大森駅 山王口 (現・西口) 開設 (入新井特別出張所) #384
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大田区最初の駅
1876年 (明治9年) 6月12日
大田区最初の駅として
大森駅が開業しました。
開業当初は東口のみで、
山王方面への動線は
存在していませんでした。
大森八景園開園
1884年 (明治17年)
久我邦太郎によって
大森駅西口の一帯に
郊外初の遊園地として、
大森八景園が
開園しました。
鉄道唱歌にも歌われ
大森は
“郊外の行楽地”として
知られるようになりました。
大森射的場開場
1889年 (明治22年) 4月
西郷従道によって
大森射的場が
落成開場した。
山王のにぎわい
大森八景園と
大森射的場の
二つの施設の開場よって
大森駅の西側は
にぎわいを増していきました。
山王への移住の動き
山王の賑わいとともに
1889年 (明治22年) 頃より
山王に
政治家・実業家・高級官僚
将校等の住宅や
別荘が立ち並び始める。
山王は、
静かな丘の住宅地として
少しずつその姿を
形づくり始めました。
山王の有力者たちの動き
時間通りに到着しなかったり
上下線で
ホームが別々だったり
不便が多かった。
そこで
山王の住民たちは
大森駅の設備について
陳情を重ねたが、
なかなか実現しませんでした。
大森駅汽車待合所設置事業(大森倶楽部)
山王へ移住した
政治家・学者・事業家・軍人らが
会員となり
現在の西口の一角に
50坪の土地を借りて
大森駅汽車待合所設置事業
(大森倶楽部)
を設立し、
会館も落成しました。
大森倶楽部とは、
大森駅汽車待合所
設置事業を行うだけの
組織ではなく
ビリヤード・囲碁・将棋
なども行われ
社交場としての
機能も持っていました。
山王の住民たちが
駅の利便性を求めて動いた、
象徴的な存在でした。
大森駅山王口改札設置
大森倶楽部の活動も
後押しとなって
1913年 (大正2年) 2月
跨線橋を延長して
大森駅山王口改札
(現・西口改札)
が設置されました。
これにより
開業以来東口のみだった大森駅は、
西側へのアクセスが
大きく改善されました。

右は天祖神社への階段
出典:大田区の文化財 第十七集
大森駅西側周辺の歴史
1877年 (明治10年) 6月19日 大森貝塚(エドワード・モース氏)
1884年 (明治17年) ~ 1922年 (大正11年) 頃 大森八景園(久我邦太郎氏)
1888年 (明治22年) 4月 ~ 1937年 (昭和12年) 大森射的場(西郷従道氏)
1902年 (明治35年) 7月5日 入新井信用組合(加納久宜氏)
1902年 (明治35年) 11月13日 皇后陛下が行啓(大森八景園)
1906年 (明治39年) 3月7日 大森倶楽部(兒島惟謙氏)
1910年 (明治43年) 新井道架道橋開設
1912年 (大正元年) ~ 1935年頃 望翠楼ホテル(若尾幾太郎氏)
1916年 (大正5年) ~ 木原会(展覧会)→大森丘の会(望翠楼ホテル)
1920年代~1930年代 馬込文士村形成(尾﨑士郎氏ら)
1922年~ 戦後接収 大森ホテル(猪原貞雄氏)
1922年 (大正11年) 12月 大森テニスクラブ(伊集院兼知氏)

大田区立郷土博物館 所蔵

出典:大田区の文化財 第十七集

大田区立郷土博物館 所蔵
大森駅西側へ移住した人々
1898年 ~ 1899年 (明治32年) 川上音二郎・マダム貞奴(興行師・女優)
1900年 (明治33年) ~ 加納久宜氏(地方自治の恩人)
1906年 (明治39年) ~ 矢野恒太氏(第一生命保険 創業者)
★1909年 (明治42年) ~ 1966年 (昭和41年) 川端龍子氏(日本画家)
1910年 (明治43年) ~ 1944年 (昭和19年) 片山広子氏(『翡翠』)
1912年 (明治45年) ~ 1915年 (大正4年) 和辻哲郎氏(哲学者)
大正初期 河合栄治郎氏(経済学者)
1912年 (大正元年) ~ 清浦奎吾氏(第23代内閣総理大臣)
★1915年 (大正4年) ~ 1957年 (昭和32年) 小林古径氏(日本画家)
★1919年 (大正8年) ~ 1968年 (昭和43年) 村岡花子氏(『赤毛のアン』)
1922年~ 徳富蘇峰氏(『國民新聞』創刊→後の東京新聞)
★1922年~ 1964年 (昭和39年) 吉田甲子太郎氏(児童文学者 文士村村長)
★1923年 (大正12年) ~ 1964年 (昭和39年) 尾﨑士郎氏(『人生劇場』)
1923年 (大正12年) ~ 1930年 (昭和5年) 宇野千代氏(『おはん』)
★1924年 ~ 1943年 (昭和18年) 倉田百三氏(『出家とその弟子』)
1926年 (大正15年) ~ 1944年 (昭和19年) 川瀬巴水氏(浮世絵師・版画家)
1926年 (大正15年) ~ 1929年 (昭和4年) 萩原朔太郎氏(『月に吠える』)
1928年 (昭和3年) ~ 1929年 (昭和4年) 川端康成氏(『伊豆の踊子』)
★1928年 (昭和3年) ~ 1962年 (昭和37年) 室生犀星氏(『叙情小曲集』)
※★は亡くなるまで当地に住んだ者。

撮影:かえる11号
現在の大森駅西口
大森駅西口再開発により
池上通りの拡張と
西口広場の整備が進められ
山王小路飲食店街(地獄谷)や
大森倶楽部の建物は
姿を消すことになっている。

撮影:かえる11号
おわりに
Otapediaは、
新井道架道橋を
「大田区無名の風景」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として
池上運輸株式会社が
運営していた
東京最後の乗合馬車を
「大田区無名の企業」
「大田区無名の風景」
「大田区未顕彰の地域遺産」
として記録します。
Otapediaは、
大田区の記憶を
未来へ遺すという
理念のもとに活動しています。
私たちは、
その“名を失いかけたものたち”に、
もう一度まなざしを向け、
記憶の岸辺に呼び戻す営みです。
人々の活動や風景、
残された痕跡は姿を消しても、
地域に刻まれた軌跡を
未来へと伝えていきます。
記事内で使用している
独自の顕彰は、
「Otapedia独自の呼称」であり
「大田区公式の認定ではありません」。

出典
1.『入新井町誌』
2.『馬込文士村へようこそ』
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