書けない私は、妄想スタジアムに立つ
今の自分は文章を書くのが上手くなりたくて文章ゼミを受けたのに、実は「何を書きたいのか?」「何をしたいのか?」が、はっきりしていない。
それはもし、自分がスポーツ万能で、とりわけ陸上競技が得意だとしたら、「どの種目で活躍したいか?」と妄想してしまうことと、よく似ている気がする。
自分は、テレビでオリンピックを観ると「100mとマラソンだったら、どっちの選手になりたいか?」
なんて無駄なことを、つい考えてしまう性格だ。
100mは一番の花形種目だが、スタートで失敗する危険があるし、選手生命も短い。
なら、同じく花形のマラソンの方が良いかな、と思ったりする。
いや待てよ、毎日の長距離練習は大変そうだな……とか勝手な想像をして、「1500mなら丁度良いのでは」などと考えたりする。
かと思えば、走り幅跳びや棒高跳び、やり投げなんかを観て「これも面白そうだな」と目移りしたり。昔からそうだった。
しかし、現実の自分の運動神経は子供の頃からクラスで平均ぐらい。
部活もサッカーを少しやっていたぐらいのごくごく「普通」だったので、単なる妄想だ。
実際の選手の活躍をテレビで観ては「凄いな」と思っているだけだった。
話を文章の方に戻すと、自分は子供の頃から書くのがとても苦手で、社会に出ても結構苦労を重ねた人生を送ってきた。
けれど不思議なことに、文章が得意な人に対して「凄いな」と憧れることはあまり無かった。
なぜなら、自分があまりに下手なので、普通以上の人も、得意な人も、皆同じ「別世界の人」に見えていたのかもしれない。
書ける人は、新聞記者や作家になりたければ、きっとなれるのだろうな。
職業にしなくても、普通の仕事や生活で苦労はしないのだろうな。
そう思う一方で、自分みたいに書けない人は努力しても上達は難しいだろうな、と諦めていた。
そう、どのように上達したら良いのかさえ、さっぱり分からなかったから。
そもそも、学校の国語の授業で文章の書き方は教えてくれたのだろうか?
あったとしても記憶が無い。
しかし、日記や読書感想文の宿題が出ると、明らかに文章が上手くて得意な人と、下手で苦手な人がいたような気がする。
そんな大人の自分が、ひょんな事から3年程前にあるライティングゼミを知った。
興味はもったが、自分には無理だろうと思い受けなかった。
しかし、どうしても気になって仕方なかったので1年近く経ってようやく申し込み、受けてみると……以前に比べるとだいぶ書けるようになりだした。
その後もいくつかのゼミを受け、書くことの楽しみが分かってきたが、本当に何を書きたいのかは、まだはっきり分からないでいる。
エッセイ? WEBライター? 小説家? どれも興味はあるが、優柔不断で欲張りな性格がもろに出てきてしまっている。
そこで考えた。陸上の十種競技選手みたいに、一つの種目に決めないのと同じく、「色々な文章を書ける人になろう!」と。
きっと自分には合っていると勝手に思い込んで決めてみた。
その理由は、十分な大人になった自分は運動能力を劇的に上げるのは現実的では無いが、文章力を上げられる可能性はかなり高いと思えるから。
なぜなら、文章を書くのが苦手で大嫌いだったのに、自ら望んでゼミを受けているのだから。努力をするのは間違いないだろうと思う。
きっと文章力が劇的に上った先には、書きたい事、やりたい事が沢山でてくるだろう。
エッセイ、短編小説、長編小説、これらは陸上競技の距離の違いに似ていて、ミステリー小説はハードル競技みたいに思える。
ドラマや映画の脚本は走り幅跳び、漫才やコントのネタは走り高跳びや棒高跳び。 音楽の作詞は?
う~ん…… これは何に例えると良いだろう?
砲丸投げや、やり投げ、円盤投げなどの投擲(とうてき)競技に当てはめて考えてみると、文章では演歌、ポップス、ロック?
みたいに思うと面白いかも知れない。
投てき競技で投げる物が違うように、歌で投げかける言葉が違う。
自分の文章力が上がったら、色々なジャンルを試してみたい。
それらでプロになるとかは関係無しに、文章を書くことを楽しめて生きがいになる事。
そして、それを読んでくれた人達の心が少しでも動いて、世の中が良くなっていって欲しい!
これが、自分が文章を書きたい理由だ。
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