調剤薬局物語vol.5-1〜トンカツ屋さんは忙しい〜前編(1378字)
第五話.トンカツ屋さんは忙しい(前編)
午前の終わりが見えてきたころ、一人の男性に白石は投薬していた。
「吸入が出ています。こちら、使い方はご存じですか?」
名前は清元さん。この薬局に見えられたのは初めてだ。
短く刈った髪と白いポロシャツ、それにいかにもプロっぽい黒いエプロンをつけている。
そして、手の甲には細かい火傷跡のようなものが点々とあるのが見えた。
「前にも出たことあるよ。わかってるから大丈夫や。」
白石の確認に対して、清元さんはぶっきらぼうにそう答えた。
処方内容を確認しながら、白石は薬を揃えていく。
「吸入薬は、使い方少しコツがいるので……もし不安があれば……」
「いらんいらん。こっちは急いでるんや。仕込み前でな。」
「仕込み……? ご商売されてるんですか?」
「ああ。大黒庵ってとんかつ屋やっとる。もう行くわ、すまんな。」
慌てて白石が少し早口で説明を終えると、清元さんは、急ぎ足で薬局を後にした。
白石は薬歴を記録した後、気になって「大黒庵」を検索してみた。
トンカツは、白石の好物の一つだ。
……店舗の写真はない。SNSもやっていない。
出てきたのは、ごく簡素なWebサイトと、いくつかのレビュー記事。
「パン粉からこだわる硬派なとんかつ店」
「ソースに手間を惜しまない、知る人ぞ知る名店」
「店主は寡黙。でも一度食べればわかる」
そんな言葉が並んでいた。
レビューの写真には、薄く黄金色の衣をまとったとんかつが美しく切り揃えられていた。
(……ちょっと、行ってみたくなるなぁ)
……
木曜日。
薬局は午前中で営業が終わる。
午後の時間をどう使うかは、白石にとってちょっとした楽しみでもある。
最近は近くの飲食店を巡るのが趣味になっていた。
せっかくなので、この日は「大黒庵」を訪れてみることにした。
暖簾をくぐったのは、ランチのピークを少し過ぎた頃。
店内には先客が一組いるだけで、落ち着いた空気が流れている。
カウンター席に腰を下ろすと、奥から現れたのは、清元さんだった。
「こんにちは。先日、薬局でお薬をお渡しした者です。今日はトンカツ食べに来ました。」
「ああ、あん時の先生か。……今、空いとるから、どこでも好きなとこ座り。」
ぶっきらぼうな口調ではあったけれど、どこか少し温かかった。
白石はロースカツ定食を注文した。
待つあいだ、厨房からは油のはじける音。
そして、時おり混じるのは、……乾いた咳の音だった。
その音は、白石の耳に少し引っかかった。
(……本当に吸入薬、使い慣れてる人の咳かな)
やがて目の前に出てきたのは、まさにレビュー通りの一皿だった。

薄い衣に覆われた肉はやわらかく、噛むたびに旨みがじゅわりと口に広がる。
ソースはほんのり甘くて、後味に深みがある。
白石は静かに箸をすすめながら、もう一つ、気にしていたことを考えていた。
(今なら……もしかしたら、話せるかも......)
そんなふうに思っていた時、
「どや、うまいか?」
ふいに奥から声が飛ぶ。
「はい、ほんとに美味しいです。これは……ちょっと感動です。」
「ははっ、あんたおおげさやな。」
短い言葉とともに、清元さんはまたひとつ咳をした。
白石は思った。
(......本当に、あの薬、ちゃんと使えてたのかな。)
もうすでに白石は、このまますんなり帰る気持ちではなくなっていた。
(後編につづく)
