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大森射的場ー日本帝国小銃射的協会跡 (入新井特別出張所) #331

※本記事は
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 公開しています。
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東京共同射的会社創設

1882年 (明治15年) 
時は西南戦争直後。

西郷従道らは、
尚武の気風を高めるため
本郷の向ヶ岡に
射的場を設置した。
(現在の東京大学浅野地区と
 東京大学本郷地区の間)


東京共同射的会社 大森村の土地を購入

1888年 (明治21年)
明治天皇からの
御下賜金200円と
会員からの寄付により
大森の山王地区の
(大森八景園奥)
14,578坪の土地を
購入しました。


この場所が選ばれた理由

大森八景園があったように
周囲はまだ
松林や雑木林が残る
静かな土地であったと考えられる。

郊外であったため、
広大な敷地を
比較的安価に取得できたことも
一因であろう。


大森射的場の起工

1888年 (明治21) 年 8月
築造工事が開始される。


大森射的場竣工

1889年 (明治22) 年 4月落成
同6月29日に開場しました。
翌30日には、
大射的会が開催され
小松宮彰仁親王ほか
皇族・各国公使も来場されました。


東京共同射的会社改称へ

会場に合わせ
組織名を
「日本帝国小銃射的協会」へ改称し、
小松宮彰仁親王が
総裁に就任されました。

以降、大森射的場は
射撃訓練の拠点として
機能しました。


大正初期

協会の役員であった
伊集院兼知氏は、
会員のために
射的場の一部を
軟硬式テニスコート
各一面を新設した。

これが後に、
1946年(昭和21年)設立の
大森テニスクラブへと
受け継がれていく。


組織の再編

日本帝国小銃射的協会は、
1925年 (大正14年) に
山川健次郎氏率いる
「学生射撃聯盟」などと合併。

新たに
「大日本射撃協会」
が発足した。
会長には、
奈良武次氏が就任した。

これにより、
明治以来続いた
射的場の系譜は、
新たな組織へと
継承されていくことになる。


山王周辺の宅地化

大森八景園が
1922年 (大正11年) までに
宅地化が進み、
山王一帯は
高級住宅地として
整備されていった。

静寂を求める
住宅地の拡大とともに、
大銃を使用する
大森射的場は
安全性や騒音問題を
抱える存在となっていった。


大森射的場鶴見に移転

宅地化の波のなか  
1937年 (昭和12年)  
鶴見・北寺尾へ移転した。

こうして 
大森射的場は
約50年の歴史に
幕を下ろすこととなった。


最後に

Otapediaは、
かつての大森射的場と
大森テニスクラブを
「大田区無名の風景」
として
日本帝国小銃射的協会を
「大田区無名の組織・集団」
として
大森射的場と
日本帝国小銃射的協会跡と 
大森テニスクラブを
「大田区未顕彰の地域遺産」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『大森テニスクラブ』

大森テニスクラブHP
https://www.jta-tennis.or.jp/Portals/0/resources/museum/12/pdf/OomoriClub.pdf

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