めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年-2
Aloha!
これは、(割と良い)住宅街のはずれにある、自由でのんびりとした校風の普通の都立高吹奏楽部が、普門館のステージを目指した奮闘記である。
なんて(^^ゞ
記述には出来るだけ事実を書いていきますが、なにぶんにも50年近く前のことなので多少脚色があるかもしれませんが御容赦下さい(゜o゜;)
さて、それは大学2年の春のことでした。母校の吹奏楽部が初めての演奏会を開催した後です。
私の出身中学の後輩くんは部長になっておりました。
演奏会を開催したことはすごいことでしたが、彼の考えはまだまだそんなものではありませんでした。
それは、全日本吹奏楽連盟のコンクールに挑戦することでした。
そして、普門館を目指すというもの。
まぁ、なんということでしょうか。
まさに、「少年よ大志を抱け」ですな。
で、どうしてだか思い出せないのですが、私にコンクールを目指す同志になってほしいと言ってきたのですよ。
実際には、指揮をしてくれということでした(・o・)
私が大学に行って不在だったときに、実家に押しかけてきたこともあったそうな。良く覚えてない(^0^;)
と、ここで当時の私の精神状況を吐露すると、、、
そのとき私は管弦楽団に在籍していました。
春の特別演奏会を控えていた頃だったんじゃないかと思います。
実はそのころ、管弦楽団のまわりの団員の雰囲気に馴染めないということがありました。音楽への向き合い方というかなんというか。
その頃の自分は、いろいろ挫折はあったとはいえ(^^ゞ音楽への向き合い方はかなり真剣(というか頭がかたい)だったせいで、まわりの緩さが、、、
でも、そんなときに母校の吹奏楽部がコンクールに挑戦したいという情熱を感じてしまい、、、管弦楽団を退団し、母校吹奏楽部の指導というステップに踏み出していったのです。
って、いいんですよね。サークルなんだから、音楽なんだからそれぞれの技量で楽しめればそれでいいんです。当然なんです。
今はそう思えるんですけどねぇ。当時はそう思えずに、、、
と、ここまで書いてみると、つくづくきれい事だなぁ~、なんて思ってしまう私がいます。
ボクシングでいえば第一ラウンド開始早々に、先制パンチを食らっていきなりダウン。戦意を喪失(@@;)
かろうじて立ち上がったけど、いまひとつ気持ちが盛り上がらないまま第二ラウンドになったら、打ち込めそうな新たな目標(人参)をちらつかされて、それにホイホイ乗せられて行った優柔不断なやつ。
「私の音楽遍歴」なんてタイトルで散文書き始めて、高校時代はやたら細かく書いてたくせにパッタリ筆が止まってしまっていた理由。
それは、このあたりの自分の精神状況にすこしコンプレックスを感じていたから。
現在の私から見た当時の私の行いの未熟さに嫌気が差してしまったから。
思い出すほどに、恥ずかしいことが思い出されるから。
などなどが真相ですね。きっと。
とにかく、管弦楽団を退団した私は高校の専属トレーナー兼指揮者として歩み出しました(すべて奉仕です。まぁ、当然か(^0^;))
いつものことながら、なかなか始まりません。
まぁ、私小説ですからご勘弁ください(^^♪
つづく!
Mahalo!
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