【連載中】「婚活エルフ、目指すはポラリス」第一部:様々な人間との接触 第一話:CASE 01 宍倉 和夫の場合
1
銀座四丁目。
磨き抜かれたショーウィンドウが、午後の傾いた陽光を鋭く跳ね返している。中に展開された非現実な衣装やアクセサリによって作り出された世界観は現実感をまったく感じさせず、ただきらびやかに輝いていた。
ホテルのティーラウンジに足を一歩踏み入れると、街の喧騒は厚い絨毯に吸い込まれ、代わりに重厚な静寂と、微かな焙煎の香りが鼻腔をくすぐった。
ノエルは窓際の円卓に座り、レースのカーテン越しに都会の景色を眺めている。霧の向こうにある異世界の古都よりも、この街の輪郭はずっとはっきりとしていて、そして冷たい。
今日の彼女は、身体のラインを端正に見せる紺色のパンツスーツに身を包んでいた。
都会の町並みに馴染むよう選んだ戦装束だが、その襟元から覗く肌は透き通るように白く、人間離れした美しさを際立たせている。
ハーフアップにまとめたプラチナブロンドの髪は、絹糸のような光沢を放ちながら背に流れていた。その髪の奥、隠しきれないほどに尖った耳の先端が、緊張で僅かに震える。
今日のお見合いをセッティングしたのは、上野の古びた雑居ビルの一角に居を構える、エルフ特化型結婚相談所『世界樹の縁(えにし)』だった。
数年前、空が割れたかのような轟音とともに起きた「大召喚」。
あの日、ノエルは愛する故郷から引き剥がされるように、この世界の日本という島国へ放り出されてしまった。
魔導の理(ことわり)が異なるこの地では、帰還の呪文はただの虚しい音の羅列にしか過ぎない。その残酷な事実を飲み込むのには、長い時間が必要だった。
いまはただ、この空の下で異物としてではなく一人の市民として生き抜くために、彼女はこのラウンジの椅子に座っている。
「……ノエル、来たぞ」
足元のバッグの中から、念話が届く。使い魔のオンブルだ。
艷やかな毛並みを持つ小さな黒猫の姿をしており、いまはバッグの隙間から金色の瞳だけを覗かせていた。その瞳は、ラウンジを浮足立った足取りで進んでくる男を捉えている。
ノエルは感情を押し殺し、ティーカップの縁を指でなぞった。指先に伝わるボーンチャイナの滑らかな感触だけが、いまの彼女をこの世界に繋ぎ止める錨だった。
「遅れてすみません! いやあ、本物のエルフに会えるなんて、昨夜は眠れなくて」
空気を切り裂くような声とともに、男が椅子を引いた。
宍倉和男。清潔感のあるスーツを着て落ち着いた印象は受けるが、その瞳はノエルを一人の人間として見ているのではなく、博物館の展示品を前にした子どものように爛々と輝いている。
「初めまして、宍倉 和男(ししくら かずお)です。いや、本当に耳が尖っているんだね。写真じゃなくて実物で見ると、なんていうか……ファンタジーだなぁ!」
和男は座るなり、矢継ぎ早に質問を繰り出してきた。
「元の世界じゃ、やっぱり魔法とか使ってたの? 主食はやっぱり花びらとか霞だったりするわけ? ああ、あと精霊とかって本当に出せるの?」
ノエルは、喉元まで出かかったため息を飲み込み、完璧な微笑を顔に貼り付けた。
彼女がこの場所で求めているのは、異世界の思い出話に興じる相手ではない。
婚姻という手続きを経て得られる、この国で永続的に生きるための権利――つまり、日本国籍だ。
だが、その目的は決して口に出してはならない。
「ええ……少しばかり、嗜む程度には。食事は、こちらの世界のものも美味しくいただいておりますわ」
「へぇー、意外と普通なんだ。でも、エルフのパートナーがいるなんて友達に言ったら、きっと腰を抜かすだろうな。週末にみんなを集めてパーティをしたいんだ。君を紹介したら、きっと俺、一躍ヒーローですよ」
和男が楽しげに語る未来のなかに、ノエルという個人の意志は存在していなかった。
彼は、自分の隣にエルフという珍しいラベルが貼られた存在を置くことで、自らの価値を飾り立てたいだけなのだ。
2
ノエルは冷めた紅茶の海を見つめる。
和男の話を聞けば聞くほど、目の前の彼にとって自分は「生きた図鑑」か「自慢のコレクション」に過ぎないのだという確信が深まっていった。
「ねぇ、ちょっとだけ耳先、触らせてもらえませんか? ずっと気になってたんだ、感触が人間とどう違うのか」
和男が無邪気な、それゆえに酷く残酷な手つきで指を伸ばしてくる。
ノエルにとって、耳は精霊の声を聴くための神聖な部位であり、見知らぬ他者に無遠慮に触れられるなど、尊厳を土足で踏みにじられるに等しい。
「……それは、困りますわ」
ノエルが拒絶の言葉を小さく口にした、そのときだった。
ガシャリ、と鈍い音が響いた。
「うわっ!?」
和男が伸ばした手の先、テーブルの上に置かれていたコーヒーカップが、なにかに弾かれたように跳ね上がった。褐色の液体が、宍倉の仕立ての良いスーツの袖に鮮やかな染みを作っていく。
「あ、熱っ! な、なんだ、なにが起きたんだ!?」
思わず飛び退く和男を気にせず、ノエルは静かに立ち上がった。
彼女の足元のカバンから、オンブルの影が一瞬だけ不自然に長く伸びて、すぐに元の黒猫の姿に戻る。
「……申し訳ありません。どうやら、私にはあなたの『コレクション』に加わる資格はないようですね」
「な、なんだよ……急に冷たくなりやがって……」
ノエルは優雅にバッグを手に取って、困惑する和男を置き去りにしてその場を去る。彼女は一度も振り返ることなく、都会の静寂に包まれ始めたラウンジを後にした。
3
銀座のきらびやかな大通りを抜けて、地下鉄の喧騒に揺られること数十分。
辿り着いたのは三ノ輪。
古い家屋が肩を寄せ合うように並ぶ、下町の片隅だった。
迷路のような路地を曲がると、使い込まれた縄のれんが夜風に揺れている。軒先には、手書きで『酒処 灯』と書かれた小さな木札。
その横で、煤けた赤提灯が足元を仄かに照らしていた。
ガラリと引き戸を開けると、使い込まれた木のカウンターが奥へと伸びている。
カウンターの中で、半袖Tシャツ姿のエルフ男性が包丁を動かす手を止めて、ノエルに向き直った。
「……おかえり、ノエル。……その表情だと、今日は……」
「こんばんは、ルミエール。……ええ、最悪だったわ。私はただの、珍しい標本のようだった」
ノエルの定位置はカウンターの一番奥。そこに座ると、厨房の奥から朗らかな笑い声とともに、一人のエルフ女性が顔を出した。彼女もまた、大召喚でこの地にやってきたエルフの一人だった。
「お疲れ様、ノエル。そんな顔しないで、まずはこれ。温かいうちに食べて」
「ありがとう、アンナ」
アンナが小皿を手際よく差し出す。ふっくらと焼き上がって美味しそうな湯気を放つ、だし巻き卵だった。
オンブルが興味深そうにカバンから顔を出す。鼻先を近づけると、すんすんとその香りを堪能していた。
この店は、ルミエールとアンナの夫婦二人で切り盛りしている。王宮楽士だったルミエールの繊細な料理と、薬草園の管理をしていたアンナの温かなもてなしが、この店の灯を絶やさずにいた。
「……ルミエールと私はね、召喚された後の収容所で出会ったのよね」
アンナはノエルの隣に座り、優しく微笑んだ。
「最初はね、私たちも必死だった。お互いに元の世界に婚約者がいたし、いつ帰れるか分からない不安で心がいっぱいだった」
アンナは照れくさそうに、けれど誇らしげな笑顔で、優しくノエルに語り続けている。
「でもね、一緒に日本の慣れない食事を分け合って、肩を寄せ合って生きているうちに、気づいたの。本当に必要なのは、遠い記憶の『かつて』ではなく、いまここで隣にいて、一緒に笑える『誰か』なんだって」
その話を照れくさそうに聞きながら、ルミエールはノエルの前に皿を置く。皿の上には銀鱈の西京焼きが、ほくほくと温かい湯気をあげていた。
「国籍は大事だけど、でもそのために自分を殺しちゃダメ。いつか、あなたの尖った耳ごと『あなた』を愛してくれる相手が現れるわ。焦らず、自分の心も大切にしてあげて」
アンナの言葉に、ノエルは熱さを感じて目の前のお冷を掴む。それから、ぐい、とゆっくりと一口飲んだ。
銀鱈の西京焼きを一口、口に運ぶ。西京味噌の甘みが、冷え切った心にじんわりと染み渡っていくようだった。
4
空腹を満たして、少しだけ肩の荷を下ろしたノエルは、二人に手を振りながら店を後にした。
背後の赤提灯が遠ざかり、周囲に静寂が戻った頃、ノエルはポツリと言葉を漏らす。
「……ねえ、オンブル」
その言葉にオンブルはカバンの中から頭を出した。街灯のわずかな光が、金色の瞳がきらりと光る。
「……私は間違っているのかしら?」
国籍という実利のために、知らない男性と会う日々。
アンナが言った「いまを一緒に笑える誰か」など、自分に見つかるのだろうか。
オンブルは瞳をぱちぱちと瞬かせると、月光を反射する瞳でじっとノエルを見上げた。
「そんなことはない。エルフだって一人の人間だ。生きてるんだ。なにかを求めて、なにが悪い」
オンブルの声は、いつになく低く、力強かった。
「お前はただ、自分の足でこの地面を踏みしめていたいだけだろう。そのために足掻くことを、誰が責められる」
ノエルは足を止めて、夜空を見上げた。
都会の空は明るすぎて星は見えないが、隣で揺れる黒い影だけは、どんなときも彼女の真実を知っている。
「そうね。……ありがとう、オンブル」
ノエルは紺色のスーツの襟を少し正して、再び歩き出した。
注記
この物語は筆者の想像に基づいたフィクションであり、登場する人物、団体、および物語上の設定はすべて架空のものです。作中に登場する名称などは物語を彩るための舞台装置として用いており、現実の出来事や人物とは関係がありません。
最後までお読みいただきありがとうございました。
もし気に入っていただけましたら、スキやチップの応援やコメントを頂けると励みになります。
また次の作品でお会いできることを楽しみにしております。
#長編小説 #創作 #note小説 #ファンタジー小説 #現代ファンタジー #婚活 #異世界転移 #お見合い #東京サバイバル
いいなと思ったら応援しよう!
よろしければ応援お願いします。
いただいたチップは資料の購入費用、取材費などの活動費として有益に使わせていただきます。