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大田区 誕生前夜に起きた区名決定のドラマ【3月15日 今日は何の日】#266

79年前
大田区誕生の前夜に
投稿いたします。
本文は
小見出し以外
そのまま採用し、
一部見解が入ります。

※本記事は
 Otapedia公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁止します。
 © Otapedia


大田区誕生を巡って

・・・東京都からの
大森・蒲田両区の
統合の提案にたいして、
直ちに要請に応じることとし、
両区とも一様に
準備にはいることにしました。

両区は先ず準備体制として
共に協議会を設置して
協議検討することを
申し合わせました。

協議会は議会の方々と
地元の有識者の方々に
お集まりいただき
構成いたしました。


お隣は「品川区」ですんなり決定

隣接の
品川・荏原両区においては、
いち早く区名が
「品川」に決定されたことが
伝えられました。


大森区の見解

そんなことからか
大森側からは、
区名を「大森」ではどうか
との申し入れがありました。


蒲田区の見解

これを受けて、
蒲田側もこの線で
協議いたしましたが、
未だ機熟せずか大森案には
にわかに賛成しがたく
受け入れられない旨
回答いたしました。


大森vs蒲田(考察)

両区の見解を聞いて
文字からも
上下関係がはっきりと
現れていたのですね。

大森の方が
駅の設置が早かったり
海苔が有名だったり
歴史が上下関係を
形成したのでしょうか?
そういう見方も
できるかもしれません。


蒲田区の妥協案

・・・蒲田側は
大森という区名に対し
一度はお断りいたしましたが、
・・・名より実をとろう
ではないかという意見が
多数をしめ、
区名は大森で
よいではないかということで、
最終的に
全員異議なく決定し
一応の決着をみました。


大森で決定?

かくして、
区名の問題は、
蒲田側から正式に
大森・蒲田合同協議会に
申し入れた上で、
「大森」という区名で
円満に最後を飾ろうとした
瞬間のことでした。


決着寸前の失言

大森のある有力な委員の
お一人の突然の一言から
思いもよらぬ結末に
なってしまったのでした。

その一言とは、
「蒲田区には、
 財政の負担能力がないから・・・」

という言わずもがなの
発言があったからでした。


痛いところを突かれた蒲田区側

蒲田としては
一番心を痛めていたことで、
ふれられたくない
問題点だったのでした。


白紙に戻ってしまう

・・・この件は
一応白紙に戻ったようなかたちとなり、
まとまりませんでした。


大森区側の言い分と蒲田区側の判断

大森側からの
先の発言はまことに
不用意であった旨
申し入れがありましたので、
蒲田側としても
いつまでも
こだわっているわけにもいきません。

これを了承し、
不問にすることとし、
合併を前提に
再び協議を進めることとし、
改めて区名の件もその線で
話し合うこととし、
協議を再開しました。


改めて選定のし直し

区名の件については、
今まで話題になった名称は
すべて白紙に戻し
改めて選定に入ることとし、


さらなる検討へ

更に検討いたしました結果、
区名は両者対等の
立場で選ぼうということで
その線にそって
選考いたしました。


いよいよ決着へ

その結果、
大森区の「大」をとり、
蒲田区の「田」をとり
大田区ではどうか
という妥協案が出されました。

しかし、
これではあまりにも
芸がなさすぎはしないかとの
協議がありましたが、
そうかといって他に
適当な案もないまま
結局双方共
お互いの立場を尊重して、
さしたる異論のないまま
合意に達し、
ここにようやく
大森・蒲田両区が合併し、
区名も「大田区」として
誕生の運びとなったのでした。


全体を通して・・・(考察)

この議論で
区名が決定してしまうのだから
あれこれ思うを巡らすのも
無理はないことだが、
立場の上下のある
双方の言い分のトーンすら
文字からも伝わってくるような
内容でした。


第三の候補名

大森区・大田区
以外の候補が
存在しました。

それは
「羽田区」
です。


現在の大田区の「大森」と「蒲田」(考察)

1947年当時とは
明らかに逆転しています。
大田区役所が
「大森」から「蒲田」に移転
この頃から
逆転現象が
起きているような気がします。

そもそも
街の構成自体が
駅の前に高級住宅街と
駅の周りが繁華街と
環境が違い過ぎました。

たまたま
「桃源社ビル」(当時)が
バブルにはじけて
宙ぶらりんとなり
そこに大田区役所が
入りました。

今後は
新空港線(蒲蒲線)の
地下駅も区役所の地下に
出来るかもしれない現実は、
ターミナル駅と
非ターミナル駅の
差かもしれません。


第三の候補の(考察)

大森でも蒲田でもない、
第三の候補「羽田区」。
その存在は、
現在の大田区の姿を
改めて考えさせるものでもあります。

もし「羽田区」という
名称が選ばれていたなら、
現在の都市の印象や
地域の重心は
どのように変わっていたのでしょうか。
区名は単なる呼称ではなく、
街の歴史や未来像にも
影響を与える存在なのかもしれません。


最後に

Otapediaは
改めて
大田区を
「大田区未顕彰の地域遺産」
とし、
大田区となった
3月15日を
「大田区記憶の日」
として登録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
歴史の静寂からお連れする
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『史誌19号』より抜粋 昭和58年6月 発行
  元大田区蒲田支所長 田中久吾氏 記
 2.『大森界隈職人往来』 小関智弘
ヘッダー
 3.『大田区政五十年史』通史事業史 (旧大森区役所)

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