見出し画像

田園調布 最初の移住者【4月3日 今日は何の日】(田園調布特別出張所) #286

※本記事は
 Otapedia公式note(https://note.com/fine_rat5784)のみで
 公開しています。
 無断転載・改変・商用利用を禁止します。
 © Otapedia


大震災と一人の決断

以下は
文献に記された
本人の語りを
そのまま載せたものです。


畑の中の一軒家

1923年 (大正12年) 9月
大震災で東京の大半は焼け、
私共の神田教会も全焼。

翌9日に
「坪16円」
宅地を広告が
新聞に出たので
ここに初めて見にくると
16円の地所はなく、
20円が一カ所だけでした。

そして
今の処を坪37円
買い求めたのです。

青森から大工さんを呼んで、
神田教会のバラック建て
(同年12月23日) 
その大工さんを連れてきて
今の家の
工事を始めたのが2月、
4月3日神武天皇祭には、
中野から
引っ越してきたのです。

で、この日が
田園調布文化史の始めです。

言わば草分けです。

周辺は一面
ススキの原でヒバリが、
家の周辺から
キョロキョロないて
中天に昇り、
クツワ虫が、
駅の近くで
歌っているので 
捕まえて、
カヤのでなかせたものです。

当時の
都市会社は、
【田園都市株式会社】
洗足駅前にも
あったのですが、
駅から仮電柱を建てて
移った晩から
電燈がついたことも
嬉しいことでした。

それから
ポツポツ家が
建ち始めたので、
大工さんが小屋を建てて
夜アカリがつくと
子供等は
手をたたいて
喜んだものです。


電車で送られた話

当時電車は
目蒲だけで
【現東急目黒線】
東横は無く、
【現東急東横線】
目黒発の終電は
10時20分発で
奥沢止まりでした。

私が女の子を伴ふて
その電車に乗ったのですが、
奥沢駅についた時は
客は私共親子だけでした。

すると高橋駅長が
「ドコマデ行かれますの」
「田園調布まで」
と答えると、
車掌に
「調布まで送りませう」
と云うて
その電車で送られました。

私は一生
この親切を忘れません。


小平國雄氏という人物

1884年(明治17年)4月20日
  ~1970(昭和45年)
宮城県生まれ
東北学院大学卒
社会学者・牧師として活躍

主に
キリスト教文化や社会教育の分野で
功績を残し、
昭和期の日本における
宗教教育史の重要人物として
位置づけられている。

彼の研究や著作は
全国の大学・図書館に所蔵されており、
一部は現地閲覧のみという
扱いを受けるほど、
学術的価値が高い。

主要著書
デモクラシーと帝国の前途 1919年(大正8年)
聖地の歴史地理 上巻 1933年(昭和8年)
聖地の歴史地理 下巻
1934年(昭和9年)
日本国体と基督教
1936年(昭和11年)
などがある。


田園調布住人の始祖(考察)

大震災によって
多くの人々が
住む場所を失い
求めていた。

当時の大田区は
被害が少なく
(家自体が少なかった?)
開発を行っていた
渋沢栄一率いる
田園都市株式会社も

「今回の激震は、
 田園都市の安全地帯
 たることを証明しました。
 都会の中心から 田園都市へ!
 それは非常口のない
 活動写真館から
 広々とした大公園へ
 移転することです。
 全ての基本である 
 安住の地を求めるのは
 今です。」
と広告を打った。

記録を見ると
小平氏が
家を購入した際は、
区画の大半が
売却済であり
残っていた区画を
購入した。

そして
1924年 (大正13年) 4月3日 
記録上確認できる
最初期の田園調布移住者となった。

この日こそ、
後の高級住宅街
「田園調布」
誕生の瞬間である。

その晩、
田園調布に
最初の灯がともった。
それは単なる電燈ではなく、
新しい町の始まりの光であった。

また、
多くの区画が
売却されていたにもかかわらず
移住者がいなかったのは、
電燈の有無が、
移住をためらわせる
一因であった可能性もある。


最後に

Otapediaは
田園調布に
最初に移住した
とされる
小平國雄氏を
「大田区無名の偉人」
多摩川台住宅地を
(田園調布住宅地)
「大田区未顕彰の地域遺産」
小平氏が移住した
4月3日を
「大田区記憶の日」
として登録します。

大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す
営みです。

彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡
未来へと伝えていきます。

これらの呼称は
Otapedia独自の呼称」であり
大田区公式の認定ではありません」。


出典
 1.『大田の史話 その2』
 2.『東急五十年史』
 3.『近代文献人名辞典』
ヘッダー
 資料を基にAIが作成

#かえる11号 
#Otapedia 
#デジタルアーカイブ 
#SDGs11 
#大田区 
#今日は何の日 
#蒲田東特別出張所 
#蒲田跨線橋 
#蒲田陸橋 
#開かずの踏切 
#女塚踏切 
#東京都 
#東京鉄骨橋梁製作所 
#日本ファブテック 
#環八通り 
#4月2日 
#5月1日 
#おおたWeb写真館 
#大田区特別顕彰区民 
#大田区準特別顕彰区民 
#大田区裏名誉区民 
#〇〇の父 
#大田区初 
#大田区発祥 
#大田区の逸品 
#大田区無名の偉人 
#大田区無名の企業 
#大田区無名の産業 
#大田区無名の風景 
#大田区無名の組織・集団 
#大田区陰の功労者 
#大田区未顕彰の地域遺産 
#大田区記憶の日 


いいなと思ったら応援しよう!

Otapedia(かえる11号🐸)📖 いつもご覧いただき、誠にありがとうございます。 皆様からの温かいご支援が、 私の活動の大きな支えとなります。