めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-4
Aloha!
これは、大田区の住宅街のはずれにある、自由でのんびりとした校風の普通の都立高吹奏楽部が、普門館のステージを夢見た奮闘記である。
なんて(^^ゞ
初めてお立ち寄りいただいた方には、サイトマップから「私の音楽遍歴」をたどって頂けると幸いです<(_ _)>
当時のことを思い出そうとすると、恥ずかしいことばかりが思い出されます。若気の至りここに極まれりって感じです。
私自身コンクールの経験は、中学三年生の時に一度きり。
ただ、そのときが普門館でした(^^ゞ
で、高校時代はコンクールと無縁だったので、高校の部のコンクール事情が全くわかっていません。
出場している学校の演奏レベル、編成、自由曲の選曲のなどなどなど。
同じ第一学区の高校の演奏を地区音楽会で聴いたことくらいしかない。
よその学校もいわゆる、普通の都立高の吹奏楽部でした(^^)
そんな状態だったというのに普門館を目指すなんて、、、
まさに、井の中の蛙大海を知らず。
あ~今さらですが穴(井戸?)があったら入りたい。
普門館をめざして歩き出してはみたものの、方角がわからない、装備(楽器)がない、体力(技術)もない、のないないづくしでいきだおれ必至、って感じだったことがわかっていなかった。
丸腰で戦場に足を踏み入れたようなもの?
というのは、後になってわかったことで、
その当時は、とにかく自分たちの音楽を思いっきり演奏することができればOK\(^_^)/
くらいにしか、考えていませんでしたね。
本当に、のびのびと、のんびりとした校風です。
私もそのなかで育ってきましたから(^◇^;)
当時の吹奏楽コンクールのスケジュールは、全国大会が11月、都大会が10月、各部門の予選が9月でした。
そう、今よりも1ヶ月遅かったんですよね。
なので、夏休みはまるまる練習にあてることが出来たんです。
って、今にして思うと地獄だよね(^0^;)
夏休みがつぶれちゃう。合宿もありましたよ。
いつ遊びに行くんだ?いつ宿題するんだ?って。
ところで、「めざせ!普門館!」の最初から読んできた方はお分かりでしょうか。何か違和感がありますよね。
顧問の影が見当たらないことに。
そうなんです。もちろん母校の吹奏楽部にも顧問の先生がいらっしゃいます。
ですが、なにせ自由なのびのびとした校風。
顧問は年に数える程度の日数以外、私たちの自由にさせてくれていたのです。文化祭も生徒だけでやってましたからね、まさに放任主義(^^ゞ
てなわけで、コンクールにしても同様に自分たちでやりたいようにやらせてくれたわけで、、、
そもそも、コンクールに参加する話を聞いたときも、顧問の先生のことが頭をよぎることなく、私は引き受けてしまったわけですが(^^ゞ 先生からとがめられた覚えもなく、コンクールまで突っ走ったのでした。
つづく!
Mahalo!
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