ヒューマンドラマ小説|サンクチュアリが見えたら(26)|覗いてみるコーヒーの水面に
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田舎の古民家シェアハウス『サンクチュアリ』。
住人は老若男女6人と猫が一匹。
住人の一人、雨宮茉莉花は40代シングルマザー。小学生の男の子が一人いる。茉莉花は、ある日サンクチュアリへの帰宅途中で男性と揉めていた50代の元モデルの女性、夏見紫をサンクチュアリに誘う。
茉莉花もまた、そうしてサンクチュアリに迎えられた一人だった——
茉莉花をサンクチュアリに誘った野路菊さくらは、過去に不倫経験のある70代女性。その他、神野宗四郎は30代の同性愛者の男性、木南悠はお金のない現役大学生。
仕事、恋愛、家族——
これは、それぞれがそれぞれに、生き方に悩みながらも、少しずつその答えを見つけていく物語。
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覗いてみるコーヒーの水面に
「葉は?」
「あの子なら、部屋のテレビでYouTube見てます。何でも今日は、あの子の好きなユーチューバーの定期配信の日らしくって」
「へえ。今どき」
「尤も、内容はダンゴムシの飼い方とか、アリジゴクの捕まえ方とか、いつもやってる宝物探しと大差ないんですけど」と茉莉花が笑う。
「雨降りだもんね。外で遊べない代わりで、ちょうどいいじゃない」
「そうなんです。正直、YouTube見ててくれると大人しくて助かるときもあります」
「そりゃずっとは大変よ。お母さん、お疲れ様」
紫は言って、茉莉花が淹れてくれた麦茶のグラスを、茉莉花の飲んでいたコーヒーのカップに「乾杯」とくっつけた。
「こんなこと言ってちゃ、本当は駄目なんですけどね。元夫の反対を押し切って、なんとか親権とって離婚届にサインをもらったんだし」
茉莉花が言って、揺れるコーヒーの表面を見つめる。ふうと息をつきながらコーヒーに口をつける様子を、紫はしばらく黙って見ていた。朝食の魚に手をつけながら、ここで何と言うべきか考えていた。薄っぺらい同情だけの言葉は違う気がする。
何となく、言ってしまってもいいか、と思った。茉莉花は変わらず、両手でマグカップを包み、コーヒーの水面を見つめている。

「私の母親ね、シングルマザーだったの。と言っても、私が葉ぐらいの年頃に、さっさと死んじゃったんだけど」
突然の告白に、茉莉花も少々驚いたかもしれない。表情こそ変わらないが、紫に向ける、茉莉花のあまりにも真っ直ぐな瞳が、そのことを物語っていた。
「正直、寂しい思いも沢山したわ。保育園の運動会だって、幼稚園のお遊戯会だって、父親が来てる友達たちが、凄く羨ましかった。母親の仕事中、家に置いてけぼりにされるのだって、学校から帰って、家に母親がいないのだって、凄く嫌だった」
茉莉花は黙って、紫の告白を聞いていた。小皿に添えられた梅干しが、思いの外酸っぱい。
「でも、母親を思って一番に思い出すのは、母親の笑った顔なのよね。不思議よね。あんなに寂しい思いも、嫌な思いも、沢山したのに、母親のことは、今も憎んでも憎みきれない」
酸っぱい梅干しに耐えかねて、紫は白ご飯を口に放り込んだ。静かな雨の音と、時計の針が進む音を聞きながら、味噌汁に手をつける。
「あの頃分からなかったことが、今になって分かることもあるわ。私には子どもはいないけど、母親がどれだけ子どもを大事に思ってるかも、少しは分かるようになったつもり」
「梅干しが酸っぱくて、何言いたかったか、忘れちゃったわ」と言って、紫は笑った。黙って聞いていた茉莉花も笑う。
「とにかく言いたいのは、あの子は大丈夫ってこと。なんて、私が言っても説得力ないか」
紫が戯けて笑うのを、茉莉花も小さく笑って見ていた。
「ありがとうございます。笑顔ならちょっと自信あるので、これからもあの子といっぱい笑います」

【1206文字(あらすじ、その他除く本文のみ)】
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