めざせ!普門館! 普通の都立高吹奏楽部のコンクール奮闘記?1977年
Aloha!
これは、(割と良い)住宅街のはずれにある自由でのんびりとした校風の、普通の都立高吹奏楽部が、普門館のステージを目指した奮闘記である。
なんて(^^ゞ
それは私が大学二年、1977年の春のことでした。
母校の吹奏楽部が単独の演奏会を初めて開催したのです\(^_^)/
なんということでしょう。夢にまで見た演奏会開催。
私も誘われてフルート/ピッコロで参加しました。
出ないという選択肢はありませんでしたからね。
過去の投稿にも書きましたが、私が入学した頃の母校の吹奏楽部は楽器も古いし部員も少なくて、現役部員だけではまともに編成が組めない状況でした。
ですので、文化祭はOBに声を掛けたり、隣の高校と合同で地区の音楽会に出たりしていました。
私が入学した頃から徐々に部員が増えてはいましたが、演奏会を開くほど沢山の曲をまともに演奏できるような状態ではありませんでした。
別の投稿にも書いたように、当時の都立高校の入試制度は「群制度」だったので、希望する学校に入れるかどうかはくじ運次第でした。
そのため、中学校で吹奏楽をやってきた生徒が、住んでる地域の都立高校の吹奏楽部に入りたいと思っても、そうならないことがままあったのです。
何人の人達が涙を呑んだことでしょうか(;。;)知ってるだけでも数名、、、
かくいう私は吹奏楽部目当てに受験したわけじゃなかったので、
入学した母校の吹奏楽部のことは全く知りませんでしたけどね。
たとえめざしていたとしても入れるかどうかは
「三分の一の確率」ですし(・_・)
でも、そんな私がこの歳になるまで(50年以上(・o・))母校吹奏楽部のOBOGバンドと関わりを持ち続けることになるなんて、、、
「三分の一の確率」で母校に入学できたことは、私の人生にとって大きなプレゼントだった(多分(^0^;))と運命の神に感謝しています。
さて、そんな母校吹奏楽部の潮目が変わってきたのは、中学の後輩がぽつぽつ入り始めていたことですね。
私が三年生のときには2名入部したし、私と入れ替わりで1名入部したり。
みんなコンクール経験者です。指揮者は私の恩師。私と同門です(^_^)v
入れ替わりで入部した彼は志が高く、部活を変革しようとしていました。
私と大違い(^0^;)
ステップとして第一歩が単独での演奏会開催、
そして、、、
「吹奏楽コンクール出場 めざせ!普門館!」
だったのでした。
第1回の演奏会は無事(?)に終了し、その後その彼・A君からコンクール挑戦についての相談を受けることになるのです。
Mahalo!
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