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【第3回】映画「ひゃくえむ。」が問う『生きる目的』~結論編~

はじめに

この記事は、映画『ひゃくえむ。』の感想と考察をお届けする全3回の最終回です。
⇐⇐ 【第1回】映画「ひゃくえむ。」が問う『生きる目的』~感想編~
【第2回】映画「ひゃくえむ。」が問う『生きる目的』~髭男「らしさ」編~

第1回では、映画の登場人物たちがそれぞれ抱える「走る理由」をお伝えしました。第2回では、エンディングテーマ「らしさ」を読み解き、人の中には「君(理性)」と「僕(本能)」という2人の自分がいることをお伝えしました。

最終回の今回は、この2つの作品から受け取ったものを、今後の生活に生かせる1つの哲学としてまとめます。


この物語は、走る話ではない

最初に、いちばん伝えたいことをお伝えします。

この物語が描いてきた「走る理由」は、隠喩です。それは、まるまる「生きる目的」に言い換えられます。


試しに、登場人物たちの「走る理由」を「生きる目的」に置き換えてみてください。

  • 敗北への不安から、本気で生きられなくなる(トガシ)

  • 過去との比較や記録のために生き、それが崩れた瞬間に意味を見失う(小宮)

  • 他人からの承認のために生き、どこかで限界が来る(変化の途中のトガシ)

  • 不条理な現実を直視したうえで、「成し遂げる自分」を信じて生きる(カイドウ)

  • 不安をギフトと捉え、保身に走らず、攻め続けて生きる(財津)

どうでしょうか。陸上競技の話が、そのまま私たちの人生の話にならないでしょうか?

昇進、評価、同期との比較、リストラの不安、加齢——私たちが日々向き合っているものは、彼らがトラックの上で向き合っていたものと、まったく同じ構造をしています。

そして、トガシが最後にたどり着いた「本気になるために走る」という答えも、同じように言い換えられます。

「本気になるために、生きる。」


競争は「勝つための装置」ではなく「幸福を引き出す装置」

この物語が提示する、もっとも重要な逆転の発想があります。

競争は、勝つためにあるのではない。自分を「本気」にさせるための装置である。

勝ちたいと思うから真剣になる。真剣になるから、幸福感が生まれる。競争そのものが目的なのではなく、競争という舞台が「本気の自分」を引き出してくれる。

だとすれば、走ることでなくてもいい。仕事でも、創作でも、子育てでも——本気になれることなら、何でもいいのです。

財津が引退を決めた場面は、そのことを象徴しています。万年2位のカイドウが、「成し遂げる自分を信じる」ことで勝利を手にした瞬間。財津はそこに幸福感を感じ、静かに退場しました。

その財津の最後の言葉が、すべてを言い表しています。

「一瞬に人生のすべてを凝縮するがゆえに、そこにしかない幸福感がある。皆さんも、希望・失望・栄光・挫折・疲労・満足・焦燥・達成、喜怒哀楽すべてを一瞬に詰め込んで、極上の一瞬を味わってください。」


この哲学を、日常に落とし込む3つの実践

ここからは、映画と「らしさ」から受け取った素晴らしい哲学を、ぜひ自分の生活に落とし込みたいと思いました。そのための実践案を3つまとめます。

実践1:「財津の四箇条」で、攻めの姿勢を保つ

「浅く考えろ」
考えすぎて動けなくなっていないか?まず一歩、踏み出してみましょう。完璧な準備が整ってから動こうとしている間に、本気になれる瞬間は過ぎていきます。

「世の中をなめろ」
「ほかにすごい人がいる」「今さら遅い」——そんな声に従う必要はありません。直感が「やりたい」と言っているなら、その声を信じてみてください。

「保身に走るな」
過去の成功体験や安定を守ることに、エネルギーのほとんどを使っていませんか?守りに入った瞬間、「本気の自分」は息をひそめます。

「勝っても攻めろ」
うまくいったことに満足して、次の「本気」を探すのをやめていませんか?人生の幸福は「達成した状態」ではなく、「本気でいる過程」の中にあります。

実践2:不安が来たら、「ギフトが来た」と捉え直す

不安になったとき、「できない」という声が聞こえたとき。それは理性(君)が自分を守ろうとしているだけかもしれません。

その声を否定する必要はありません。「守ってくれてありがとう」と受け止めたうえで、財津のように捉え直してください。不安は、「本気になれる何か」に近づいているときにだけ訪れるギフトなのだと。

そのうえで、こう問います。

「でも、本能(僕)は何を望んでいるか?」

実践3:「死の自覚」で、本能の声を聴く習慣を持つ

本能の声が聴こえないときは、いろいろな方法がありますが、第2回でご紹介したジョブズの問いを借りてみる方法があると思います。

「もし今日が人生最後の日だとしたら、今日やることを、自分は本当にやりたいか?」

トガシは怪我という外的な「死の自覚」によって、初めて本能の声に気づきました。しかし私たちは、怪我、大病、リストラなどを待つ必要はありません。この問いを毎日の習慣にすれば、本能の声を聴く機会は自分で作れます。

「ノー」という答えが何日も続くなら、それは何かを変えるべきサインです。


おわりに——「今」を本気で生きることでしか、本当の明日は来ない

生きる目的を見失っているとき、私たちはしばしば「いつかのために、今を我慢する」という選択をします。

でも、この物語が教えてくれたのは、その逆でした。

トガシは悟りました。「明日を生きるために、今を殺していた」と。

明日を生きるために今を殺すのではなく、今を本気で生きることでしか、本当の明日はやってこない。

記録でもなく、他人の承認でもなく、「今この瞬間に本気でいること」。そこに凝縮された喜怒哀楽のすべてが、生きる意味そのものである——。

あなたの本能は今、何を叫んでいますか?


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