めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-3
Aloha!
これは、大田区の住宅街のはずれにある、自由でのんびりとした校風の普通の都立高吹奏楽部が、普門館のステージを目指した奮闘記である。
なんて(^^ゞ
事実を記述することに努めますが、なにぶんにも50年近く前のことなので脚
色が入るやもしれません。御容赦下さい(゜o゜;)
1977年当時、東京都立雪谷高等学校吹奏楽部の状況について触れておくと、
私が入学したのは1973年でしたが、在学中はコンクールに参加していませんでした。以前の数年間についても同様です。
ようするに、文化祭とか地域の発表の場で演奏する、コンクールとは無縁の普通の都立高吹奏楽部でした。
コンクールに出るなんて夢にも思っていない人ばかり。ちなみに高校生だった自分も同様でしたが(^◇^;)
部員数が少なかったから、普通に活動してるだけでも充分楽しいよね。
音楽は音を楽しむなんだからね。そんなおだやかな校風です。
だから、コンクールに出るという方向に、よく持っていったものだと思ったりもしましたね(・_・)
私たちが吹奏楽コンクールに挑戦しようと思い立った1977年は、
吹奏楽コンクールの課題曲の歴史において記念すべき年でした。
それは、発表以来40年以上愛され続けることになる
東海林修作曲「ディスコ・キッド」が課題曲になった年なのですから。
課題曲にポップなディスコ調な曲なんて、それまでのコンクールの歴史にはなかったことです。
でもまぁ、私が中学3年(1972年)のとき、中学校の部の課題曲は岩井直溥作曲「シンコペーテッドマーチ・明日に向かって」でしたが、この曲マーチっぽくないと思いませんか?って知らないですよね(・_・)
演奏していて楽しい曲だったことを覚えています。
岩井直溥先生はそれ以降、たびたび課題曲を書かれていますがどれも名作ですよね。私が特に好きなのは、ポップス描写曲「メイン・ストリートにて」ですね(^^♪
そんな後世に語り継がれるような話題曲を、私たちは無謀(?)にも選択したのです。まだドラムセットを持っていなかったというのに(^◇^;)
正直そのときにはその意味は全くわかっていませんでしたが。
自由曲は R.ワーグナー作曲 歌劇「ローエングリン」より、
「エルザの大聖堂への行列」にしました。
この二曲で吹奏楽コンクールにチャレンジしていくことになったのです。
つづく!
Mahalo!
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