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我を忘れるエクスタシーな一瞥体験

前回は、意識変容に至る最初の試験のような出来事について書きました。

今日は、その晩に経験した一瞥体験について書きたいと思います。



その日の試験に合格したからなのかはわかりませんが、同じ日の夜にそれは起こりました。


夜中の授乳を終えて、ぼーっとしていたときのことです。
ぼーっとはしていましたが、起きていて意識もある状態です。


突然、おなかの辺りから魂が飛び出して宇宙と一体化するという体験をしました。おなかと書きましたが、正確にはみぞおちから拳一つ分下くらいです。


一体、なにが起きたのかわかりませんでした。

魂が飛び出す瞬間というのは、今まで感じたことのない、筆舌に尽くし難いほどの強烈な快感でした。

人間にとってあそこまでのエクスタシーは存在したのか、という驚きもありました。おおよそ想定できる快楽の何百万倍、いや何千万倍・・・?至高としか表現のできないような気持のよさでした。

エクスタシー: ecstasy、法悦(ほうえつ)とも)とは、快感が最高潮に達して無我夢中の状態になること。忘我。
宗教的体験における神秘的な心境。予言幻想仮死状態などをともなうことも多い。脱魂とも。

エクスタシーの語源はギリシャ語のέκστασις(ekstasis、エクスタシス、外に立つこと)で、がみずからの肉体の外に出て宙をさまよう、といった意味が込められている。

プラトンは『パイドン』の中で、ソクラテスに「何かを純粋に見ようとするなら、肉体から離れて、魂そのものによって、ものそのものを見なければならない」と語らせた。

この語はさまざまな歴史的経緯を経て、現代では世俗的な意味でも、宗教的意味でも、あるいは哲学的・芸術的な意味でも用いられている。

エクスタシー - Wikipedia

Wikipediaでも、〝魂がみずからの肉体の外に出て宙をさまよう〟と表現されていて、やっぱりあの体験はそういうものだったんだなぁと再認識しました。


魂が肉体を出て向かった(一体化した)先は、宇宙そのものでした。

とてもまばゆく大きな光そのものに溶け込むような感触で、本来の意味での「故郷(ふるさと)」に還ったような溢れ出る懐かしさと全身全霊で自分をまるごと愛で包んでくれる、限りのない愛情。

そこには、時間という概念も空間という概念も存在せず、時がとまったように感じました。ただただ静かでなにもないところでした。


一瞬の出来事だったことには他ならないのですが、それが10秒間だったのか、1分だったのか、もっと長かったのか・・・わかりません。


一瞬のうちに終わってしまい「ああ、終わってしまった。もっとあそこにいたかった・・・」と落胆しかけるも、脳内が完全な静寂で一切のノイズがありません。


もう一度、おなかの方に意識を集中させてみました。


すると、意識の奥底でまたあの広大な宇宙と繋がることができました。

よかった。全部大丈夫だ。いつでもアクセスできる・・・と深い安堵感に包まれました。



どこかに大冒険をしにいかなくても、なにか大きな修行をしなくてもワンネスというのは身近に感じられることがわかりました。

そして、「私が宇宙そのものだったんだ」ということを頭ではなく身体で体感した瞬間に涙が溢れてとまらなくなりました。


私はずっと愛されているんだ。過去も未来も(時空という概念すら)なく、今この瞬間にずっと絶え間なく愛を注がれている存在なんだ。

無限に湧き出る泉から愛のシャワーが降り注がれているような恵みを感じ、感激と感謝の涙で枕を濡らしました。


夜中の3時~4時くらいの出来事だったかと思います。


はじめて宇宙との繋がりを肌で感じ(本当はそれまでもずっと繋がっているのですが)、世界観がまるっと変わってしまいました。


思い出す度に感動の波が押し寄せてきて、そのまま眠れるわけもなく(笑)、入会している右脳意識をめざすオンラインコミュニティ「三脳バランス研究所タウン」にこれまでの一連の出来事を長文で投稿しました。


1月に入会したばかりで、新参者なのに目立ちたくないなとか、自分の投稿で誰かを傷つけたり焦らせてしまったりしたらどうしよう、などと、思考(左脳)が優位なときには感じていたと思います。


でも、思考の声も鎮まっていたので、記憶があたたかいうちに綴ろうと振り返りながら書きました。投稿した時刻は朝の5時半でした。


ほぼ徹夜で朝を迎えたため、書き終えるとさすがに疲れて寝ました。朝起きたら、なんと所長のネドじゅんさんからコメントが来ていました。
他の研究員のみなさんもコメントやイイネをしてくださり「優しい世界でよかった」と感じました。


私にとって、一瞥体験とは、宇宙とのつながりを文字通り一瞥、ひとめチラッと見る、という体験でした。

一瞥とは、ちらっと見る、垣間見るという意味の言葉であり、一瞥体験とは「悟りの世界をチラ見する」という意味で使われています。

より具体的な言葉に置き換えるのであれば、ほんの一瞬のうちに宇宙の本質や悟りの世界を垣間見たような状態です。

私たちは、普段は個人の意識を通して現実を体験していると感じています。
しかし、一瞥体験をするとすべては逆だったという宇宙の本質、この世の仕組みに気が付くことになるのです。
一瞥体験を「ワンネス」「覚醒」と表現することもありますが、悟りの世界のスタートラインに立った状態と言い換えることができるかもしれません。

一瞥体験とは?やり方や方法・起こること5つ

ここに書いてある通り、一瞥体験自体で「私、悟ったわ~」とはとてもいえません。
それでも、世界観が変わるくらいには衝撃的な出来事でした。



実は、一瞥体験が起きる2日前に、「右脳回帰」ってどんな感じなんだろうと体験してみたいなと思うようになっていたのです。

自動思考を止めて右脳の意識に切り替わることを「右脳回帰」と呼んでいます。

右脳回帰への道|韮澤烈@野生舎

右脳回帰は、左脳中心の論理的・言語的思考から離れ、感覚や直感、身体の知性を活用する意識状態への移行を意味します。現代社会では左脳が優位になりやすく、情報処理や判断に偏るため、右脳回帰によって心身の調和や創造性、リラックス状態を取り戻すことが可能です。

整体で右脳回帰!感性と直感を取り戻す施術


自動思考もほとんどなくなっていましたが、「その先」が気になるようになっていたのです。

自動思考とは、自動思考(じどうしこう)とは、ある出来事に出会ったときに、無意識のうちにパッと頭に浮かぶ考えやイメージのことです。
日常の出来事に対して「その場で瞬間的に出てくる考え」で思考のクセ。
例:メールの返信が遅い=嫌われた?と即座に思う。

自動思考とは?種類一覧と具体例|心理学的な仕組みをやさしく解説 | らいふとぴ


右脳の意識に切り替わるという意味では、右脳回帰といえるのかもしれませんが、当時まだ解離(かいり)の症状は治っていませんでした。

とはいえ、めでたく一瞥体験ができてよかったね~で終われるといいのですが、そういうわけにもいきませんでした。


一瞥体験のときの快感を、人間が感じ得る最上級の快感だとすると、それをも打ち消すほどの恐怖体験が待っていたからです・・・(怖)


なんともいえない締めくくりになってしまいましたが、それでも一瞥体験という神秘体験を経験できたことは、この世が全てだと思って絶望していた私にとって大きな救いになったことは間違いありません。


また、今はワンネス感覚が標準モードになり、解離の症状もほぼ完治しているのですが、このときの絶対的な宇宙とのつながりが支えになっていることには他なりません。


この後、波乱万丈で神秘的な体験をすることになります。
次回は、その恐怖体験について書きたいと思います。

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