「婚活エルフ、目指すはポラリス」第一部:様々な人間との接触 第二話:私は飼われたい
1
自由が丘、九品仏川緑道。
お洒落なブティックやインテリアショップが並ぶこの通りは、銀座とはまた異なる、穏やかな選民意識に満ちていた。
石畳の上を歩く紺色のパンツスーツ姿のノエルは、周囲の視線を避けるように歩みを速めた。
「……ノエル、あそこだ。お前と同じ、森の匂いがする」
バッグの中、オンブルの念話に導かれて顔を上げると、オープンカフェのテラス席に、見覚えのある銀色の髪の頭頂部が見えた。
「リナ、お待たせしたわね」
声をかけると、リナは弾かれたように顔を上げた。
リナは元の世界では一般的な町娘だったエルフで、この世界に来てからは都内のアパレルショップでアルバイトをしている。ノエルとは違い、フリルやリボンのついた流行の服を器量よく着こなし、すっかり現代日本の女の子の空気に馴染んでいるように見えた。
彼女はエルフ特有の尖った耳を隠すため、不自然なほどボリュームのあるウィッグを被り、人間たちの流行をなぞったパステルカラーのワンピースに身を包んでいる。
「ノエル! よかった、来てくれて」
リナは震える手でスマートフォンの画面を伏せた。
大召喚以前の彼女は領地を持つ下級貴族の娘として、常に誰かに守られ、誰かの承認を得ることでその存在を繋ぎ止めてきた女性だった。
「お見合いの帰り? 相談所の上村さんから聞いているわ」
「ええ……お茶代を無駄にしたわ」
ノエルは苦笑しながら、リナの向かいの席に腰を下ろす。
「最近はどうなの? 仕事忙しい?」
リナがおずおずと聞くのに、ノエルは頷いた。
彼女は現在、目黒にある高級鑑賞植物の輸入販売代理店でパートタイムとして働いている。異世界の森で培った植物学の知識は、気難しい熱帯植物の管理において驚くほどの成果を上げた。
土に触れ、森の呼吸を肌で感じている時間だけは、自分が何者でもない異邦人であることを忘れられた。
「楽しくやってるわよ。早く自立しなければいけないから」
「そうなんだ。ほどほどにね」
ウェイトレスが注文を取りに来た。
リナは迷うことなく、期間限定の「贅沢イチゴとピスタチオのタワーパフェ」を注文した。ノエルはそれを横目に見ながら、温かいハーブティを注文する。
2
運ばれてきたパフェは、ノエルの目には一種の狂気のように映った。
過剰なまでに盛られた生クリーム、人工的に着色されたシロップ、暴力的なまでの糖分の塊。
澄んだ水とわずかな木の実、そして獲物の肉という簡素な調和で成り立つ森の食事に慣れたノエルにとって、現代日本のスイーツは胸が焼ける装飾に他ならない。
「……リナ、食べられるの?」
「こうして甘いもので脳を痺れさせないと、この街の孤独に圧し潰されちゃうのよ」
リナはスプーンで生クリームを掬い、必死に口へ運ぶ。その瞳は笑っていなかった。
「私、昨日も『世界樹の縁』のアプリでマッチングした人とビデオ通話をしたの。でも、相手は私のことを『歳を取らない観葉植物』みたいに言うのよ。信じられる?」
「……」
それにノエルは無言で、ゆっくりと指を左右に振る。
「でも、それ以上に……一人でいることが、怖いの」
リナはパフェのグラスを、震える指で掴んだ。
「ノエル、あなたは強いわ。一流の狩人だったみたいだし、この世界でも自分の腕一本で生きていける。でも私はそんなに強くない。このまま一人で歳を重ねて、誰にも気づかれずにこの島国で消えていくのが怖いの」
カチャカチャ、とリナの持つスプーンが器の端を叩いていた。
「……国籍さえあれば、この社会が私を拾ってくれる。居場所ができる。だから、私を飼ってくれる人なら、もう誰でもいいの」
リナの吐露は、まるで死にゆく獲物の悲鳴だった。
ノエルは、カップを持って口に運び、ジャスミンティーを一口、啜る。
――彼女はきっと否定したいのだ。寄生することでしか生きられない生き方を。
けれど、それは自分も変わらない。日本国籍という実利のためにお見合いを繰り返し、相手を値踏みし続けているではないか。
リナとの違いは、プライドの高さという、腹を満たす役にも立たない「重り」を抱えているかどうかだけだった。
3
ふと、バッグの中で眠っていたはずのオンブルが、ふいに冷ややかな念話を送り込んできた。
「ノエル、この女の影を見ろ。ひどく薄いだろう。誰かの光に寄生しなければ、明日には消えてしまいそうだ。お前は、いずれこうなるつもりか?」
ノエルは答えられなかった。
そのとき、隣の席に座っていた若い人間の女性たちが、こちらを見てひそひそとなにかを囁いている。
「見て、あれ絶対ウィッグだよね。耳を隠してるつもりかな? やっぱり、エルフって必死に人間に化けようとするんだね。ちょっと怖いかも」
リナの肩がびくりと跳ねた。彼女は俯き、パフェの底に残った溶けかけのアイスを必死にかき混ぜる。
「……ノエル、帰りましょう」
ノエルの声に、リナは逃げるように立ち上がる。彼女の背中は丸まり、パステルカラーのワンピースが、街の景色の中で浮き上がって見えた。
4
カフェを出て、駅の改札へと向かう途中。リナはノエルを振り返らずに、言葉を綴った。
「私、もっと条件を下げて探してみる。年齢や性格がどれだけ噛み合わなくても。私という異物を保護してくれる、囲いのある場所へ行きたいの」
彼女の言葉は重く、穏やかな言い方でありながら強い意志を感じさせていた。
「……リナ、あなたはそれでいいの?」
「いいのよ。エルフの寿命である千年は、一人で生きるには長すぎるもの」
途切れそうな声でそれだけ言って、リナは雑踏の中へ、吸い込まれるように消えていった。
ノエルはその場に立ち尽くし、自分の指先を見つめる。
かつて弓を弾き、荒れ狂う獲物の喉笛を性格に射抜いてきた、硬い指先。
誰かに縋り付くためのものではなく、生命を勝ち取るために鍛え上げられた指。
「……ねえ、オンブル」
「なんだ、主よ」
「私は、誰かに飼われるために召喚されたわけじゃない。ましてや、自分の弓を捨てるために紺色のスーツを着ているわけでもないわ」
オンブルはしばらく答えなかったが、しばらくして、鼻を鳴らすように答えた。
「ならば、次の獲物はもっと慎重に選べ。お前の誇りを踏みつけにするような奴ではなく、お前の腕を必要とする、真の伴侶をな」
ノエルはそれに頷きながら、紺色のスーツの襟を正す。
自由が丘の夕暮れが、彼女のプラチナブロンドを黄金色に染め上げていく。
リナが選んだ寄生という道ではなく、和男が求めた見世物という道でもない。
自分なりの新しい道を探すのだと、ノエルは考えていた。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
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