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<ショートショート> 鏡がない地球

「次の地球へ、ご案内します」

AIの声が響く。

目を開けると、私は駅の構内に立っていた。

人の流れは、元の地球とそれほど変わらない。

改札。

案内表示。

売店。

急ぎ足で歩く人々。

だが、何かがおかしい。

壁には広告が並んでいる。

服。

車。

旅行。

化粧品。

そこに人の身体は写っているのに、顔を使ったデザインは一つもなかった。

後ろ姿。

横顔を隠す髪。

顔の前に重ねられた文字。

顔を見せない広告が、この世界の標準らしい。

私は近くのガラス壁へ目を向けた。

行き交う人々の身体が映っている。

私の姿も映っていた。

服。

腕。

手。

だが、顔の位置だけ、光が散っていた。

輪郭が水のように揺れて、像を結ばない。

私はガラスへ近づいた。

顔を左右に動かしてみる。

身体は動く。

顔だけが、揺れたままだった。

「故障ですか」

近くにいた駅員へ尋ねた。

駅員はガラスを確認した。

「どこがですか」

「顔が、はっきり映りません」

駅員は、不思議そうに私を見た。

「はい」

「はい?」

「顔は、はっきりとは映りません」

それが当然だという口調だった。

「鏡は、どこにありますか」

駅員の表情がわずかに変わった。

「鏡?」

昔の道具の名前を聞いたような反応だった。

「自分の顔を見るものです」

「自分の顔を、見るのですか」

「はい」

「何のために?」

私は答えに詰まった。

身だしなみを確認する。

髪を整える。

表情を見る。

理由はいくつも浮かんだ。

だが、この世界では、そのどれも当然ではないらしい。
駅員は言った。

「服装なら、身だしなみ表示で確認できます」

近くの端末を操作すると、私の全身が画面に映った。

服の乱れ。

靴の汚れ。

髪型。

すべてが表示されている。

しかし、顔だけは、やはり揺れていた。

「顔は確認できないんですか」

駅員は首をかしげた。

「顔は、他の人が見ていますよ」

駅を出て、街を歩いた。

ショーウインドーにも、車の窓にも、水筒の金属部分にも、顔だけが揺れていた。

手や服は映る。

建物も空も映る。

だが、顔の部分だけが自動的に処理されている。

私は、旅人用の案内AIを起動した。

「なぜ、顔だけ映らないんですか」

AIが答えた。

「人工的に作られた反射面には、顔面遮蔽処理が義務付けられています」

「ガラスにも?」

「はい」

「金属にも?」

「顔を識別できる精度で反射する製品は、すべて対象です」

「写真や映像は?」

「顔を記録、再生、生成することは禁止されています」
「なぜですか」

AIは、過去の記録をもとに、制度が作られた経緯を説明した。

かつて、この世界にも鏡があった。

写真も、映像もあった。

人々は毎日、自分や他人の顔を見ていた。

やがてAIが、人の顔を分析するようになった。

美しさ。

若さ。

健康状態。

信頼性。

知性。

攻撃性。

恋愛適性。

就職適性。

将来性。

顔から、あらゆるものが数値化された。

最初は娯楽だった。

次に、広告へ使われた。

その後、学校や企業が利用した。

採用面接の前に、顔の評価が行われた。

保険料が顔によって変わった。

恋愛サービスでは、顔の相性が表示された。

街ですれ違うだけで、相手の評価が見える眼鏡まで作られた。

人々は、他人の顔を見るたびに点数を思い浮かべるようになった。

自分の顔を見るたびに、社会から与えられた評価を確認した。

顔は、本人のものではなくなった。

評価のための資料になった。

やがて、大きな事件が起きた。

顔の評価が低いとされた少女が、学校へ行けなくなった。

少女の顔は、本人の知らないところで共有されていた。
表情の変化まで記録され、暗い。

感じが悪い。

信用できない。

将来性が低い。

そう判断された。

少女が残した言葉が、社会を動かした。

《鏡を見るたびに、社会の点数が映っていました》

顔面評価を禁じる運動が始まった。

最初に、顔の採点が禁止された。

次に、顔写真の保存が制限された。

しかし、記録が残る限り、評価も完全には消えなかった。

人々は、顔そのものを記録しない制度を選んだ。

写真。

映像。

肖像画。

AIによる顔の生成。

そして鏡。

顔を固定して残すものは、すべて禁止された。

「直接、顔を見ることはできるんですよね」

私はAIに尋ねた。

「はい。対面で見ることは禁止されていません」

「では、テレビや映画は?」

「俳優は、声、姿勢、動作で表現します。顔は映しません」

「舞台は?」

「観客が直接見るため、認められています」

その世界では、俳優の声や歩き方が重視されていた。

有名な俳優でも、記録映像に顔は残らない。

劇場へ行った人だけが、その表情を知っている。

顔は、保存される作品ではなく、その場にいた人だけが見るものになっていた。

街には防犯カメラが設置されていた。

だが、映像には人の身体しか残らない。

顔を確認できるのは、本人確認を行う認証AIだけだという。

人間から顔を取り上げて、機械にだけ許した世界だった。

私は、広場のベンチに座った。

向かいに、一人の女性がいた。

長い髪を後ろで束ねている。

女性は友人らしい男性と話していた。

私は、二人の顔を直接見ることができた。

笑う。

驚く。

眉を寄せる。

一瞬ごとに表情が変わる。

誰も記録していない。

点数も表示されない。

その顔は、その場にだけ存在していた。

男性が去ったあと、女性が私の視線に気づいた。

「何か?」

「すみません」

私は頭を下げた。

「この世界の人は、自分の顔を見たくならないんですか」
女性は少し驚いた。

「自分の顔?」

「どんな顔をしているのか、気になりませんか」

女性は考え込んだ。

「人から聞くことはあります」

「どんなふうに?」

「疲れているとか、楽しそうとか」

「自分で確かめたいとは?」

女性はしばらく黙った。

「昔は、見たかったです」

「今は?」

「分かりません」

女性は、自分の頬へ触れた。

「子どものころ、笑うと怖いと言われたことがあります」

「誰に?」

「同級生に」

「それから、笑わなくなったんですか」

女性は小さくうなずいた。

「でも、本当に怖い顔だったのか、自分では分かりません」

誰かの言葉だけが、女性の中に残っていた。

鏡がないため、自分で確かめることもできない。

しかし、鏡があったとしても、その答えが分かったかは分からない。

「自分の顔を見られる場所が、一つだけあります」
女性が言った。

私は顔を上げた。

「あるんですか」

「顔を見る池と呼ばれています」

街の外れに、小さな池があった。

観光地ではない。

案内板もない。

木々に囲まれ、風が弱い日だけ、水面が鏡のようになる。

人工の反射面ではないため、顔面遮蔽処理の対象外だった。

法律が作られた当時、自然の水面まで禁止することはできなかったという。

池の周囲には、何人かの人が立っていた。

誰も話していない。

順番を待つように、静かに水面を見ている。

「生まれてから、自分の顔を見たことがありません。」

女性は池の前へ進んだ。

風が止まった。

水面が静かになる。

女性の顔が映った。

最初は、ぼんやりしていた。

やがて輪郭がはっきりした。

女性は、自分の顔を見つめた。

頬に触れる。

眉を動かす。

口を少し開く。

水面の顔も、同じように動いた。

「これが、私」

女性がつぶやいた。

そこへ、小さな風が吹いた。

水面が揺れた。

女性の顔が崩れた。

伸びた。

縮んだ。

いくつにも分かれた。

風が止まると、また元へ戻った。

女性は、もう一度水面を見た。

そして、少しだけ笑った。

水面の顔も笑った。

「怖いですか」

女性が尋ねた。

私は答えた。

「いいえ」

「本当に?」

「はい」

女性は水面を見つめたまま言った。

「同じ顔なのに」

もう一度、風が吹いた。

顔が揺れた。

「顔は、一つではなかったんですね」

女性は、今度は先ほどより大きく笑った。

街へ戻る途中、すれ違った知人らしい人が、女性を見て立ち止まった。

「そんな顔をする人だったんですね」

女性は少し驚き、それから答えた。

「私も、今日知りました」

元の地球へ戻る時間が来た。

目を開けると、私は自分の部屋にいた。

洗面所へ向かった。

鏡の中に、いつもの顔が映っている。

私は少しだけ笑った。

鏡の中の顔も笑った。



こちらの「ない地球シリーズ」も どうぞ


創作原点のエッセイは こちらです。

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