新島から蒲田にモヤイ像が上陸【6月24日 今日は何の日】(蒲田東特別出張所) #368
※本記事は
Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
公開しています。
無断転載・改変・商用利用を禁じます。
© Otapedia 2025
1984年 (昭和59年) 6月24日
蒲田東口商店街と
新島村の友好の記念と
新島観光PRの一環として
東京都新島本村・東京都新島観光協会から
男女の顔が彫られた
二体が寄贈された。
企画:大後友市氏
彫刻:植松 茂氏

出典:トマトマンの斜め上行く生活術様

出典:トマトマンの斜め上行く生活術様

出典:トマトマンの斜め上行く生活術様
モヤイ像とは
イースター島の
モアイ像をモチーフに、
新島特産の
「抗火石」を使って
造られている。
1989年 (平成元年) 7月
横川昇二氏が設計した
「上昇気流」
設置のため
女性のモヤイ像が
一時撤去された。

駅前広場完成記念イベント
出典:Webおおた写真館(大田区役所)
1998年 (平成10年)
所ジョージ氏の
日本テレビ系
『所的蛇足講座』において
長らく保管されていた
女性のモヤイ像が取りあげられ、
番組を通じて貰い手を募集した。
3000通もの応募の中から
青森県深浦町が選ばれ、
贈られることになった。
1999年 (平成11年) 2月17日
青森県深浦町に旅立っていった。
現在の男性モヤイ像と上昇気流(蒲田)
東口周辺にて
駅前整備が行われているため
一時撤去されているが、
整備完了後再設置の予定である。

写真:かえる11号
青森県深浦町に寄贈されたモヤイ像
ウェスパ椿山に設置され
縁結びのシンボルモヤイ像として
観光名所となっていたが
2020年 (令和2年) 10月末で
閉鎖になった。
その後の
モヤイ像の行方は
不明となっている。

(蒲田設置時とは顔の造形が異なる)
写真を基にAIで再構築
最後に
Otapediaは、
蒲田駅東口の
モヤイ像と
上昇気流を
「大田区無名の景色」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
男女一対のモヤイ像が
寄贈された
6月24日を
「大田区記憶の日」
として記録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『蒲田駅東口商店街商業協同組合』
2. Wikipedia『蒲田駅のモヤイ像』
3. Wikipedia『所的蛇足講座』
4. Wikipedia『ウェスパ椿山』
5.『トマトメンの斜め上行く生活術』
6.『Webおおた写真館』大田区役所
蒲田駅東口駅前広場現在の整理状況 大田区役所
https://www.city.ota.tokyo.jp/seikatsu/sumaimachinami/machizukuri/ekishuuhen/kamata/kamata_toshi/gaiyou/dai14kai_kaigigaiyou.files/34_higashiguchiekihirogenkyou.pdf
#かえる11号
#Otapedia
#デジタルアーカイブ
#地域史
#LocalHistory
#SDGs11
#大田区
#OtaCity
#蒲田駅
#東海道線
#京浜東北線
#蒲田東口商店街
#新島観光協会
#モヤイ像
#蒲田駅東口
#大後友市
#植松茂
#坑火岩
#上昇気流
#横川昇二
#所ジョージ
#所的蛇足講座
#青森県深浦町
#ウェスパ椿山
#Webおおた写真館
#大田区特別顕彰区民
#大田区準特別顕彰区民
#大田区裏名誉区民
#〇〇の父
#日本初
#日本一
#大田区初
#大田区発祥
#大田区唯一
#大田区の逸品
#大田区無名の偉人
#大田区無名の企業
#大田区無名の産業
#大田区無名の風景
#大田区無名の呼称
#大田区無名の組織・集団
#大田区陰の功労者
#大田区未顕彰の地域遺産
#大田区記憶の日
いいなと思ったら応援しよう!
いつもご覧いただき、誠にありがとうございます。
皆様からの温かいご支援が、
私の活動の大きな支えとなります。