【デジタル夜譚】千景編 #2 山女に遭い、化け物にされた話
あれは、山女に違いない。
不思議だ。
山ガールと山女。
造語としての組み合わせはほぼ同じなのに、一方は山登りを趣味とする女性、もう一方は山の怪異だ。
―山ガール―
属性:趣味・レジャー・消費
解釈:表面的な「機能美」を纏った存在。
―山女―
属性:怪異・実体・侵食
解釈:その山の「構造」そのものが擬人化
土曜日に高尾山にハイキングにいき、下りで稲荷山コースを選んだ。
稲荷山コースは、尾根伝いに山を下りるコースで、ふもと近くにお稲荷さんがある。
山道を下っていると、かすかに歌声が聞こえる。
前を見やると、二十代と思しき女性が先を歩いていた。
何を歌っているかはわからない。
山の息吹にかき消される。
それほどかすかに聞こえるだけなのだ。

……先に歩いている人に追いついたのであろう。
気にもしないで山道をそのまま歩き続けた。
しかし、なかなか距離が縮まらない。
おかしいな、追いついたのだから、そのまま追い越すことになってよさそうである。
その女性は淡々と歩き続ける。
大して、大柄ではないと思われる。
男の足で追いつけないわけがない。
物理的な距離がDであるとき、速度V_me > 速度V_yamaonna であれば
時間差は
T = D / (V_me - V_yamaonna)
でゼロに近づくはず。
V_me :わたし(me)の歩く速度
V_yamaonna:山女?の歩く速度
しばらくするとまた見えなくなってしまった。
いなくなったと思ったらまた現れた。
そしてまた見えなくなると、その女性はふもと近くにある少し大きめの稲荷に参り、柏手(かしわで)を打っていた。
顔を見てやろうと思ったが、茂った木の葉で見えない。
そのまま通り過ぎた。
下山して何度か振り返ってみたが、その女性は降りてこなかった。
その女性の行先はあの稲荷だったのかもしれない。
山女に遭って、ただでは済まなかった。
下りで足がもつれて転んだのだ。
強い傾斜の下りで転ぶと、その先は1mほどの段差になっていて無事では済まない。
横の木に抱きついたのだが、右の眉尻を木に打ち付けて、こぶになって腫れた。
歌を歌う怪異といえば欧州では
ローレライ(Loreley / ライン川)。
歌声で旅人の注意を逸らし、破滅へ導くという。
森から出られなくしたり、崖下へ落とそうとするとも言われている。
崖下ではないが、斜面に頭を下向きにして倒れた。
崖下っぽくないこともない。
あれは、ローレライだったかもしれない。
その後、内出血が酷くて、右目の瞼、下瞼が、黒紫がかってしまった。
パンダの目現象(Raccoon sign)
目の周りが黒くなる外傷の症状だ。
家に帰ると、そこにも女がいる。
気づくまで黙っておくことにする。
だがその女は、翌日まで私の顔に気づかなかった。
「ちょっと山で転んだ。」と自己申告すると、ほんの一瞬だけ関心を持った。
「ちょっとどころじゃないじゃん。」
ひと言だけだった。
女はまた、PCに向かった。
彼女が営む小さなオフィスの資料を作成していたようである。
かつて医療関係者だったその女は、傷や疾病にある程度の見極めが効くらしく、
”どうなっちゃうんだろう……”
という未知の不安を抱えた「大丈夫?」は言ってくれない。
翌日、会社から戻る頃には、見た目はだいぶひどくなっていた。
会社から戻ると、女は言った。
「うわぁ、こわぁ。お化けじゃん。そうなっちゃうんだよねぇ。」

ひと言だけ言うと、
女はまた、PCに向かった。
不思議なほど関心がない。……あきらめてはいるが。
さて、山女と家女。
どちらが怖いんだろうか。
【デジタル夜譚】千景編 #2 山女に遭い、化け物にされた話 ―完―
この話は「デジタル夜譚」として、いくつかの夜に連なっています。
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