めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-5
Aloha!
これは、大田区の住宅街のはずれにある、自由でのんびりとした校風の普通の都立高吹奏楽部が、普門館のステージを夢見た奮闘記である。
なんて(^^ゞ
初めてお立ち寄りいただいた方には、サイトマップから「私の音楽遍歴」をたどって頂けると幸いです<(_ _)>
今から50年ほど前の1977年当時、東京都大会の予選に参加していた高校は30校前後だったでしょうか。予選は一日で終わってましたね。
現在の参加校数と大違いです。今は三日がかりですね。
普門館のステージに立つために、東京都大会出場をめざす!と言う目標が、
不可能ではないかも?なんて大甘で夢見ていた部分があったかもしれません。って、大甘でしたが(@@;)
「イスカンダル」なみに遠いところだったんですよね。杉並区なのに、、、
あ、「イスカンダル」知りませんか(^^ゞ 杉並区方南の ほうなん です(^0^;)
その頃の私の音楽の技量はどれほどのものだったのか。
それをいうと、当時私についてきてくれた現役の部員のみんなに申し訳ない気持ちになってしまいますが、ほとんど学生指揮者並だったのかと。
中学2年生の時からまともに音楽と向き合うようになって、6年間程度の経験しかありませんでした。
高校一年からフルートの勉強をしていましたが、音楽の勉強は自分の専門外の楽器からも学んできました。
それでも、まだまだ人に音楽を指導するなんておこがましいですよね。
結局は部活動の先輩後輩の関係性の中でのことだったんでしょう。
部活動では1年違うとまさに先輩。
それが大学生と高校生なんていったら、それはもう大変。
覚えがある人も多いでしょう?ね、(^^ゞ
当時、わたしの3歳上の鈴木先輩が自分にも指導して下さっていました。
合奏中の注意とか、指揮棒の振り方とかも教わりましたね。
とても勉強になりました。その後の音楽活動の基礎になったと思います。
曲を繰り返し演奏していく中で、部員のみんなには、曲の中に映像のイメージをもちながら音楽を形作っていくことを覚えてほしかった。
みんなで同じイメージを共有しながら演奏できるようになってほしかった。
そのように、自分も現役の部員のみんなと一緒に成長できるようにもがきながら、少しでもよりよい演奏が出来るようになりたいという気持ちでコンクールに向かい合っていました。
日頃の部活の質を高めていって、その延長線上にコンクールがある。
そんな感じの挑戦だったかもしれません。
ここまで書いてきて思うことは、「吹奏楽部のコンクール奮闘記」ではなく、「Flute Papa の後悔日誌」のようですね( ̄。 ̄;)
ここまで読んで後悔した!と思わせてすみません<(_ _)>
それでは、
Mahalo!
「普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-4」に戻る
私の音楽遍歴:サイトマップへ戻る
いいなと思ったら応援しよう!
この記事がお気に召しましたらサポート頂けますか?
いただいたサポートはよりよい記事作成に役立てさせて頂きます( ̄^ ̄)ゞ