田園調布 日本屈指の高級住宅街は工場建設拒否が生んだ? (田園調布特別出張所) #167
前書き
ー免責事項ー
本記事には筆者の
個人的な見解も含みます。
文明開化の余波が
都市部に広がり
鉄道や工場が
次々と誕生しました。
それは郊外にも
および始めていました。
1890年 (明治23年) 頃
現在の田園調布にも
押し寄せようとしていました。
企業の進出
1887年 (明治20年) 9月に
操業を開始した
日本麦酒醸造会社。
この年
恵比寿麦酒 (エビスビール) の
販売を開始しました。
会社は郊外であった
当時の東調布村付近に
工場建設を予定しました。
住民の決断
しかし、
当時はまだ
「ビール」とは何ぞ
という時代であり、
一蹴されてしまいました。
この事実には
工業地たるよりも
得体のしれないものを
排除しようとした
住民感情がうかがえます。
時期を考えれば
まだまだ「田舎」で
鉄道も開通していない
大田区の田園調布でした。
田園調布のブランド化
この反対運動によって
大田区の工業化は
かなり遅れたように見えますが、
この選択が
現在の
高級住宅街田園調布に
寄与したとも
いえなくはないでしょうか?
また大戦による
他の大田区の被災を考えたら、
工業化拒否の道を選んだことで
今の街並みを守ったともいえませんか?
地名の決定
また、都下に
「調布村」(現調布市) が
あったことにより
町名は「東調布村」となり
後に開通する
目黒蒲田鉄道の「調布駅」は
Garden City構想に基づき
渋沢秀雄が
「田園調布」と命名しました。
名前が生んだ効果
この事実がなければ
お笑い芸人「星セント・ルイス」の
「田園調布に家が建つ」のギャグは
生まれなかったかもしれない。
「調布に家が建つ」や
「東調布に家が建つ」だったら
あそこまでウケたでしょうか?
都下「調布村」(現調布市) が
あったからこそかもしれませんね。
名前の選択は
単なる地理的な区別ではなく、
後世の文化や笑いにまで
影響を及ぼしたのです。
最後に
工業化拒否の道は、
他業者の流入すら排除し
田園調布の
「ブランド形成」と
「戦災回避」の
二重効果をもたらしました。
そこで
Otapediaは
工業化を拒否をした
調布村村民を
「大田区裏名誉区民」に
田園調布を開発した
田園都市開発を
「大田区無名の企業」に
田園調布と命名した
渋沢秀雄と
田園調布に家が建つの
星セント・ルイスを
「大田区無名の偉人」に
田園調布という地名を
「大田区未顕彰の地域遺産」として
登録します。
大田区の記憶を呼び起こす
「Otapedia」の活動
私たちは
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
彼らの活動や
痕跡は消えても、
地域に遺した軌跡を
未来へと伝えていきます。
これらの呼称は
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.大田区史 下巻
2.露木貞雄 『田園都市東調布町の生育過程と地理的考察』
3.Wikipedia 「日本麦酒」
4.Wikipedia 「ヱビスビール」
5.Wikipedia 「目黒蒲田電鉄」
6.Wikipedia 「田園調布駅」
7.Wikipedia 「星セント・ルイス」
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