(旧中山道アート旅) 『赤坂宿』をゆく
前回(↓)の続きです。
旧中山道は赤坂宿(跡地)へやってきた。


なんと上品で色気のある美しい浮世絵なのだろうか?広重=「オジサンを描く人」と勝手に(私が)イメージしているため、この作品をとても色っぽく感じてしまうのだ。
個人的な意見だが、新版画の『日坂(/川瀬巴水)』の世界観が、この『赤坂(/歌川広重)』に似ているようにも感じた。

ちなみに、実はこちらも小さな橋を渡った場所であるのだ。
(作品だけ見ても、わからないかもしれないが・・)

この杭瀬川を渡れば、赤坂宿の宿場町である。
広重は、この地点・この角度から当該浮世絵作品を描いたのだろうか?
・・わからない。
なぜなら、江戸時代はここは杭瀬川の本流ではなかったようだ。現在は支流となっている(明治時代に造られた)赤坂港跡が、江戸時代の本流であったらしい。
とりあえず(さらに宿場町の中心地寄りにある)赤坂港跡を目指し歩く。

濃尾平野の終わりを感じずにはいられない。
もはや、ここは大垣市。
地域的にも岐阜地域から西濃地域に変わってしまったのだ。
思えば遠くに来てしまった。
もうすぐ近江(滋賀県)である。

・赤坂宿







桜色の看板になっている。
美しい看板である。

・赤坂港跡に到着!
江戸時代から明治・大正期にかけて杭瀬川の水運を利用し、近隣の金生山から採掘される石灰や大理石、地元の特産品を運ぶ重要な物流拠点として栄えた川港跡である。 1900年代初期には500艘を超える船が行き交うほど、大変な活気に満ちていたらしい。しかし鉄道(JR美濃赤坂線)の開通や下流への水門建設にともない水運が廃絶し、現在は親水公園として整備されている。


当日の雰囲気を残しているような気もする。
江戸時代では、こちらが杭瀬川の本流であったのなら当該浮世絵作品の舞台はこちらなのか?

明治時代にいろいろと港が整備されたようで、江戸時代の雰囲気はまるでわからない。
(考えるのはもうやめよう)
ここからは中山道 赤坂宿の上品で美しい景色をお楽しみください。











現在は貨物専業となっている西濃鉄道だが、戦前の一時期には旅客営業を行っており、大垣駅からの直通列車も運行されていたらしい。


すぐ近くの(JR美濃赤坂線)美濃赤坂駅から線路が伸びているようだ。









赤坂銀行があった場所。
1942年に国からの勧奨により十六銀行に営業譲渡され、今では十六銀行赤坂支店として営業されているのだ。
・四ツ辻周辺
「四ツ辻(四ッ辻)」は、旧中山道・美濃赤坂宿の中心に位置する歴史的な十字路だ。かつて交通や治安の要所として栄えた場所である。
史跡や歴史的に貴重な建物が多く残っており、大変栄えた宿場町の風情を現代でも感じとることができるのだ。








・(岐阜駅指定史跡)お茶屋敷跡地
慶長9年(1604年)〜10年頃に徳川家康の命によって造営された、将軍家専用の宿泊・休憩施設(お茶屋)の遺構。




織田信長が築いた岐阜城千畳敷御殿を移築したとされる。
(加納城もそんな感じだったな)
・かつての街道の交差点
四ツ辻は中山道、養老街道、谷汲街道と3つの街道の交差点であり、なかなか風情があり興味深い。
歴史的な寺院もかなりあるので神社仏閣好きなら散策してみると面白いかもしれない。






さぁ、次の宿場町である垂井宿へ進もう!

次の投稿で垂井宿を紹介するので、是非御期待くださいませ

