会話は、不完全だった。
それでも、届いた。
会いに行けないときにも。
間に合わないかもしれないときにも。
どうしても声を聞きたいときにも。
しばらくして、私は最初の少女と再会した。
少女は研究所の前で待っていた。
「おばあちゃんと話せました」
「電話で?」
少女はうなずいた。
「最初は、何を話せばいいか分かりませんでした」
「それで?」
「おばあちゃんも、ずっと黙っていました」
少女は少し笑った。
「でも、咳をする音が聞こえました」
「声ではなく?」
「はい」
少女は紙袋から、一通の手紙を取り出した。
「そのあと、これを書きました」
手紙には、こう書かれていた。
《電話は、急いでいるときに使います》
その下に、もう一行あった。
《でも、大切な人には、会いに行ってください》
私は手紙を読み返した。
「電話ができたのに、手紙も書くんですね」
少女は不思議そうに私を見た。
「電話は、残らないでしょう」
「録音すれば残せます」
「声は残っても、そのとき考えていたことは、全部は残りません」 少
女は手紙を指でなぞった。
「手紙なら、何度も考えてから書けます」
「電話は?」
「今すぐ伝えたいことです」
「会いに行くのは?」
少女は少し考えた。
「声だけでは足りないことです」
元の地球へ戻る時間が来た。
AIの声が響いた。
目を開けると、私は元の駅前に立っていた。
人々はスマートフォンを見ながら歩いている。
電話をしている人もいる。
短いメッセージを送っている人もいる。
私はスマートフォンを取り出した。
画面には、まだ通知が残っていた。
《母 3日前》
私はメッセージを開いた。
《元気にしていますか》
返信欄へ文字を打った。
《元気だよ。また今度、連絡する》
しばらく見つめてから、消した。
電話をかけようとした。
母の名前を押す直前で、指を止めた。
スマートフォンをポケットへ入れた。
そして、母の家へ向かった。
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