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羽根田燈臺【3月15日 今日は何の日】(羽田特別出張所) #267

※本記事は
 Otapedia 公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
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羽根田燈臺(羽田灯台) 

(武蔵國荏原郡羽根田洲外・東京灣内) 
   Haneda Lighthouse, Tokyo Bay 

1875年 (明治8年) 3月15日点灯 

絵:完成当時白色単色時の羽田灯台
写真を基にAIが作成

最大の特徴

海底の砂地に
鉄の螺旋をゆっくりと、
確実に“噛ませていく”。
羽根田燈臺は、
そんな特殊な構造で
立ち上がった灯台でした。

この「螺旋柱(らせんちゅう)」構造は、
当時の日本で唯一無二のものでした。


設計者

1873年 (明治6年)
明治政府に雇われていた
「日本の灯台の父」こと
英国人技師 
リチャード・ヘンリー・ブラントン
1841.12.26~1901.04.24
(R.H.ブラントン)が、
この灯台の設計を
母国スコットランドの技師に
依頼しました。

なんとこの灯台は、
一度イギリスで
完成形を作ってから、
わざわざ部品ごとにバラバラに分解

それを船で日本まで運び、
明治7年6月から
羽田の海上でふたたび
組み立てるという
六角形の鉄製組立灯台で、
当時としては画期的な工法で
建設されたのです。

近代インフラのプレハブ建築でした

この灯台は彼が手掛けた
「最後の鉄造灯台」となりました。


設置位置

位置: 北緯35度32分 / 東経139度48分 

羽田の沖合に潜む「浅瀬」
この灯台が立っていたのは、
多摩川(当時の六郷川)の河口から
南へ約1.8kmほど離れた
「円山瀬(まるやませ)」と
呼ばれた浅瀬です。

ここは満潮時でも
水深がたった4mほどしかなく、
船が座礁しやすい
非常に危険な場所でした。
今で言えば、
羽田空港の滑走路が広がる
すぐ先の海上で、
まさに「海の難所」の海中で、
船の安全を見守っていました。

現在の羽田空港
第一・第三滑走路の間
南端にあたる海域です

【スペック】

高さ: 基礎より灯火まで 約16m / 水面より灯火まで 約12m 
性能: 光力 100カンデラ / 光達距離 約20.4km 

対岸の木更津まで
光りが届く計算です。


【外観の変化】

完成したときは
全身「真っ白」でしたが、
思わぬ問題が発生しました。
海の上では
船の「白い帆」と見分けがつかない!
という声が上がったのです。

そこで1876年 (明治9年) 
解決策として採用されたのが
「黒白の横シマ模様」
遠くからでも
はっきり灯台だとわかるように、
機能的なデザインへと
生まれ変わりました。

絵:縞模様になった羽田灯台
写真を基にAIが作成

【地震の試練と「走馬灯」の仕掛け】

1887年 (明治20年) 1月17日
大地震によって、
従来使用していた
「四等不動レンズ」
損傷しました。

1900年 (明治33年) 4月
「明暗器(めいあんき)」という
新しい仕掛けが
取り付けられました。

これは、
時計のようなゼンマイ仕掛けを使って、
垂直に立てた
「遮光板(しゃこうばん)」
ランプの周りでクルクルと
回転させる仕組みです。

光がさえぎられたり、
現れたり……
その規則正しく点滅する様子は、
当時の記録に
「まるで走馬灯のようだった」
記されるほど、
情緒あふれる
美しいものだったのです。

※ 明治20年1月の地震は
  1月15日に発生したとされ
  特に名称はついていない。


その後の羽田灯台

1923年 (大正12年) 9月1日
関東大震災により
脚柱2本が折損し、
灯塔約5度傾斜した。

1926年 (大正15年) 9月15日
旧灯台の近接位置に
1927年 (昭和2年以降)
新たな灯台(航路標識)が設置、
本復旧が図られ、
呼称は「羽田灯標」へ変更された。


灯台史における羽田灯台の意義 

日本で数少ない
「螺旋杭構造(スクリューパイル)」
採用した灯台でした。 

それは東京湾の海底のほとんどが
砂泥の柔らかい地盤であった事にも
起因します。 

羽田灯台は、
東京湾の近代航路整備を象徴する
灯台でもあったのです。 

その証拠に
海上保安庁の前身である
灯台寮の資料では
「東京湾航路安全化の象徴」として
記録されています。 
つまり、
東京港が近代港湾になる
最初期の航路標識の一つ 
であったことがわかります。 

また
海上土木技術 
西洋灯台技術 
東京湾航路整備 
この3つが重なった 
技術史の記録とも見られています。


最後に

東京湾の近代化を
静かに見守り続けた灯台は、
関東大震災によって
大きな被害を受け、
その後役割を終えると、
羽田灯標へ機能を引き継ぎ、
海から姿を消しました。

Otapediaは
羽根田燈臺を設計した
リチャード・ヘンリー・ブラントン氏を
「大田区無名の偉人」
羽根田燈臺を
「大田区無名の風景」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として 
羽根田燈臺が点灯した
3月15日を
「大田区記憶の日」
として記録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.「燈台要覧」 航路標識管理所  編纂 
   江南写真店出版  明治37年3月 
 2.「灯台史資料」海上保安庁 
 3.What's KAP? It's Kite Aerial Photography. 
   羽根田鉄製灯台 
 4.航路標識資料データベース 
 5. Wikipedia 「リチャード・ブラントン」
 6.「大田区の文化財 第十七集」大田区の近代文化財
 7. "Google Maps(位置確認)"
ヘッダー
 羽根田燈臺 想像復元図(明治初期)
 史料写真を参考にAIが作成
 ※羽田沖の浅瀬「円山瀬」に建てられた鉄製灯台

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